2009/08/07

わりと簡単なこと

 商売人の母からは、「ニコニコしていなさい」といつも言われて育った。そして、お世辞を言ったり、嘘をついたりすることも、人生を上手に渡り歩くには必要な場合が多く、そういったことが相手への思いやりの心から自然にできれば、人にも自分にも役に立つことが多いのだと、よく言われた。

 いつもニコニコしていることや、上手にお世辞を言ったり、相手のために嘘をついたりすることは、そんなに簡単にだれにでもできることじゃない。個人の持って生まれた性格と、ちょっとした才能も必要になって来ると思う。

 わたしは、自分の子らに、親から教えられたことの中から、最も大切な、こういうことを常に常に言っている。
おはよう、ありがとう、ごめんなさい を言える人間であること。
これは、「そんな気」がなくてもとにかく言え! と言っている。

 毎日いっしょに過ごす人はもちろん、ただその朝にすれ違う人でさえも、とにかく「おはよう」と言って一日を始めること。一日の終わりの挨拶と別れの挨拶は、あまりにも形が多すぎて、しかもとっても複雑だ。でも、一日の始まりはまあ、だいたい「おはよう」ですむのだから、会った人にはとりあえず「おはよう」と言っちゃえ!と思っている。そうすれば、気分のいい人は気分のいい挨拶を返してくれるし、機嫌の悪い人には、こちらから元気な声を掛けてあげることで、元気を分けてあげられるかもしれないし、悩みを分けてもらえるかもしれないのだから。

 「ありがとう」と「ごめんなさい」は、人間としての基本だから、説明しなくても6歳の子供だってその大切さを知っている。ただ、そんな気持ちがなくて声に出して言えないことや《忘れる》なんてこともある。
人間だもの。虫の居所は日々異なる。

 その言葉に気持ちを込めることは、ときとして難しいけれども、「おはよう、ありがとう、ごめんなさい」と《とりあえず言う》だけなら、わりと簡単なことだと思う。

 剣道の合宿の話しの続きになる。
 どう見たって有段者で経験ありという感じの男性が、一人遅刻してやって来て、体育館の隅で時間を掛けて一人ぼっちの準備体操をしていたものだから、わたしは近づいていって「おはようございます」と言った。
30センチの距離にいるのに、完全に無視された。
 普段路上では、ガイジンであるために無視されることが多いので、こんな完全無視には慣れているが、剣道の道場では日本人好きって人にしか会ったことがないので、彼が返事しなかった時に、これは何かの間違いだと思った。聴こえなかったんだろう。

「おはようございます」ともう一度言ったが、彼は頭を動かさずにわたしを見ただけで、口を開かなかった。
完全に無視されたのが決定的だったので、しつこいわたしは「おはようございます」ともう一度いい、遅刻して稽古に加わるタイミングを探っているのかと思った相手に、間髪をいれず「稽古、お願いします」と言った。
 彼は、首を左右に面倒くさく振っただけだった。「おまえとはやりたくない」と顔に書いてあった。
こういう時に、《親切心丸出しのおせっかい》は、どうやって去ったらいいのか、ちょっと困る。
別れの言葉は複雑なのだ。心のすみで「アデュ〜」(これは逝く人に言う永遠の別れの言葉)と言いながら、「あ、そうですか」だけ言って、背中は見せずに後ずさりをして去った。この退散方法が、剣道と居合道の道場での作法で、上の者に対する礼儀作法だと、彼にはわかったはずだ。それにこういう人に背中を見せるのも情けない。

 その日の練習の中で、4段以上が道場で試合稽古をして、それ以下の人たち(4分の3以上)が、見取り稽古することになった。そのとき、偶然例の彼と試合稽古をすることになってしまった。
みんな見てるのに、彼ったら、彼だけの稽古を見せびらかした。
 つまり、彼は、わたしが掛かって行けば、頭を振ったり、竹刀で打突部を防御したりして、打たせてはくれない。(これを逃げる、という)打って行けば、はじき飛ばしたり、体当たりをしたりして、わたしの身体を右へ左へとさんざんはね飛ばす。(これを乱暴、という)更にとんでもない所を打って来るし、強く痛く打つ。わたしには、彼がわざとそうやってることがよくわかった。

 ここでネクトゥーさんとドレイ先生だったら、「目を一個潰されたら、二個とも潰してやれ」とか「歯を一本折られたら、全部抜いてやれ」と言う。彼らなら実際にそうする。でも、わたしは、そういういじわるな剣道をする人にこそ、美しい面を一本お見舞いしてやれと思って、熱くなるほうだ。転んでも立ち上がるから、相手はますます《いじわるな役》を演じる羽目になってしまう。こっちの方が数倍いじわるなのだ。

 稽古のあとで、数人がわたしの周りに集まり、「いつもあいつには痛い目に遭ってるんだ」とか「みのりが気の毒」と言い、「身の安全のために、彼には近寄らない方がいい」とアドバイスしてくれた。
 わたしは、その気はないのに思わず乱暴な剣道をする人や、間違ってとんでもないところをぶん殴ってしまう人には慣れているから、痣もたんこぶもあまり怖くない。それに道場でどんなに転んでも、どんなに打たれても、基本的にはそれが相手のせいだとは言いたくないのだ。じっさいに打たれるのも転ぶのも自分の脚さばきが悪いせいだということが多い。打たれたのを相手のせいにするのは負け犬だ。だから、もし翌日の稽古で彼に当たっても、逃げないぞと心に誓いながら、アキレス腱切れたらやばいな、と思った。わたしが転びでもしたら、彼はまた悪口を言われるだろう。さあ、どうしよう。

 みんなが去ったあとで、ラブルさんがそっと近づいて来て言った。
「彼の剣道はちょっと乱暴だけど、本当はいいやつなんだ。いじわるをしないように言っておいたんだけど。それにしても、最後のあの一本は、彼にはよい反省材料になったと思うよ」

 翌日の稽古で、彼との稽古を待っているのは、ほんの一人か二人だった。明らかにみんなに避けられていた。順番待ちをしなくても、自分の番がすぐに回って来ると思ったので、彼のグループに並んだ。隣の列にいた人が「勇敢だね。気をつけてね」と言った。

 このようなタイプの人には多いのだ。ドレイ先生も最初はそうだった。
「一度鼻を折られて、それで離れて行くような人間とは、つきあわなくてもいい」
だから、どんなにぶん殴られても、またかかって行けば、少しだけ心の窓を開いてくれる。
二度目におはようと言ったら、わたしのことを見てくれたじゃないか。

 その二度目の稽古は楽しかった。彼の剣道もすばらしかった。いろいろなことをちゃんと説明してくれたし、試しに打ってごらんと打たせてもくれた。できたら多いに褒めてくれた。諦めなくてよかった。しつこい性格でよかった。

 ただ残念だったのは、彼は5日間の合宿の間、ほかの誰とも打ち解けなかった。せっかく高いお金を出して参加しているのに、グループで行なわれたものには、何も顔を出さなかった。みんなに挨拶をしないから、わたし以外の誰も彼に「おはよう」を言わなかった。彼が「すみません」と言わないせいで、誰も「ありがとう」と言わなかった。

 みんなが、彼は数年前から何度も五段の試験に挑戦しているけど、いつも落ちていて、だから、ストレスであんな風にひねくれているんだとウワサしていたけれども、わたしには全く検討外れだと思った。あんなにすばらしい技術を持っているのに何度も失敗しているのは、彼に「すみません」と「ありがとう」が言えないからだと思う。絶対にそうだ。
 剣道には《敵》ではなくて《相手》がいるのだから、そんな簡単なことがわからなければ、いくらやってもただただ難しいだけなのだ。《敵》を相手に一人で動き回っていて、なにがそんなに楽しいのだろう。《仲間》に囲まれて、ぶつかりあう方がずっと楽しいのに。

 ラブルさんが「心やさしい相手には、めちゃくちゃにかかっていけない。誠意を見せたいと思ってしまう。だから、みのりが心のある元立ちをやれば、道場の人たちはみんな誠意のある剣道ができるようになるよ」と言われた。
 道場の外でも、そんな夢のような関係を築けたらいいなと思う。
とりあえず、わりと簡単そうなことをマイペースでやれば良さそうだ。

 《我以外はみな師なり》ありがとう。ありがとう。

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