2008/04/17

ありがとう




 二月の忙しい時に、友人『か』のブログを斜め読みしていたので、春休みに入ってじっくり読み直そうと、彼のブログを引っ張り出してみたら、『夢十夜』のことが書かれていて、
ドキッとした。
http://kansya385.blogspot.com/
 教育実習で、母校の中学三年生に国語を教えた。受け持ったのは、運慶が仁王を刻んでいるという第六夜だった。今読み直したら、こんなに奥の深い文章を、本当に、このわたしが中学生に教えられたんだろうか、生徒もかわいそうに。それとも、あれは夢だったのかもしれない。
 わたしは第八夜が好きだ。
床屋で鏡に映る、往来の様子を細かく描いたくだりが素晴らしく、自分もこんな表現力があったら良いのにと思う。
 わたしは子供の頃に、《つばめのおじちゃん》って呼んでいた床屋さんと、ニイホ先生という女医さんがやってる歯科医に行くのが大好きで、用がなくても用を作って通っていた。なぜわたしがあんなにせっせと通っていたのか、夢十夜の第八夜を読んで、目が覚めるようにわかった。これは何十年越しの大発見だった。

「自分はその一つ(註・床屋の鏡)の前に来て、腰を卸した。すると、お尻がぶくりと言った。よほど坐り心地が良くできた椅子である。」

 そうだったのか。まさに、あの《お尻がぶくりと言う》感覚と、そのぶくりの椅子に包まれて、居眠りをするのが気持ちよくて、わたしは床屋と歯医者にせっせと通っていたのだ!!そうだそうだ。

「腕組みして枕元に座っていると、仰向きに寝た女が、静かな声でもう死にますと言う」
これは夢十夜の第一夜の出だし部分。

 そうやって、宣言してくれたら、心の準備もできるものだろうか、と思う
さて、時間だ。行こうか。。。

 朝から冷たい雨がひっきりなしに降り続く冷たい日だった。そんな暗い夕方に、わたしはチェックの傘をさして、リリアンの葬儀のために、カーモーのサン・プリヴァ教会に向かった。
 リリアンは、ポーランド語とロシア語の先生で、商工会議所の語学研究所の教師仲間だった。教会の前で霊柩車の到着を待つ人々が、彼女はいつも笑っている人だったから、今日も泣いちゃ行けないよ、と言い合っていた。「わたしわざと派手な服を着て来たわ」と言う女性もいた。
 わたしは英語教師のジェームスと、彼の恋人のパトリックといっしょに、教会のずっと後ろのほうに立った。

 フランスのお葬式は、明るいアーチの下に響き渡る、唄とオルガンの音で始まり終わる。
キリスト教のお祈りの言葉も、意味もわからないので、わたしはみんなのようにアーメンと言ったり十字を切ったりしない。教会の石像の薄く開けた目が見ているものや、指さきの指し示すものに想いを馳せる。彫刻の着衣の繊細なシワに、ポーズに、どんな意味があるのかを考える。アーチやステンドグラスや壁画や絵画の現さんとするものに、心惹かれる。たくさん歌われた賛美歌のなかで、二曲だけは口ずさむことができた。

 「最後のお別れを」
人々が腰をあげる。一人一人、棺の前で、手を合わせたり十字を切ったりした。
わたしはどんなお別れの言葉も見つけられなかったので、ただひとつだけ、思いつくままに「ありがとう」とだけ言った。
いつも元気な大きな声で笑い、人を笑わせていたリリアンには「ありがとう」が似合っている。リリアンが静かに目を閉じているせいで、太陽も元気がない1日だった。でも、太陽もリリアンのようにからからと笑う日が来る

 リリアンは、灰になり、ポーランドに戻る。
自分が死んだら、JPは、一体どこでお葬式をやるんだろうかと思って訊いたら、「そんなこと考えたこともなかった」と言われた。
JPに「教会でお葬式やってもらいたいの?」と訊いたら、「生きてても行かない場所に、死んでから行ってどうする?」と言われた。

 

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