2008/06/01

五輪書(ごりんのしょ)宮本武蔵著




 剣道のドレイ先生からいきなり電話が来た。「こんにちは」のあと、「ちょっと待ちなさい、あんたと話したいって人がいるから」と言われて、知らない女の人の声に変わった。その女の人は、アルビの武道館の人で、近々6月の武道館年度末発表会があるのだが、会場に飾る6メートルの垂れ幕に、お習字でなにか書いてもらいたい、というのだ。

 いくら恥知らずなわたしでも、そんな迷惑なことはできない。
わたしは確かに日本で少女時代を過ごし、れっきとした日本人で、いちおう学校も出ている上に、外国人の前では日本語教師なんぞとエバッて、居ることはいるのだが、信じられないぐらい字が汚い。
 「字は体をあらわす」と言われるのが事実で、そんなことを真に受けて
「よ〜おしみのりさん、ここになんか書いてみなさい。あなたがどんな人か当ててみますから」
と言うような人が目の前に現れたら、わたしはダッシュで逃げる。一目散に駆ける。穴があったら入る。
「あなたは精神不安定で、無知で、脳みそは空っぽで、心はどん底まで濁っていて、インチキ臭いヤツで、ろくでなしで、いい加減で、忘れっぽく、辞書を見るのが嫌いで、コツコツ練習するのも嫌いで、「丁寧」って言葉を知らず、思いやりがなく、人の迷惑はどーでもいいんだね」などなど。。。が、ことごとくバレバレになってしまうような、字を書く。
 JPのほうがずっと字がうまい。(その上知ってる漢字の量も、彼が上)

 「ええと。。。お習字道具を持ってないし、とにかく、お習字ってものが大嫌いで、恥をかきたくないのでできません」とお断りしたら、「でも、日本人、なんでしょ?」と言ってくれる。
「いちおう。でも、日本人がみんなお習字上手かと思ったら大間違いなんですよ」 
「上手に書いてるかなんて誰にもわからないんだし」
「そうは言われても、こっちは恥ずかしいんですよ。とんでもなく汚い字なんですから」
「困ったなあ、素敵な装飾になると思ったのになあ」
がっかりさせて申し訳ない。「素敵な装飾」を目指していらしたなら、なおさらだ。
最後の手段なので、こう言う。
「わたしは書道の《黒帯》じゃないので、人前で下手なのを披露できないんですよ」
「そりゃあ、そうだわねえ〜」
柔道やってる人だったら、有段者じゃないから人前に出れないと言えば、とりあえずピンと来る。

 代わりに、ものすごく高い授業料を取って、ひらがなも教えずにいきなりお習字をやらせている、ヒーさんという書道の黒帯選手の電話番号を教えてあげた。ヒーさんは(そうは見えないけど)れっきとした日本人で、おまけに書道は師範級だっていう(本人からの)うわさ。まあ、書道を教えてるんだったら、自信はあるでしょう。
 ヒーさんだったら、遠慮せずに「じゃ、1メートルにつき40ユーロもらいますので」とはっきり言える人なので、大丈夫だろう。わたしにはとてもとても。
 「ちょっとよろしく」と頼まれたときに、「わたしはお習字のプロなのでお金もらいますよ」と言える人のほうが、絶対にいい仕事ができると思う。

 木曜日の晩に、剣道に行った。
フランス・ナショナルチームのメンバーだった、チュヴィさんがミヨーという町から来ていて、一緒に稽古した。60歳ぐらいの人で、この人がナショナル・チームのメンバーだったころは、まだまだとっても平和だった。日本人の先生(たいていおじいさん先生)との交流も深く、日本人の先生たちは勝つことよりも、剣道とともに生きることについて教えてくれていた時代。だから、ドレイ先生やチュヴィさんと話していると、恩師の佐藤先生を思い出す。相手に勝つ前に自分に勝つということや、二段技・三段技なんかをバシバシやって、数打ちゃ当たるの剣道よりも、溜めて引き寄せてから、相手がこらえなくなったところに、大きく美しい面を一本決めるという、夢のような剣道を目指しましょうよと教えてくれる。
 
 週末。武蔵の書いた『五輪書』を読み直した。
心惹かれるくだりがある。

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 大将は大工の棟梁として、天下のかね(天下を治める法)をわきまへ、其の国のかねをただし、其の家のかねを知ること、棟梁の道なり。大工の棟梁は堂塔伽藍のすみがねを覚え、空殿楼閣のさしづを知り、人々をつかひ、家々を取り立つる事、大工の棟梁も武家の棟梁も同じ事なり。家を立つるに木配りをすること、。。。。(略)。。。。よく吟味してつかふにおいては、其の家久しく敷くづれがたし。。。。(略)。。。。果敢(はか)の行き、手ぎわよきといふ所、物毎をゆるさざる事(細心の注意を払うこと)、たいゆう知る事(使いどころを知ること)、気の上中下を知る事(やる気があるかどうか)、いさみを付くるという事(勢いを付ける)、むたいを知るといふ事(限界を知る)、かやうの事ども、棟梁の心持ちにある事なり。 

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 大工さんの言う「木配り」というのは、適材を適所に配する事だとあるが、「気配り」と繋がっているんだなあ〜と思って、いたく感動した。わたしは人を遣う「大将」ではないけど、自分を遣う自分の大将なので、学ぶことがある。周りには「立派な棟梁」と思ってエバっている人もいるので、そういう人を見ながら、「コイツには勝てる」と思ったり、してみる。

 「棟梁」に置き換えられた「大将」の次に、「大工」としての役割を持つ「士卒」の項目があって、こちらは、道具を揃えて、お手入れをちゃんとやり、いつもきちんとお道具箱に入れて持ち歩く。。。というようなこと。大工の技をしっかり学んで修行を積めば、いつかは棟梁みたいに立派な人になれるんだぞお〜、というような事が書かれている。

 刀を持たず、人を切らずに、相手の前に自分に勝つことができたら楽しいなあ。と思って、こんな本なんか読んじゃってる。さて、しっかり読んで、次回の稽古に備えよう。実際には呼吸乱れ、錆び付いた身体がきしむ音は聴こえても、美しい一本の決まる瞬間は、なかなか見えないのであるなあ〜。先は長いなあ。

 チュヴィさんが、「とっても素晴らしい出ばな面を取られた〜」とおっしゃったので、とっても嬉しかった。「出ばな面」というのは、相手が飛び出してくる瞬間を捕らえて、相手よりも先に面を決めるもので、トロくて腕が短いわたしにとっては、もっとも難しい技のひとつなのだ。ふふふ。まだ捨てたもんじゃあないねえ〜。

 さて、再来週もがんばろう。(来週は剣道に行く暇がないので)

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