先日、ナルボンヌから帰って来る途中で、家族ケンカのせいで車の中があまりにも加熱してしまったためにーーそうとしか考えられないーー、走る気力をなくしちゃった我が家の自家用車。彼女は(フランス語では自動車は女性名詞)まだ我が家に戻らない。国道の非常用電話で呼んだトラックが運んでくれたのは、行ったことも聞いたこともないような田舎のガレージで、普通ならば貸してもらえる臨時の代車の用意もなかった。なので、私たちはタクシーでカーモーまで帰った。
フランスでタクシーに1時間以上も乗って、こんな遠くまで送ってもらったのは、生まれてはじめてだ。100ユーロぐらい掛かってしまった。(タクシー代は保険で降りる。ほっ)自宅に帰って来たら、郵便箱がいっぱいになっていて、そのなかには(待ちたくないけど)お待ちかねだった、先月の電話料金の請求書も来ていた。先月は日本にたくさん電話したので、例月の10倍も払った。普段滅多に電話を使わないんだから、まあ、良いんじゃないのと思う。JPは今のところ何も言わないが、
「電話代で消える金で、日本に帰っておいでよ」
と言わないかと思って待っている。
車の故障と請求書に対面する以前に、すでに、
「今月は赤字だな〜」
と思いながらバカンスに出掛けていた。のだけれども。。。
ナルボンヌで思いがけず、お小遣いをもらった。ほほお〜
お誕生日と言えば、おこづかいなのであるのであるう〜〜。
数年前まで義父母はお誕生日にいろんな物品をくれていた。フリーマーケットで買った骨董品とか、今流行の小型家庭電化製品とか、義母のへんな趣味の装飾品とか。。。
そういったものの多くが、いかに無駄で、あげるほうの希望に添うことが難しく、ときに狭い我が家には邪魔だったり、子供のいる家庭には迷惑だったりすることも、考えられるんだよな〜、ということが、10年以上掛けて理解できた、らしい。
三年前に築百年以上の古い町家を買ったわたしたちには、必要なものが溢れている。なので、この頃は「家のものでも買いなさい」と言ってお誕生日やクリスマスや、いろいろな記念日に、お金をくれることが多くなった。誕生祝いで板や工具を買ったりしてきた。でも、毎回お金ってわけでもない。もちろん、そこは、それ、フランス人なので、できる時だけ、もちろん。お金をくれる時には、当たり障りのない小さな記念品もいっしょに添えてくれる。フランスではお祝いごとにお金をやりとりすることは習慣としてはあまりないので、お金を渡すのはいけないことのように感じるようだ。小切手切って、ハイよと渡す人もいるが、うちの義父母はちゃんと封筒に入れて、カードに「好きなものを買いなさい」とひとこと添えてくれるので、人情はある。
誕生日だからといって、いつもいつもお金がもらえるわけではないから、あまり期待してはイケナイ。今回も「まあ、だったらいいな〜」と、思ってなかったヨと言ったらウソになるけど、なにせ、今月末が赤字なのはわかっていたので、ここのところ毎日「お金が降ってこないかな〜」と祈っていたのは確か。「お金が降ってきました。ありがとう」のおまじないも、ちゃあんと唱え続けていた。
宝くじを買おうかと思ったほどなのに、宝くじを買う小銭さえ勿体なかったので、まあ、運を天に任せて、月末が静かに過ぎ去ることだけを祈っていたのだ。お金が足りてる時でも、余ってる時でえも(滅多にないけど)宝くじを買うような勇気(?)はない。わたしは人の運はついてるけど、金運にはそっぽを向かれていると、ずいぶん昔から気づいている。
と、いうわけで、お誕生日にお小遣いをもらって、赤字を切り抜けたのだ〜〜。
感謝感激。ありがとう、メルシー。グラシアス。ダンケシェ〜ン。
自宅に帰り、子どもたちは改めてお祝いの絵を描いてくれ、JPは、夜中にこっそり台所で何やってるかと思ったら、ケーキを焼いてくれた上に、台所に盛大な花束も飾ってくれていた。
歳をとるのも悪くないなあ〜。
自動車は戻らない。なので、自転車で活動している。
このまま自動車は、ガレージで面倒見てもらえないものだろうかと思うほど、自転車のある暮らしは楽しい。
身体に優しい歳にする。つもり。
ゾエがJoyeux Anniversaireは長過ぎて書けなかったから、Bonne Anneeにしといたからね、と言って、習いたての筆記体でBonne Aneneee と書いた紙を持って来た。金色のドレスの女が激しく踊っている絵付き。
「良いお年を」の意味。その通りなのでヨシとしよう。
2008/04/28
2008/04/26
バカンス〜〜

春休みも終わろうとしている。JPは、子どもたちの春休み二週目に、一週間の休みを取った。屋根裏部屋の改修工事でもやってくれるのかと思ったら、実家に行くというのである。ああ〜。
5日間のうち、3日は大雨だったのだが、残りはいいお天気となって救われた。
リル・シュル・テットという所に、二時間ぐらい掛けて行ってみた。砂の山が、風でボロボロに崩れた、壮大な風景の見られる場所だった。崩れた山肌は、ひだののようになっていて、《パイプオルガン》という名前がついている。
私たちは近くの野原でピクニックをした。JPはレストランに連れて行ってくれると言っていたのに、子どもたちにピクニックのほうが良いと言われてしまった。
雨が降った最初の3日に、本をたくさん読んだ。
『ぼくが電話をかけている場所』レイモンド・カーヴァー(2回目。オチがなく、いつの間にか終わっている短編に、なぜか余韻だけが残る。不思議だ)
『水は答えを知っている』江本勝(お水にありがとうのいつもの友人『か』お奨め書。心温まる言葉を浴びた水は、心まで温めてくれそうな結晶になる。写真がきれい。)
『センセイの鞄』川上弘美(オチに味あり。でも、期待はずれなオチだったな?川上さんの文章、けっこう好きかも)
『袋小路の男』絲山秋子(ついこの前に続き、すでに2回目。クセになりそう)
『11人いる!』萩尾望都(実家にあった漫画。SFはあまり好きじゃないけど、つい読んでしまった)
『重耳(上)』宮城谷昌光(中と下まで全部読む根性、あるかな?とっても面白い)
本をたくさん読むーーというのがこの春休みの目標だったので、持って行った本が全部読めて嬉しかった。おまけに、義母の婦人雑誌も片っ端から読みあさり、料理のレシピをたくさん切り集めて来た。パソコンのチェックは一回だけやった。日本語で返事できないのを理由に、おおかたは見ていないことにした。。。。以前は、パソコンが1日でもチェックできないとイライラしていたのだが、このごろのわたしは、なにが優先か、ちょっとわかってきたのかもしれない。
おととい、ナルボンヌから帰って来る時、後部座席で娘たちが姉妹喧嘩を始めた。喧嘩と言っても、ご機嫌なゾエが鼻歌を歌い始め、それが30分以上も同じフレーズなのに腹を立てたノエミが『うるさい。やめろ』を三百回ばかりコピーして、ついに、両親までキレた。こいつらは、まったくもって、限りなく、病的にしつこい。
『ルルルンーやめてよ。ルルルンーやめてよ。ラリラリーうるさい。ラリラリーーうるさいー。タララ〜ーおんち。タララ〜おんち』が一時間以上も続き、気が狂いそうになる。
『ルルルンーおんちーいい加減にしろー2人とも静かに』の四拍子が、
『ラララ〜うるさいー耳が痛いー2人ともアホ臭いーケンカが幼稚ー程度が低いーいい加減にやめてー降ろすよー降りたいー』連発、苦しみの九拍子になり。もう拍子も取れない。
終いにはなぜか知らないが「お母さんはわたしよりもゾエを愛しているんだ」の、ノエミ音頭が始まり、JPがイラつきはじめる。
「こりゃ〜いけないなあ〜。もーやだな〜」と思っていたら、車が、《ぷすっ》と、本当に《プシュッ》と、炭酸が抜けるように、まるでくしゃみをするみたいな音を立てて、《ヒョロ〜〜〜〜》と停止した。
「もう全然走る気なし」って感じだった。
ノエミがついに黙った。家出するとか言ってたクセに、今度は「緊急の電話を探してくる」と言って、道路脇を走って行く。(こんな時に限って携帯は充電切れ)
電話を掛けに行ったJPと交代してボボのおもりをするとノエミが張り切って言い、不安がってるゾエに優しい言葉をかけ、まあ〜そうこうしているうちに、近所のガレージからトラックが来てくれたので、わたしたちは知らない田舎のガレージに車を預けて、タクシーでカーモーまで帰って来た。
カーモーに着いた時には、もう誰も怒っていなかった。そして、みんなで五体満足、帰り着いたことにだけ、ほっとした。
大急ぎで用意した、ハムとトマトソースだけのパスタに、誰も文句を言わなかった。
2008/04/18
雨なので

午後の三時に、電気点けなくちゃならないような日は、家の中が一日中暗いので、学校でも一番暴れん坊な男の子の友だちに、家に来てもらう。子どもたちには「喧嘩したら、おもちゃはすべて家に置いて行きます」という書類にサインさせた。明日からナルボンヌのJPの実家に行くので、おもちゃを持って行けないのは、ちょっと辛いだろう。
気にいってるおもちゃとは。。。
NINTENDO DS
シルバニアンファミリー(日本の従妹にもらった)
プレイモビル
子どもたちがぎゃーぎゃー言ってるのを完全無視して、春休みになってから、わたしは手紙を書き続けていた。
3週間かけて6回も書き直した手紙を、今朝やっと送った。肩の荷が降りた代わりに胃が重くなった。
本ならいっぱい読んでいる。
ゆうべは『教養としてのスポーツ・身体文化』なる本を読んだ。國學院大学の教科書だが、縁があってこの教科書を戴いた。武道の項目で、剣道競技審判で、審判員の主観に負うところが多い指摘があり、審判の妥当性、信頼性に関わる問題であると述べられている。審判員に嫌われてたら、試合でなかなか一本取ってもらえない。。。そういうことを思い出す。
ガッツポーズを見苦しいものとする剣道の習慣や、声援しないことについて。規定でもないのに暗黙の規定となっている様々な『間違い』について。様々な習慣を『それが当たり前』と決めつけず『なぜそうなのか』と考える姿勢を持ち、武道に見られる伝統や文化の意味を問い直すべきだとの表記があって、興味ぶかく読ませていただいた。
『自分を粗末にするものは、上達がおぼつかない』とは、まさに、剣道だけのことではないなあ〜と思いながら読んだ。
若い人たちに、こんな教育をしてくれる先生が、いるんだなあと思って、頼もしくなった。
それから、一度挫折したことのある『言語の脳科学』も、再び出して来て読んだ。
「言語に規則があるのは、人間が言語を規則的に作ったためではなく、言語が自然法則に従っているからである。」
というチョムスキーの言葉がある。脳化学を研究している著者が、科学的な面から、言語を習得する脳について述べた本だ。とっても難しい研究書だ。
脳は、とっても複雑で、まだまだ解明されていない謎が多いので、この本でも「今後の研究に期待がかかる」みたいな点が多くて、ちょっとがっかりした。でも、ひとつ、とっても感銘を受けたことがあった。
「人間は、ほかの動物と違って、何十年もかけて大人になって行く。だからこそ脳が複雑に育って行く時間もあるわけで、複雑な脳の構造を作っていくのにも都合が良い」というようなことだった。
そうかあ。時間掛かってるから、脳も複雑に出来上がるのか。じゃあ、時間掛けてる分、できるだけ多くのことを取り込まなくちゃ。
これからTom Waits を聴きながら、子供たちに頼まれて、人形のお洋服を縫うつもり。
今日はお菓子を作らない。昨日、日本から船便の小包が届いた。その中に、2ヶ月前に買って日本から自分で送った、いろんなお菓子が詰まっていた。
ゾエは栗羊羹が大好きだ。。。「ン〜おいしい〜」と目を閉じて鼻を天に向ける姿は、《ミーさん》のチョコレート以来だ。
栗羊羹とは、ちょっと意外。。。
あ、お日様が。。。
2008/04/17
ありがとう

二月の忙しい時に、友人『か』のブログを斜め読みしていたので、春休みに入ってじっくり読み直そうと、彼のブログを引っ張り出してみたら、『夢十夜』のことが書かれていて、
ドキッとした。
http://kansya385.blogspot.com/
教育実習で、母校の中学三年生に国語を教えた。受け持ったのは、運慶が仁王を刻んでいるという第六夜だった。今読み直したら、こんなに奥の深い文章を、本当に、このわたしが中学生に教えられたんだろうか、生徒もかわいそうに。それとも、あれは夢だったのかもしれない。
わたしは第八夜が好きだ。
床屋で鏡に映る、往来の様子を細かく描いたくだりが素晴らしく、自分もこんな表現力があったら良いのにと思う。
わたしは子供の頃に、《つばめのおじちゃん》って呼んでいた床屋さんと、ニイホ先生という女医さんがやってる歯科医に行くのが大好きで、用がなくても用を作って通っていた。なぜわたしがあんなにせっせと通っていたのか、夢十夜の第八夜を読んで、目が覚めるようにわかった。これは何十年越しの大発見だった。
「自分はその一つ(註・床屋の鏡)の前に来て、腰を卸した。すると、お尻がぶくりと言った。よほど坐り心地が良くできた椅子である。」
そうだったのか。まさに、あの《お尻がぶくりと言う》感覚と、そのぶくりの椅子に包まれて、居眠りをするのが気持ちよくて、わたしは床屋と歯医者にせっせと通っていたのだ!!そうだそうだ。
「腕組みして枕元に座っていると、仰向きに寝た女が、静かな声でもう死にますと言う」
これは夢十夜の第一夜の出だし部分。
そうやって、宣言してくれたら、心の準備もできるものだろうか、と思う
さて、時間だ。行こうか。。。
朝から冷たい雨がひっきりなしに降り続く冷たい日だった。そんな暗い夕方に、わたしはチェックの傘をさして、リリアンの葬儀のために、カーモーのサン・プリヴァ教会に向かった。
リリアンは、ポーランド語とロシア語の先生で、商工会議所の語学研究所の教師仲間だった。教会の前で霊柩車の到着を待つ人々が、彼女はいつも笑っている人だったから、今日も泣いちゃ行けないよ、と言い合っていた。「わたしわざと派手な服を着て来たわ」と言う女性もいた。
わたしは英語教師のジェームスと、彼の恋人のパトリックといっしょに、教会のずっと後ろのほうに立った。
フランスのお葬式は、明るいアーチの下に響き渡る、唄とオルガンの音で始まり終わる。
キリスト教のお祈りの言葉も、意味もわからないので、わたしはみんなのようにアーメンと言ったり十字を切ったりしない。教会の石像の薄く開けた目が見ているものや、指さきの指し示すものに想いを馳せる。彫刻の着衣の繊細なシワに、ポーズに、どんな意味があるのかを考える。アーチやステンドグラスや壁画や絵画の現さんとするものに、心惹かれる。たくさん歌われた賛美歌のなかで、二曲だけは口ずさむことができた。
「最後のお別れを」
人々が腰をあげる。一人一人、棺の前で、手を合わせたり十字を切ったりした。
わたしはどんなお別れの言葉も見つけられなかったので、ただひとつだけ、思いつくままに「ありがとう」とだけ言った。
いつも元気な大きな声で笑い、人を笑わせていたリリアンには「ありがとう」が似合っている。リリアンが静かに目を閉じているせいで、太陽も元気がない1日だった。でも、太陽もリリアンのようにからからと笑う日が来る
リリアンは、灰になり、ポーランドに戻る。
自分が死んだら、JPは、一体どこでお葬式をやるんだろうかと思って訊いたら、「そんなこと考えたこともなかった」と言われた。
JPに「教会でお葬式やってもらいたいの?」と訊いたら、「生きてても行かない場所に、死んでから行ってどうする?」と言われた。
2008/04/10
人は、一度巡り会った人と二度と別れることはできない

母に電話して、相変わらずバカ話をしながら、ガハハと笑った。
母がいきなり「ナカマタダイサクくんを覚えているか?」というので、びっくりした。ナカマタダイサクくんのことなら、よく覚えている。
身体が小さくて、口は一文字にきりっとしており、色黒で、脚が速く、頭のよさそうな声をしていて、確かに頭が良かったので、わたしが入れた高校には、彼は入らなかった。
「ナカマタくんのご両親にばったり会って、世間話をしたんだけど、ナカマタくんのお父さんが『みのりちゃん元気ですか?』と訊いていたよ。みのり、悪いことできないね」というので、わたしはナカマタくんが40歳になっているだろう顔を想像して、それぐらいの歳のナカマタくんのお父さんを想像してみた。運動会でいつも1番だったナカマタくんの体操服姿は思い出せても、40歳のおじさんになっている姿は、どうやっても想像できなかった。
「お母さんが、折田先生はお元気だろうかって訊いていたよ」
去年の夏に、折田先生には知覧のご自宅でお会いしたので、「お元気ですよ」と伝えることができたそうだ。
私たちの《おぼうさま》をクスノキに彫ってくださったのは、4年の時の担任だった折田先生で、あのクラスにナカマタくんも居たのか〜と、懐かしくなった。
またもや翻訳の本の読み直しをしていた。今度こそ最後。調べものの再確認などや、個人的な興味も手伝って、ユダヤ教のことを調べていたら、《ユダヤ歳時記》という面白いサイトに出逢った。ニューヨークに住んでいる日本人女性で、結婚の関係で、ユダヤ教に改宗したという経歴をお持ちの方だ。質問のメールを送ったら、すぐにお返事をくださって、わたしはまた、ひとり、遠い空の下にメル友を持てたような気がしている。教育のことなども聴いていただいている。うれしい。この方の名字が、わたしの本の主人公で、ユダヤ人のおじいちゃんの名字とまったく同じ。あまりの偶然に驚いてしまった。
数日前からちびちび読んでいた『パイロットフィッシュ』を読み終えた。一気に読んでしまえる本だったのに、時間が掛かったのは、新しいページを開くごとに、やるせない気持ちになったからじゃないか、と思う。
この本を読んでいる間中、本を手に取るたびに、呼吸が乱れた。
鼻から動物の骨を吸い込んでーーそれはたぶん、完全なY字型をしている鳥の胸骨かなにかで(そんな物は鼻からは入らないんだけど)ーー、それが、心臓と胃の中間辺りの、脂肪と筋肉の間の、わけの分からない液体の中で、きしみながらもだいているような、落ち着かない不安と切なさに包まれる本だった。
19年間も、さようならを言えなかったぼくが、昔の恋人に呼ばれて、待ち合わせの場所に行く。「19年前にどうしてもさようならと言わせてくれなかった彼女が、さようならをするために、ここに来てくれたんだ」と山崎がつぶやく瞬間に、「ああ、そうだったのか」と涙が出た。
彼女とはもう会えないかもしれないけど、ずっとここにいてくれる。彼女は長い間ぼくのそばにはいなかったのに、本当はずっとそばにいた。
始発の誰も乗っていない電車の暗い窓に映った、透明人間の自分を見ているよりも、寂しくなった。
今朝、たった一人で朝食をとりながら、ピース・クボタ氏がわたしのために、心を込めて作ってくれた、オリジナルカセットを聴いていた。いつも知的作業をする時に音楽が鳴っていると集中できないので、書斎では音楽を掛けない。台所でジャガイモの皮なんかを剥いている時に、音楽を掛けることもあるけれども、じっと歌詞に耳を済ませるようなことはない。じっと座って、音楽と歌詞をちゃんと聴くことができるのは、何もしていない時で、何もしていないことが滅多にない。だから、今朝「一人で音楽を聴く」ことができて、とても貴重な時間が過ごせた。
そんな時に大沢誉志幸じゃなくてハナレグミのほうの、『そして僕は途方に暮れる』が一曲目に入っているカセットというのは、あまりにもタイミングが良すぎる。そして、途方に暮れてしまったわたしは、ボボを連れて、春の公園まで散歩することにした。
公園で、子猫の悲しい声に呼ばれて、鼻から入った鳥の胸骨に関する思考が中断された。足元を見ていたわたしの頭が、階段の上のほうに持ち上がり、耳がアンテナのようにひくひく動いた。猫のサイレンはだんだん近くなり、遠くなり、わたしは、子猫を探して公園じゅうを歩き回ってみたけれども、その声は「ここかな?」と思う辺りで、途絶えてしまった。「ここかな?」の場所に立ち止まり、みゃうみゃうと母猫の真似をしてみたけれども、子猫はうんともすんとも言わなくなった。
公園には、携帯電話の呼び出し音みたいな声で鳴く鳥もいるので、もしかしたら、子猫のように鳴く鳥だったのかも、しれない。
ナカマタくんのお父さんに手紙を書こうと思って、中学の卒業名簿を見たら、ナカマタくんの名前がなかった。彼はいつの間にか、転校してしまっていたのだろうか?
ナカマタくんにいつか、会えるだろうか?彼は、わたしのことを覚えていてくれるだろうか?
さて、わたしは、これからまた、子猫を探しに、公園に行ってみようかと思っている。見つけてしまったら、どうしよう。。。
2008/04/08
おたん生の火

子供の頃の4月8日と言えば、やはり、甘茶とお線香の香りと、そしてゴロゴロと動く、白い紙でできた象だった。
わたしの通っていた幼稚園では、お釈迦様のお誕生の日に花祭りをする。今も子どもたちは、あの象の後ろを並んで歩くのだろうか?白い象さんは、この日は色とりどりの紙のお花で飾られ、お釈迦様もピカピカに磨かれていたのをよく覚えている。
2004年の4月8日は、姪っ子の高校の入学式で、愛ちゃんは、じいちゃんのお葬式に参列できなかった。前日に入学式を済ませた紫野ちゃんは、新しい高校の制服で参列した。わたしはこの日、一体何をしていたのか、全然覚えていない。引っ越しの段ボールに囲まれて過ごしていたのではないかと思う。姉2人から実況中継のメールがずっと来ていた。
紫野ちゃんの新しい制服は、従兄が送ってくれた写真で見た。従兄は、わたしの代わりに参列してくれた友人たちや、親族代表で挨拶してくれた別の従兄の写真や、霊柩車や、花輪や、ありとあらゆる写真を送ってくれて、わたしはそれが届いた日に、一回だけ、見てしまったので、母がどんな顔で泣いていたか、姉たちの目がどんなに赤かったか、そうして、どんなにたくさんの人たちが涙を流していてくれたか、その(たぶん)一部を目に焼き付けてしまった。そんなの、見なければ良かった。
声だけが聴こえない。音は聴こえない。何も聴こえない。そこで黒い服を来ている人々は、死人のように口をきかない。誰もわたしを責めない。誰も慰めたりしない。誰もわたしを見ていない。みんなの輪の中心になっている、肝心の父の顔は、見ることができない。だから、写真の上からでさえ、触れることはできない。
お葬式用に飾られた写真の、その父を、わたしは知らない。これはわたしの知っている父ではない。わたしは父を知らなくなるまで放っておいてしまった。
そうして、だから、わたしは、父が、本当に、その四角い箱の中にいるのかどうかさえ、実は、わからない。
「今日は、いろんな人からお花がたくさんお花が届いたよ。お父さんはいい季節を選んだものだねえ」
去年のように、今年も母は、花に囲まれているらしい。
母は花が好きだったけれども、父は、花なんか好きでもなんでもなかったのではないかと思う。
父が好きだったのは、海や風や竹やぶや林や泥や畑やキノコや。。。そういうものだったのではないかと思う。
JPが「命日だからお花でも送ろうよ。なに色の花を贈るべきなんだろうか?」と訊いて来た。「白?紫?」
「今日は花祭りの日で、花束はお母さんのために贈りたいから、できるだけ派手で、明るい色の花束を送ってちょうだい」と頼んだ。
ノエミが日本語を勉強するようになった。ばあちゃんに毎日メールを書いている。ばあちゃんからもメールが届くようになった。今日はちょっとだけ、電話でも話ができて、本人はかなり喜んでいた。
みんなでお線香を上げる。ヒヤシンスを買って来た。ろうそくも灯す。ろうそく立ては、ゾエが幼稚園で作った。
クスノキを掘って作った私たちのおぼうさまが、ろうそくの光に揺れている。
父が、こことは違う世界で、生まれ変わった日が静かに過ぎ去り、また、明日が来る。
2008/04/07
炎
午前7時半に、パリを出発しようとしていたフミが、「小包はやっぱり届かなかったよ」と電話して来た。フランスのお土産やミーさんのチョコレートを、パリに来ているフミに届けようと思っていたのだが、この週末はカーモーを空けることができなかった。だから、木曜日にミーさんの店に行って、チョコレートを買い、そのあとすぐにパリのホテルに送っておいたのに、土曜日の午前中までには手元に届かなかったらしい。とっても残念だった。
フミがパリから送ってくれた、日本のみんなからのお土産は、月曜日の11時半に我が家に届いた。今ごろチョコレートもホテルに届いているだろうが、フミはもう空港に行ってしまった。
「パリは雪が降っているよ」とフミが言っていた。
JPは、けさ4時に起きて、パリに向かった。
午後2時半から、農林水産大臣に会うのだそうだ。
JPは農林水産省の地方事務所で働いているのだが、去年辺りから、やけに労働組合の活動に参加している。今年は何やら役員もやっていて、全国に125人ぐらいしか居ないらしい組合の代表として、定年問題や労働条件や、公務員の雇用についてなどなど、話を聞いてもらいに行くのだそうだ。ゆうべ遅くまでレポートを書いていた。
「で?何着ていくの?」
オンナですので、そーいうーことが、まず気になる。やっぱり。
わたしが着るもののことを言うと、JPはいつも不機嫌になる。
「いつも着てるのを着ていくよ」
シャツは去年の終わりに買ったのが二枚はあるからいいとして、「いつもの」って、ジーンズでしょ?
労働組合なんかやってるヤカラは、着るもので勝負しないんだよって、JPの目が物語っていた。
「で?一人で行くの?」
ある友人が
「あんた、ダンナがホントーにパリに行ってるかどうか、確かめたほうがいいよ。一人で行ってんでしょーね?」
と言うような、まあ、それに近いことを言っていたので、いちおう探りを入れる。
「2人だけだよ。ブルターニュの農業高校の教師」
なんだ、農業高校の教師だったら、ちゃんとしたスーツなんか持ってないだろう。ちょっと安心。
お義母さんはいつもどんなものでも「なんでいつもJPの意見を訊くの?買いたかったら買っちゃえ」というのだが、JPの持ち物を買って、気に入られたためしがない。(わたしのものを買っても同じだけどさ)わたしはJPの着るものは買わない。うちのダンナはパンツも靴下も、自分で買ってる。だからサイズも知らない。なので、ふとお店で彼のために衝動買いしたくなっても、買えない。
JPは、いつものジーンズと、3年前に本人がカタログショッピングで買った、今じゃ色が落ちて流行遅れになったシャツを着て、パリの農林水産大臣に会いに行った。午前5時の電車でパリに向かい、今晩11時にアルビに帰ってくるらしい。弟の家にでも1泊ぐらいしてくれたらいいのに、どーしても帰ってくるそうだ。明日は仕事だし。労働組合なんかで活動している人間は、上司には嫌われてるんじゃないかと思う。まさか、有給休暇を使って自費で行ってるんじゃあないでしょーねっ、と思っているけど、まだ確かめてはいない。
パリは雪が降っているらしい。
そして、オリンピックの炎がパリに到着したらしい。
1時のニュースをつけたら、炎のことばかりを報道していた。
エッフェル塔に昇って降りて来た、ステファン・ディアガナ(400メートルのチャンピオン)が、まあ、なんとか快調なスタートを切ったところがテレビに映ったが、前後に70台のパトカーと、いっしょに走る消防軍団と、ローラースケートで追いかける警察官集団と、上空を飛び交うヘリコプターと、中国の旗やチベットの旗を持った応援団の人たちと、そして、野次馬とパパラッチと。。。なんだかものすごい警備だな〜と思ったら、そのうちランナーが途中で走るのをやめさせられて、炎はバスの中に片付けられた。ときおり、道路に羽交い締めにされた人や、鼻血を流している中国人の映像も出た。この騒ぎは、カーラ・ブルーニ付きのサルコジ大統領の通過にも勝る警備だったらしい。みんなが炎を取り囲んで、怒鳴り合ったり、つかみ合ったりしていた。
パリの交通渋滞と、ものすごい警備と、アラレと、雪と、サイレンと、人の波と、交通渋滞をテレビで見ながら、フミは無事に空港に行けたんだろうか?JPは、農林水産大臣に会えたんだろうかと、心配になった。農林水産省って、どこにあるんだろう?農林水産大臣って、誰なんだろう?JPは、写真を撮って来てくれるんだろーか?あの人のことだから、話し合いの途中でキレて、農林水産大臣に飛びかかって、そのまま刑務所行きになるんじゃないだろうかと、かなり心配だ。
みんなどうして、それほどまでも命がけで、自分が大切なものを守ろうとするんだろう。そのエネルギーは、どこから来るんだろう。
カーモーは静か。青空が広がり、冷たい風が吹いているけれども、さわやかで気持ちがいい。
週末に部屋と台所の大掃除をやったので、窓を大きく開けて、風を入れて、とっても気分がいい。
洗濯機を3回回した。セーターを洗った。家族全員のシーツも洗った。ときどきお隣から桜の花びらが飛んで来る庭に、たくさんの洗濯物を干した。遠くのスーパーまで歩いて買い物に出掛け、高い空の下をちょっとお散歩した。
子どもたちはほっぺたを真っ赤にして帰って来るのではないかと思う。
おやつを作って待っていよう。
Inscription à :
Articles (Atom)