2006/11/01

しゅっぱーつ

 ノエミはトゥーロンという街で生まれた。マルセイユからイタリアに向かって1時間ばかり走った、地中海沿岸の街。ここにはフランス海軍の基地がある。ノエミは海軍病院で生まれた。この街に2年ぐらい住んでいたが、JPの定年退職を機会に今の県に引っ越した。

 ここには日本人の友達も居て、今もよくメール交換や電話でおしゃべりをする関係。一人は鹿児島出身の《と》さんで、鹿児島弁でしゃべれる間柄。年もほとんど同じで気を遣わない。

 気を遣わないついでに、「ちょっと泊めてよ」と言ってしまった。そんな人でも居なければ、コートダジュールの入り口とも呼べるトゥーロンのホテルなんぞ、泊まれないしねえ。。。

 義父母の家を朝早くに出た。さっさと出た。途中まで高速を走って、いつの間にか高速から降りてしまっていた。それでもかなり調子よく走って、お昼には夏休みに友人と来たアルルに達していた。ノエミは乗馬キャンプに行っていて、夏休みには私たちと一緒に旅行できなかったので、アルルには来ていない。ここには古代の円形競技場があって、今でも闘牛が行われる。それを観に行くことにした。義母に作ってもらったサンドイッチを食べて、再び車に乗り込む。
 JPから「絶対にマルセイユの街の中には入り込まないように。アルルからは高速を使うように」と言われていたのに、マルセイユの街の中に入ってしまっていた。それでも、この日は祝日だったせいか、街に地元の車は少なかったので、クラクションを鳴らされることもなかった。県外ナンバーの車はみんなおどおどした雰囲気で、さっさと道をあけてくれた。

 マルセイユさえクリアできたら、トゥーロンはすぐそこだ。街に入るとすぐに軍の建物が見えてくる。市役所の前がすぐに港で、子供たちはもう嬌声を発している。住んでいる時には絶対に使うことのなかった、有料駐車場に車を入れて、港を歩いた。堤防から10センチほどの所にもう水が迫っている。魚が見える。ゾエがうれしそうに跳ね回っていて怖い。外国からやってきた巨大な帆船や、かわいい釣り船。そして、旅行の大きな目的だった軍港巡りの観光船。

 もう16時頃で、暗くなる前に友達の家に着きたかったのだが、すぐに出港すると言われて、翌日の天気の悪さなども心配だったので、観光船に乗ることにした。私たちを含めて、3つのグループしか乗っていなかった。ミストラルが吹き荒れている。

 軍港に入ると、この前テヘランに行っていた《ミストラル》という船や、JPがむかし乗っていたような船、フランスが誇る、そして故障続きで有名となった原子力空母の《クレモンソー》が修理のため停泊していた。珍しいレーダーの船や、海上で運航しながら燃料補給のできる船、ヘリコプターや戦車を乗せる船。。。ノエミはアナウンスに聞き入っている。

 カンヌ映画祭の時に現れたという、どくろマーク入りの黒い船体をした海賊船や、空っぽの豪華ヨットを10艇ばかり積んでマイアミまで帰るという、ヨット運搬専用の大きな船。。。というものまで見た。マイアミからヨットで旅してきたお金持ちは、トゥーロンまで来たらヨットを置いて飛行機でマイアミに帰ってしまうので、空っぽの船を連れて帰る必要があるのだ。へえー

 暗くなってしまった。友達の家も知らないのに。。。おまけに途中で高速の方向を間違えて、《と》さんに電話している合間に電話がぶちんと切れた。困るよなあ。。。
《と》さんが住んでいるはずの街を、ぐるぐる走って、自分の走り書きのメモを何度も見直した。
「信号ー二つ目ー左」
並んでない。あちこちにこの三文字が走り書きされている。
「二つ目の信号を左」と言われた気もするのに、走っているうちに「信号のあと、二つ目を左」と言われたような気がしてきた。
「そこまで」という所で一時間以上も潰してしまった。ついに、営業間際でコックさんが食事中のレストランに突撃をかけて、地図をもらい説明させた。

地図をもらったのに、それからまたしばらくぐるぐる走り回り、結局真っ暗になってからやあっと到着した。
 子供たちは意気投合。ノエミが誰と寝るかでジャンケンまでしている。《と》さんとご主人は、寝室をわたしとゾエのために空けてくれた。なんてこと!
《と》さんの心のこもった夕食。和風ドレッシングの春雨サラダに、おにぎり、そしてなんと焼き肉っ!!おいしくて、三杯か四杯おかわりをしてしまったのだアアア。この一ヶ月ダイエットに励んできたというのにいいい。

 前日も、この日も、ずいぶん疲れていたはずなのに、全然眠れなかった。興奮しすぎ。

とりあえず到着できたので、めでたしで明日へと続く。


 

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