2006/01/30

犬は喜び庭駆け回り、猫はこたつで丸くなる

 月曜日なので、学校と仕事に出て行かなければならない。夕べはもう全然降らなかったが、夜に凍って、月曜日に車が出せなくては困るので、車の周辺の雪かきをした。自宅にガレージがないので、路上に駐車しているのだ。

 学校の周辺に、市役所の人たちが来ていた。スコップで雪かきをして、通学路と学校の出入り口が歩きやすくなった。土曜日も日曜日も市役所はお休みなので、職員も何もしなかったため、月曜日の朝はどこもかしこもパニック状態だった。雪かき用のトラックはどこから借りて来たものか。やっと道路の真ん中を、車が通れるようになった。とはいっても、一台ずつ譲り合って通らなければならない。

 この辺で「譲り合い」というものをお勉強したらいいのだ。普段は無理してまでも二台いっぺんに通ろうとして、歩道を走る車までいるのだから許せない。今日は除雪された雪が、歩道に積み上げられているので、歩道は、車も人間も通れない。自転車もベビーカーも通れない。みんな車道をゆっくり、譲り合って通り過ぎて行く。
 
 土曜日と日曜日は装備した車や、大型の四輪駆動車ぐらいしか通れない状態だったので、町がとても静かだった。排気ガスの匂いもなく、人々は町であいさつを交わし、「きれいですねえ」と顔がほころんでいた。なによりもオートバイという音の公害が、この世から消え去ったのは喜ぶべきことだった。ベビーカーや車いすの人はきっと不自由したに違いない。自転車通勤の人は、一日ぐらい徒歩通勤になるのは、それほど苦ではないのかもしれない。

 7時15分の電車に乗るために7時5分に家を出たJPが、8時20分に帰宅した。電車もバスもなくて、仕事に行けなかったのだ。私は、夜のレッスンにみんな出て来れるのだろうかと思って、一番遠くから来ている男性と、二番目に遠いところの女性に電話したら、どちらも「無理すれば行ける」とのこと。「本当は外に出て行きたくないけど、日本語には出て行きたい」
もう一人の女性はすでに「休みます」と言って来たので、残る一人に連絡をつけて休校にした。またほかの日に代わりのレッスンをする。

 結局JPも私も自宅待機をした。子どもたちは校庭の深い雪で、雪合戦をしたり、雪だるまを作ったそうだ。家に居るより学校で友達と遊んだ方がずっといいだろう。でも、ノエミのクラスでは26人中12人しか来ていなかった。まだまだ雪に埋もれている地域が多い。

2006/01/29

降っても降っても まだ降り止まぬ

 雪は夜遅くまで降り続いた。ついに50センチ以上は積もった。

 私は家の前の歩道だけちょっと雪かきをして、道路を渡りやすくした。日曜日だから、午前も午後も、ジャン・ジョレス公園で雪遊びをするつもりだ。
 
 JPが金魚の水槽を掃除して、洗濯物を干して、朝食のテーブルを片付けている間に、私は「子どもたちがうるさいから」と言って公園に出掛けた。るんるん

 新しい雪だるまを作った。
新しいソリのコースを作った。
ノエミがジグザグで、わざとでこぼこに仕立てた、面白い滑り台を造った。脇にはちゃんと丘に登るための階段まで造った。ゾエにも登りやすくなったので、一人で滑りはじめた。転んでも痛くなさそうなので、放っておいた。

 2003年8月に、滑り台で着地失敗して足首を骨折した経験がある。ボキーっとすごい音がしたらしいのだが、ちょうどJPの母親が下から「パンツ見えるから、やめればいいのに」と言ってたところだったので、まさか「折りました」とも言えず「平気、平気」と言って歩いてみせた。
 自宅に帰って子供にご飯を食べさせて、お風呂に入れてパジャマを着てもらってからJPに「ちょっと痛すぎるから病院連れて行って」と頼んだ。緊急窓口に連れて行かれて「折れてました」と言われた。やっぱりねえ。

 家族に迷惑をかけて申し訳なかったのだが、じつは、あの日滑り台をしたことに関しては、ぜっんぜん後悔していないのだ。滑り台に登るあのわくわく感と、滑り台の頂上に立った時のあの緊張感と、滑る瞬間の爽快な気持ちを覚えている大人が、世の中にどれだけいるんだろうか。そして、滑り台なんかで痛い目に遭う大人も、そうはいないだろう。。。わはは

 2003年8月1日から20日の間に猛暑のために、全国で14802人の死者が出た。(これは9月24日に全国の葬儀社などを中心に発表された数字。それ以前の政府の発表では死者5000人)その恐怖の夏休みをギプスで過ごした私は、もう絶対に滑りものには近寄らないと誓い、滑り台もローラースケートも遠目に見ていた。でも、ああ、ソリ三昧の週末は、もう絶対に忘れられないだろう。楽しくってお腹の底から笑った。笑っていたらJPもボボを連れて遊びに来た。そして子どもたちは滑り台に任せて、JPと雪合戦をした。JPの雪玉に日頃のストレスを感じた。そうそう、せっかくだから、おもいっきり発散した方がいいよ。

2006/01/28

ゆきやこんこ

 金曜日の晩に底冷えを感じたので、雨戸を開けてみたら雪がちらついていた。天気予報でも「注意報」が出ていた。

 そして、土曜日の朝は銀世界。子どもたちが重装備で学校に行った。小学校ではマラソン大会が催されていたので、延期になってみんな嬉しそうだった。幼稚園のゾエのクラスは、担任の先生を始めクラスの90%が休んでいて、ちゃんと出て行った子供は少々「迷惑もの」扱いだった。

 JPは休みなので、わたしにとって土曜日は、たった1人で時間を気にせずどこにでも行ける貴重な日なのだ。でも車が出せないので予定が狂ってしまい、歩いていける美容院に髪を切りにいった。お客さんの一人がカルモーから更に北のロデツという町から来ていて「あっちは今朝だけで1メートル50センチも積もっていた」と言っていた。

 ノエミは雪降る町をJPに連れられて、ヴァイオリンを背負って出掛けていった。ノエミのヴァイオリンの先生も、田舎の方から苦心して出て来ていた。最近は毎日ちゃんと練習しているので、めきめきと腕を上げている。土曜日のレッスンもすっぽかせない。雪の町に出て行くのも楽しそうだった。上手にできたと褒められて戻って来た。せっかく行くのだから、成果が上がらないと先生にも申し訳ないし。。。

 午後は近所の子どもたちといっしょに、ジャン・ジョレス公園でソリをした。ソリの道具は持っていないし、だいたい雪が降った時の準備などはないので、有り合わせのものを着込んだものものしい格好だ。子どもたちに言われてソリのためにゴミ袋を用意した。お尻の下に敷いて、前の方を掴んでシュルーと滑るだけだ。

 生まれて初めてそり遊びをした。
いくら大きくても黒くならない雪だるまを作ったのも、生まれて初めてだった。
土曜日は一日中降って、夜までに50センチ以上は積もったと思う。外の車はすっかり見えなくなってしまった。家の前の道路で動けなくなる車続出で、スクップや電話や、そして手も貸した。

 時間が遅くなるに連れて、車の通りが減り、道路には普段車で通り過ぎるだけのご近所さん達が、徒歩ですれ違って「え?この辺に住んでたの?」などという会話が盛んだった。

 面白かったのは、大人の男性がやけに浮かれていたこと。一人でせっせと雪だるまを作っている60代の人にも挨拶したし、雪合戦をしている40代ぐらいの男性たちの攻撃も受けた。そして、ボボはじっとしているとずぶずぶと雪に埋もれてしまうので、ぴょんぴょんとウサギのように跳ねながら、耳を雪に叩き付けたり、雪をなめたりしていた。寒がりボボもけっこう浮かれていた。

せめて日曜日までは溶けないで欲しい。

2006/01/27

空をあおぐ

 来るか、来るかと待っているが、なかなか来ない。雪雲。
金曜日だったので、朝市には行きたかった。
ムール貝のフリッターというのを衝動買いしてしまった。
「これください」と言った瞬間には「牡蠣のフリッター」だと思っていたのに、試食をしたら味が違ったので、ショックだった。私は「牡蠣」が大好きだ。

 ニューカレドニアでよく「牡蠣」を食べた。遠くの店まで自転車で行って、帰って来たら、自転車の後ろで大量の牡蠣が臭くなっていたこともあった。丘の上に住んでいたので、行きはささーと行けるのだが、帰りは自転車を押して、坂道を登らなければならなかったのだ。

 前年に剣道の先生のお世話をしたら、翌年にいらした先生の息子さんが「遠慮なく食べてください。おごりですよ」とおっしゃるので、遠慮なく牡蠣を4皿頼んだ。ひと皿には12個の牡蠣が入っていた。牡蠣はレストランではいつも「1ダース」で出る。その日は牡蠣の四皿のほかに、エビも二皿ぐらいは頼んだと思う。
 私はエビも好きだ。海のものは何でも好きだ。

 JPは、エビ・アレルギーだ。エビを食べると泡を吹いて、テーブルに吐いて死にそうになる、らしい。まだ見たことがない。面白そうなので一度見てみたいのだが、どうも食道が腫れて、窒息死するかもしれないので、試しにやるにはリスクが大きい。
その代わり、シーフードのお店に連れて行って、JPのところに来たエビ類を一切こちらに回してもらえるので、JPがアレルギーでよかった(?)

 ムール貝のフリッターを買って帰ろうとしたら、ちょっと雪みたいな粒が落ちて来た。
いよいよか。

2006/01/26

いい加減なやつ

 結局二日徹夜して、12時に出す仕事を15時まで待ってもらい「クレームつくかもなー」と思いながら、納品してしまった。「時間あったらもうちょっと見直しできるんですけど」と言い訳した。

 日本との時差があるので、私を見捨てて寝てしまったJPの代わりに、日本の友達に「SOS」のメールを送ってみた。彼は仕事に行く前、朝の忙しい時間に役に立ちそうなサイトをあれこれ送ってくれた。それが大変役に立った。持つべきものはだんなよりも友達である。
東を向いて手を合わせる。

 クレームが来るかもしれないので、来た時にささっと書き直せるようにと思って、いまさらながらお勉強したりしている。訳したものをインターネットのサイト上に書き込む時には、参加させてもらえるので、その時にも推敲の可能性があるからと思って安易に構えている。分野はマーケティングや情報処理。カタカナ用語が多くてとっても苦手。実務の翻訳は、だだーっとやって、2、3日で沢山の知識を得ることができる。なんとなく「業界」のことがわかりかけて、単語にも慣れて来た頃には納品しなければならず、振り返ると「あんな日本語でよかったの」と思うことがたびたびある。マーケティングのプロが作った、ハイテクなサイトは、日本語が少なくて読みにくいものになっている。私はやっぱり時間を掛けて、何度も書き直すことのできる仕事の方が、合っているなあと思う。

 疲れてもうなんにも考えられないので、もう寝る。

2006/01/25

懐かしの テツヤさん

 80年代末に東京の日本語学校で、日本語教師養成講座を受けていた。その講座はとってもインチキで、土曜日しか講義がな行くくせに、授業料だけは高く、一週間の土曜日以外は、がむしゃらに働かなければならなかった。土曜日以外の一週間を無駄にしたくなければ、どこかまっとうな会社のOLとなって定収入を得る道もあったのだが、土曜日一回やってることと一週間ずっとやっていることを比べたら「本格的」になる恐れがあるのはOLの方じゃないだろうか。
 そして、会社で知り合った誰かと早々と結婚をして、夢は諦めて主婦の世界に突入してしまう、安易そうな道もあるかもしれない。私は世間に流されやすいし、道を外しやすいので、OLになったらきっと日本語教師の道は捨てる日が来るのではないかと思った。

 だから、日本語教師の次になりたかった「司書」の道に近づくために本屋さんのバイトを見つけた。本屋さんは当時自給340円だった。正社員と同じように朝10時から午後7時まで毎日働いた。9階建ての渋谷の本屋で、わたしはずっと6階の婦人書と語学書売り場だった。エレベーターはボロでしょっちゅう止まっていたし、そんな危ないエレベーターは客専用ということになっていたので、私は一日中重い本を抱えて階段の上り下りをした。
 本屋のバイトは本を30%引きで買うことができたし、新刊に詳しくなったし、語学書の見本をもらえたし、とっても気に入っていた。でも、そこのお給料だけでは生きていけなかった。

 本屋の側にドーナツ屋さんがあったので、そこで夜勤をすることにした。駅が同じだから定期券を使えるので、自宅からは遠かったけれども、そこで働くことにした。ドーナツ屋さんでは夜の9時から翌朝の8時までが勤務時間だった。売り子ではなくて、店を閉めてから開店までのお掃除と片付けと、翌朝のドーナツを並べる仕事だった。自給480円で朝食の500円がもらえた。ドーナツ屋も本屋も週に2回の休みを取れたので、やりくりして「一日中寝ていられる日」というものもあった。それで「寝だめ」をして、多くの日は午前10時から午後7時まで本屋で働き、家に帰って食べて、着替えて、30分寝て、夜9時から翌朝の8時までドーナツ屋で働いた。「一日中寝ていられる日」を迎えるために、帰りの山手線に乗ると気が抜けて、電車で眠ってしまい山手線を3周ぐらいしたこともあった。

 昨日翻訳の仕事が入って、48時間で15ページぐらいを訳せと言われた。内容が簡単そうだったので受けたはいいけれど甘かった。しかも今や私には家庭というものがあるし、バイト時代から20年近く経とうとしているので、自由に使える時間と体力が足りない。

 徹夜一日目で、もう死にそうだ。

2006/01/24

おばさんとしては、ちょおっと、いい加減にして欲しい。

 以前、クラスの中で仲良くなりすぎて、おしゃべりがうるさい大学生のことを書いた。
先週から、ちょっと怪しいと思ったら、恋人同士になってしまったらしい。
授業が始まる三十分以上も前に教室に来て、抱き合ったり、キスしたりなんかしちゃっている。
  
    あー

 クラスの雰囲気がよくなって、楽しくできるならばまだいいのだが、5人のうちの3人がレッスン中にいちゃいちゃして、身体触り合ったり、「イヤーねー」とか「やめてよオーん」とか言いながら、身体を突き飛ばしあったりされると、机がガタガタいうだけでは済まされない、いろんな音の洪水になってしまって、授業中に必要のない音が響き渡る。
 
 「静かにして」というと「私じゃないもーん」などと言って、彼氏の身体を突き飛ばしたりしている。そして彼氏の方もまた「こいつうー」などなど言って鼻の下を伸ばしている。
 質問しても「はあ?」書く練習をさせて、私がぴったり横についていても、どうしようもない状態。私のことは、無視。いないも同然。

こんなことは初めてだ。

 私とは20歳近くも違うコドモで、親のお金で来ている学生で、けれども社会的には「成人」で、金を出してる親に会うと「うちの子はひとに迷惑などかけたことのないイイ子で、よく勉強している」と信じている。夜遅くにわざわざ何のために来てるのかわからん、というような状態だと感じているが、成人である本人に言った方がいいのか、保護者である親に言った方がいいのか迷っている。親が娘のしていることを知ったら、レッスンをやめさせられてしまうだろう。祖父の代からの教育者一家だそうだから、私の気持ちはわかってくれるかもしれないが、信じてもらえない可能性が強い。我が子を信じているからねえ。

 「あなたがもっと面白い授業をすれば、油断も防げるんです」「厳しくしすぎ。妬いてんの?」と言われるんだろうか。
 大学の講義などで30人ぐらいいるなら、無視できるのかもしれないし、みーんなやってることなんだろうが、5人しかいないクラスで、2人は中学生だし、自分の子供がこういうクラスで落ちつきなく勉強してると思ったら、やり切れない。

 とりあえず、みんな迷惑しているし、私はとってもやりにくいので、二人でよく話し合って欲しいことと、2時間ぐらいは我慢して欲しいことなどを、本人たちに伝えた。一人一人だと大人しくて素直そうなのに、今や強い絆で結ばれた二人組となり、なかなか態度がでかくなった。そして、注意したことでちょおっと雰囲気が悪くなった。「どうせ大学受験の塾じゃあないんだから、クールに行こうぜ」というところか。

 レッスンはあと18回残っている。なんだかこーんなことで憂うつになって来た。
もっと明るくいけないものか。「いっしょに映画を見ましょう」とか「あなたが好きです」とか「二人でお茶を飲みたいです」そういうレッスンをやったらうけるだろう。でもどんどんエキサイトして、ただ騒ぐだけの授業になりそうな気がする。

 普段からいい加減に生きている人間なので、今さらけじめをつけてと言っても難しいのだろうか。クラスのほかのひとが「いい加減にしろ」って言ってくれないかなあ、と思っているが、みんな見て見ぬ振りをしている。私とそのカップルにちらちら目配せして、様子を伺っている。

 なんだか地下鉄の中で、チンピラにちょっかい出されているオジョーさんを助けられずに、見て見ぬ振りをしている乗客その他の雰囲気に似ている。

 じゃあ、私は一体なんなのだろうか。。。チンピラ? オジョーさん?