2006/02/01

奴隷を思い出す日

 1月30日、ジャック・シラク大統領が「5月10日を奴隷制度と解放について顧みる日」とする発表を行なった。(正式な日本語訳は不明。勝手に私がこう訳しました)何日にするかの候補は沢山あったらしいのだが、2001年のトービラ法によって「奴隷制度は人権を尊重しない悪い制度であり、一人の人間を奴隷のように扱った場合は法的に厳しく罰せられる」とフランスでもはっきり文書で書き表された日、なのだそうだ。

 フランスは1677年に、セネガルのゴレ島という奴隷を集めて船に積み込む島を、イギリス・オランダに続いて占領し、最盛期の1786年には2083人もの人をアフリカ全土から集め、アメリカに送っていた歴史がある。奴隷制度は1815年に中止になっているので、2001年になってなぜ今さら「奴隷が人権損害である」と文書に記される必要があったのか。

 身近なところでは、近年でも大都市を中心に、移民などを家政婦や庭師などと称して自宅に招き、300年前の奴隷のようにこき使っている人々が、今でも存在していることが、次々に報道されたという背景もあるかもしれない。奴隷の存在は完全になくなってはいないのだ。それは一人の人間を奴隷と考える人間が、現代でも存在するということだ。

 また、移民問題が深刻化しているが、その移民たちの多くは、かつての植民地であった国々や、フランスの海外領土として今も残る本土からははるか遠くの島々から、フランス本国に移民して来た人たちだ。
 過去にフランスがして来たことをどう受け取るか。植民地から来た移民と、その子孫たちの人権を守らないばかりか、差別をするということがあっていいのか。もっと反省して欲しい、考えて欲しい。そんな願いを込めてたくさんの人たちがこのような「日」を設けることを願い続け、そして実現した。

 私が「奴隷」「移民」という言葉に敏感になったのは『サトウキビ畑のカニア』を翻訳した時からだ。この本はグアドループという、カリブ海にあるフランス領の小さな島で暮らす、フランス国籍の男性が書いた子供のための本だ。子供の友情のほかに、土地に根ざした様々な形の差別や、人種の問題が取り上げられている。
 グアドループという島は、砂糖やラム酒を作るサトウキビと、バナナ・パイナップルの生産が盛んだ。奴隷制度が終わってからも、低賃金労働者と名前が変わっただけの、奴隷と変わらない生活を強いられた、インドや中国やアフリカからの移民が多く、その子どもたちが生まれ育った島だ。

 その島の出身者であるマリーズ・コンデ(『生命の樹』の原作者)も、この5月10日という日付を決める委員会に加わっている。
日付は決まった。じゃあ、何かあるだろうか。
 一年に一回、奴隷の歴史や侵略の歴史を思い出す日。学ぶ日。虐待や虐殺の反省をする日。子孫の今を振り返る日、というのができたのは、ある面では好ましいと、私は思っている。

 でも、委員会に加わっている知識人、歴史学者などの討論を聞いていると『政治的な面』だけでこの日が設けられたと考えられなくもない。フランスのように植民地を持った歴史のある国では「発見して開拓した」のか「侵略され虐殺された」のか『したもの』と『されたもの』の間で討論が尽きない。
 政治的に表面上「私たちだってね。反省はしてるんですよ。昔のことは忘れましょーや」というためだけに『顧みる日』を設けたのだったら、あまり意味はないし、国民には定着しないだろうという、歴史家や子孫たちの懸念はわからなくもない。また、子孫たちは「昔はこうだったから自分たちはかわいそうな子孫だ」と訴えたいのではなく、「昔はこうだったが今はこんなに人間らしく生き、未来に向かって努力しているのだ」と見てもらいたいというようなことを言っていた。

 政治家の発表ではないので祝日でもないが、数年前から「おばあちゃんの日」や「婦人の日」などが盛んになった。その日にちなんでおばあちゃんへの贈り物キャンペーンや、婦人をいたわる催しなどがあり、デパートや花屋ではクリスマスやバレンタインデー並の「稼ぎ時」のようだ。

 「奴隷の日」では、商売にはならないだろう。

 日本では「侵略した国に謝る日」はそろそろ設定されたんだろうか?「侵略したところ1」「侵略したところ2」たくさんの侵略記念日ができるだろう。
 アメリカには「虐殺した原住民を想う日」も「奴隷制度を反省する日」もないが「キング牧師の日」というのがある。奴隷解放に命をかけた人だ。

 フランス語の関連記事はこちらhttp://www.afrik.com/article9394.html
アフリカの人々が奴隷としてアメリカ大陸に送られた基地である、セネガルはゴレ島の写真、その他セネガルで見た動物の写真を「NOZOMIの関心事」で公開しています。

Aucun commentaire: