2006/08/08

予定が狂う

 友達と従兄が来ることになってから「着いてからのことは任せる」と言われたので、はりきって予定を立てた。「今晩の夕食は何がいい?」と訊ねて「なんでも。。。」の返事が一番困るのと同じで、主張がない人の「なんでも」に応えるのは本当に大変だ。

 ただ、現地の事情を知らない人たちに「何が見たい?」と訊いたって「そこにはエッフェル塔は、ないよね?」などと言われるのが関の山なので、一応うちから半径100キロぐらいで一体何ができるのかを考えることから始めた。

 8月7日と8日は、とくに頭が痛かった。とりあえず、モーガンの車と、JPの助けと従兄一家の根性で、7日の夜中に無事カーモーの民宿に送り届けたので、第一のハードルは越えた。
 第2の8日は本当はミニバスを借りて、ジルッサンという町まで行き、そこから蒸気機関車で植物園に行ったあと、陶芸美術館を訪問する予定だった。でもミニバスは借りれず。わたしがうちの車で2往復して近場に行く案も考えたが、従兄の一家5人は疲れているので、お昼までそうっとしておくことにした。遠くまで行かずとも。
 民宿は《ラ・ファーゲット》というカーモー市内から北に車で5分の田舎にある。2往復して、お昼前に従兄たちを自宅に連れて来た。

 《ゆ》ちゃんと《か》さんは犬が苦手でボボが恐いので、テラスで食事したり、いっしょに犬の散歩をしたりすることができずにいたのだが、従兄の一家はみんな犬好きで、ボボとよく遊んでくれた。お昼はよそではなく《ダニエル家の庭》と呼んでいる《ジャン・ジョレス公園》でピクニックをしましょう、ということにした。手分けして食べる物を運び、ボボまで連れて、公園でピクニックをした。誰も来ない広い公園なので、みんな喜んでくれた。

 そのあと、歩いてカーモーの町を案内した。実は明日から3日間、わたしは《か》さんと県外へ行く。それでせっかく私に会いに来てくれた従兄には申し分けないのだが、3日間自分たちだけで生き延びてもらわなければならない。駅を見せ、バス停まで案内した。時刻表と地図を渡して、「悪いけど、どうにかやってよね」本当に悪い従妹だ。従兄は「電車もバスも好きだから、どうにかなるよー」と言い、けっこう心強いお父さんしてる。昔から口は達者な人であった。うちの家系の《知識人》でならした彼であったので、地図ぐらい読めるんだろう。英語も大丈夫そう?たしかに数学は強い、先生もやってたしね。ユーロのお買い物は大丈夫だろう。

 夕方、明日からの《か》さんとの県外旅行のために、やっと借りれたレンタカーを取りに行く。
JPにクレジット・カードを提出してもらう。すまないねえ。レンタカー屋さんには従兄が着いてきて、面白がっている。レンタカー屋さんに行く途中でJPが道を迷ったので、アルビの観光ルート以外の場所も通れた。帰りはレンタカーを運転しているわたしと来たので、遠回りをして、高速は使わずに田舎道を走った。車の中で従兄とたくさん話をした。
 
 従兄は今は、起業を考えている人たちを助ける仕事をしている。実はわたしだって、曲がりなりにもSOHOしている若き起業家であるからして、専門家のお話がただで聞けて、たいへんお勉強になった。そして、人とのつながりを大切にしようとか、いろんなことに関心を持って、自分を信じていこうとか。。。従兄がそういうことを言って、将来の起業家たちを励ましているという話を聞き自分がこれまで心がけてきたことが間違っていなかったんだと思えた。

 従兄のブログは《漂い人》というタイトルがついている。カーモーまで漂ってきちゃったお人。
フランス出発直前まで東京や広島を歩いていたらしい。ストップオーバーの韓国でも冒険してきている。ずっと調子よく喋っていたのに、ふっと声が聴こえなくなったと思ったら、グーグー寝ていた。あまりの突然さに、心臓発作かと思ったが、寝息が聴こえていたので安心した。忙しい人は、こうやって眠りにつくのもうまいんだろうか。やっぱり疲れていたんだろうなあ。
 「着きましたよー」というのが申し分けなかった。

 《か》さんと従兄のおくさんの《の》お姉さんは、すっかり意気投合している。農場から届けられた野菜も、ちゃんと受け取ってくれていた。子どもたちも和気あいあい、ボボもうれしそう。テラスでボボも揃って、テーブル二つでにぎやかな食事をした。暗くなり始めていたが今後連れて行けないかもしれないので、カーモーが誇るキャップデクベート(炭坑あとの穴)へ。
 「明日は満月だね」という、大きなほぼ丸い月がどーんと華やかに出ていた。

 騒がしく落ちつかないけど、にぎやかでとってもいい感じ。

 明日から3日間従兄たちとは別行動。
申しわけないけど、こっちもけっこう楽しみ。へへへ
                     まだまだ続く

2006/08/07

いよいよ、従兄たちが到着

 午前中、コルドへ。Corde sur ciel 《空の上のコルド》と呼ばれる町で、山の上に栄えた中世の建物が残る美しい町だ。その町に行くには、地上の有料駐車場に車を置いて、30分ばかり、急な坂道を歩いて上らなければならない。駐車料金はよそよりも高く、山の上の町のお土産屋さんでは、葉書が地上よりも30サンチーム・ユーロほど高い。土産物は高価なものばかりで、レストランもとってもシックだ。
 清水寺に向かう、あの雰囲気を味わえる。またしても、ぜーぜー

 風が強く、テラスには蜂が群れていたので、レストランの中で食べたいと頼んだのに、「働く人の便宜を考えて、他の人といっしょにテラスで食べてください」と言われた。フランスではこういうことが多い。でも客が多くてサービスは遅く、テラスには蜂がいて、子どもたちが騒ぐから余計に蜂が集まってきた模様。《か》さんはむっとしていた。ゾエは眠い時にお昼寝ができず、歩き回ってばかり居る今日この頃。ご機嫌をとり、おんぶしてやり、エサ(おかしやお土産屋の小物など)を与えてどうにか移動している。けれども、わたくしもそろそろ体力と気力の限界。《か》さんには町と博物館、土産物屋を勝手に歩いてきてよと薄情なことを言って、わたしたちは道ばたに座り込んだ。

 午後は、従兄たちが泊まる民宿へ、部屋のカギを取りに行き、自然派化粧品を買いたいという《か》さんを、自然派雑貨のお店に連れて行った。店長さんを貸し切りして、時間を掛けて化粧品を選んだ《か》さんは、ご機嫌になってきた。(そしてゾエは不機嫌である)
 そのあとすぐ隣のフランス雑貨のお店へ。一周するのにとんでもない時間が掛かったが、日本からのお客様は、フランスのおしゃれな雑貨が見られて喜んでいた。《か》さんはお皿を買うという、冒険に走った。本当に大丈夫なんだろうか。
 「今晩従兄が来るので、6時までにはうちに帰りたいんですけど。。。」と言ってみたのだが、もう一軒スーパーを廻りたいという意見が出て、帰り道のスーパーにご案内。当然6時までに帰宅できなかった。

 うちに着くとJPが「19時55分発のトゥールーズ行きに乗らないと、従兄の電車に間に合わないよ」と言って焦っている。わたしは10分で家族の食事の支度をしてから、そのまま出掛けることに。実は従兄は家族5人で来るので、うちの5人乗りの車では迎えに行けない。ミニバスは借りれなかった。タクシーは高くつく。(往復150-180ユーロ)そこで、わたしがアルビに車を置いて電車でトゥールーズに行き、従兄を迎えてのち、最終電車でアルビまで揃って戻って来る。JPがモーガンの車を借りてアルビで待つ、という計画を立てた。スーパーでうろうろしていたので、モーガンの家まで車を取りに行く時間がなくなってしまった。JPはモーガンの車を歩いて取りに行かなければならず、申しわけないことだった。

 残す家族とお客樣方の夕食を用意して、猛スピードでアルビに向かったが、2分遅れてしまった。もう電車は出た時間だったが、フランスの電車は時間どおりに来ることはないので、本日も遅れているかも。駅に走り込んだら、やっぱり遅れていて、ちゃんと切符を買って乗ることができた。駅員さんに「あなた、ついてますね」と言われた。そうなんだあ。

 トゥールーズ駅には21時ごろ到着。でも従兄の電車は22時22分に着く。従兄たちの家族のために、アルビまでの片道切符を買う。わたしの後ろで《本日の窓口での切符販売は終了》という札が出た。ぎりぎりセーフだった。ついてる。
 マクドで寂しい食事をして一休みしたあと、駅前のパン屋さんで、従兄たちの朝食用のクロワッサンとジュースを買った。民宿で朝食は出る予定だが、食べ盛りの子どもたちに足りなかったらかわいそうなので。都会の大きな駅前の風景を、一人で見るのはとっても寂しかった。

 従兄たちは時間より2分ぐらい早く着いた。(確かについてる)一日の疲れが溜まった顔には、化粧ものってないし、、、ああ恥ずかしい。乗り場を換えて、今度はアルビへ。子どもたちも長い旅で、さぞ疲れていることだろう。わたしも。駅の物音や、ちょっとした緊張に包まれて、たどたどしいおしゃべりが始まった。

 アルビ到着は23時59分。JPが待っていた。そこから更に民宿まで20分。昼間にもらっておいたカギで勝手に入った。小さな部屋で申し分けなかった。そのあとモーガンのうちに車を返しに行き、ポストにカギを放り投げて、JPといっしょに暗い家に戻ってきた。JPは明日仕事だからさっさとベッドに入った。わたしはまだごそごそ動く。

 もう《明日》になっているので、このままいっきに続く。。。
 

2006/08/06

中世のお祭り

 日曜日でJPもいるので、《か》さんたちをちょっと遠くに案内しようと考えた。
カルモーから車で約45分、マザメという町の山の上、オットプールという小さい町に『木とおもちゃの博物館』がある。

 博物館の半分は森林の利用、保護の仕方、切り出された木がどのような手順で製品になるか、森の植物や動物の展示など、触れたり、音を聞いたりできる面白い博物館だ。たまに学校の遠足バスなども見かける。
 あとの半分は古いおもちゃ、現代のおもちゃのコレクションで、中心となっているのは木、紙、布で作ったおもちゃ。親子で楽しめる。

 この博物館の二つのコーナーを繋いでいるのは、巨大木製滑り台だ。
実は2003年に、この滑り台をやって、着地失敗して、左足首を骨折した、苦い経験を持つわたし。『か』さんが心配する中、《ゆ》ちゃんとゾエは滑り台を楽しんだ。
そのあと、一階に戻って来ると、おとなと子どもが一緒に楽しめる大型の木製遊具が並ぶ。
30種類ぐらいの木のおもちゃで、親子揃って楽しめる。ここに来ると子どもたちよりもお父さんたちが楽しんでいるシーンをよく見かける。

 午後、ちょっと山の上の町に行ってみようか?と話していたら、博物館の駐車場を、美しい衣装に身を包んだ、中世のお姫様のような人が、ドレスを風になびかせながら、幽霊のように草むらのほうに去って行った。

 山の上の町に続く道路を進んで行くと、路上駐車の車が増えてきた。
「何かやってるみたいだね」とJPがつぶやいた時に、『ここから先は進めません』という看板が見えた。山の上から音楽が聴こえている。《か》さんが「えー、あーんな所まで登るの?」と言って目を丸くしている。わたしはJPといっしょに出歩くと「あーんな所」まで歩かされるのには慣れているので、またか、やれやれと思った。

 ちょっと歩いて行くと、何かを待っているような人の塊にぶつかった。《中世の騎士》の服を来た人が、交通整理をしている。そこへ《中世の農民》が小型バスを運転して、山路を降りてきた。完全に超過状態で、小型バスに詰め込まれた《現代一般市民》のわたしたちが、地上はるか彼方の《中世の町》に到着した。そこでは《中世の乳母》と、《中世の踊り子》たちが、チケット販売と、チケット切りをやっていて、わたしたちは《中世の門》通貨券をもらった。
 すぐ後ろの人が「はい、あなたは無料です」と言われているのに敏感に反応したJPが「無料になるには、どんな資格があるんですか?」と訊ねた。「中世の衣装で仮装してたら、ただです」と言われているので、後ろを見たら、そこにはイモ袋を切って、腰にロープを巻いた《中世のみなしご》ふうの子どもが、《中世の金持ち》ふうの母親に連れられて立っていた。父親は、木で作った騎士の剣を腰に差している。

 さて、《中世の町》では、手かせ足かせをつけられた魔女が、首切り男に連れられて、町を練歩いたり、ロバの背中にまたがった農民や、鉄かぶとにじゃらじゃら鎖をつけ、鉄の剣を振り回しながら闊歩する戦士たちが、そこら中を歩き回っている。その辺で拳闘を始める戦士たちも居る。
 鉄の剣と鉄製の盾がぶつかる音や、物売りの声が響く。石畳の路上で革製品づくりの屋台や、鍛冶屋、パン屋が出店している。町の一番上まで来た時に、ロバ飼いにぶち当たり、ゾエがロバに乗ると言ってきかないので、乗せたはよかったのだが、ロバ隊は町の玄関口まで降りたあと、今度は入れ替わりでそこから別な人を乗せると言われた。わたしはまたゾエを連れて、町の上の方で待つJPたちの所へ戻らねばならなかった。ぜーぜー
 《ゆ》ちゃんは革製品工場で、手作りの革のバッグを作った。なかなかのできだった。
子どもたちはその他、木やヒモで作られた遊具で遊んだ。
 
 いよいよメインイベントである、パレード。
衣装を着て、町に集まった人たち全員が、中世の時代の楽器だけを使った楽隊の音楽に乗って、町を行進する。お姫様と王子様も黒い馬に乗って登場。かっこよかった。なんといっても中世のままに残っている町並みにとてもよく似合っていて、来年のお祭りには必ず中世の衣装で来るゾーと思った。(でも中世のこの町にアジア人なんて居なかっただろうから、ちょっとへんかな?)

 帰りは地上に向かうバスを待つ人々で溢れていたので、先ほど《中世の姫君》が歩いていた山路を、自力で降りることにした。と、いうか、か弱い女性たちの意見を待たずに、マッチョなJPが勝手にそう決めて、路をどんどん降り始めた。その山道はけっこう危なく、こんなつもりではなかったためにサンダルで来ていた《か》さんが、おそるおそる時間を掛けて降りて来る。申し分けなかった。

 でも、けっこう楽しかった?いちおうめでたしで、明日へと続く。

2006/08/05

ビストさんのお城へ

 午前中、《か》さんたちを郵便局や、近所の商店街に連れて行った。
肉屋などは日本人にはたいへん面白い場所ではないかと思ったので寄ってみた。
フランスの肉屋は切り身ではなくて、どーんと大きい塊で売られている。目の前で切ってもらう。
《ゆ》ちゃんが豚足や、ぶら下がっているドライソーセージを見てびっくりしている。
鴨のパテ、フォアグラ、各種ソーセージ、生ハム、巨大ステーキなど食べてみないかなあ、と思って勧めたが、2人とも苦手そうだ。ちょっとでも食べてみたら、鴨のパテなどは子どもに受けると思ったのだが、残念。フランスの子どもたちはドライソーセージが大好きだ。

 せっかく日本から来てもらって、私の日本料理もどきを披露することになろうとは、もったいないことだ。鶏肉だったら。。。というので唐揚げにしよう。でも鶏肉はいつもいつも好きな時に手に入るお肉ではない。仕方ないから《か》さんには内緒で、七面鳥のお肉にした。唐揚げにすればバレるまい。ほほ

お昼、キャップデクベートでピクニックをしてから、午後はアルビの中心街とガヤック郊外のビストさんのお城に行くことにした。

 アルビの街は観光客で溢れていた。2人がトゥールーズ・ロートレックの美術館を歩いているうちに、わたしたちは友人が経営しているジュエリーショップに、梨をもらいに行った。JPがジャムかアイスクリームを作る予定。
ジュエリーショップにも連れて行きたかったのだが、《か》さんは装飾品には興味なさそうなので、行ってもしょうがなかった。

 そのあとはビストさんのお城。
http://www.bistes.com/
ビストさんは60代ぐらいの画家で、30年ぐらい前から中世のお城を改装して暮らしている。夏の二ヶ月間はお城を開放している。

 庭園で結婚式のガーデンパーティーの準備が行なわれていた。
ビストさんのサイトを日本語にしたことがあるご縁で、このお城のことを知った。
誰かが来ると連れて行くので、ひと夏に2、3度行くようなこともあって、もうすでに10回以上は行っている。お城の隅々までよく知っているので、そのうち日本人旅行者が増えたら専属ガイドだってできる。(ので、みなさん来てください)
数年前よりも観光客が増えているようだし、ビストさんの絵も売れ始めているようだ。お城の至る所にビストさんの絵が掛かっていて、気に入ったら買うこともできるが、私には手が届かない。ビストさんの小さめの絵を一枚買うお金で、親子三人日本に里帰りができる。コピーをもらったので、家にはそれを飾っている。ビストさんはいつも「俺が死んだらもっと値段が上がるから、今のうちに買いなさいよ」と言うけれども、そういうわけにもいかない。
 ビストさんの百合や菖蒲のお花の絵が好きだ。

 このお城は彼の絵を見ることができるだけではなくて、30年間改装を続けてきた、きれいな内装が素晴らしい。手描きの繊細な天井画や、だまし絵などが面白いお城だ。
《か》さんもとても喜んでいた。

                    めでたしで、明日へ続く。

2006/08/04

ノエミ出発

 せっかく《か》さんと《ゆ》ちゃんが着いたというのに、本日はノエミの出発だ。
ドードーニュDordogneという地方で、3週間の乗馬付きキャンプだ。
わたしったら、この数日間『超』忙しくて、そのキャンプ施設がどんな所なのか、写真も見ていないし、正確な場所も確認していない。JPが大丈夫だと言ったから大丈夫だろう。
それにしても3週間なんて長過ぎる。

 疲れ切ってる《か》さんたちには申し分けないが、そろそろ出掛けなくてはならない。
トゥールーズの駅で集合して、ほかの地方から来る子どもたちと合流しなければならないのだ。
集合時間に遅れて来る子、続出。ホームに行ってみると今度は電車が遅れて、そのうえ、到着のホームの番号変更となった。ゾロゾロと移動する。ノエミは自分よりも大きなスポーツバッグを用意したので、バッグが持てなくて私が持ってあげる。到着先ではいったい誰が持つんだろう。。。
3週間のうちに2回は洗濯できることになっていて、一週間分の服その他を詰めた。

 ノエミを送り出してから、レストランを探し歩き、食べるのに時間が掛かって、そのあとよく知らないトゥールーズの街を歩き回った。目当てのサン・セルナン大聖堂だと思って訪ねたのは、結局サンテティエン教会だった。ガイド失格。

 友達が『ロキシタン』という化粧メーカーを探していて、「そんなの知らないよ」と思っていたら、トゥールーズをさまよっているうちに店の前を通った。探さずに済んで助かった。
帰りは巨大スーパーに連れて行った。

 カーモーの水は大丈夫と言っても、歯磨きさえボトルの水を使っている2人。
姉たちが来た時も、水道の水を飲みたがらないのが不思議だったけど、海外に来て病気になったら。。。と思うものなんだろう。赤ちゃんでも水道の水を飲んでいる地域なんですけどねえ。

 《か》さんはお茶の匂いのするトイレットペーパーなるものと、楕円形の化粧落とし用コットンを珍しがってを買っていた。

 ゾエは、《ユ》ちゃんにもらったアポロチョコと、マーブルチョコと、チョコベビーのセットに酔いしれて、「まーぶるぶるぶる」の歌まで習っている。

面白い文化交流が始まった。

2006/08/03

ご到着

 待ちに待った日が来た。友達の《か》さんと娘さんの《ゆ》ちゃんが着く日。午前中にやっとサロンにテレビが入った。わたしたちの部屋を空けて、お客様用の寝室に仕立てた。わたしたちはサロンに寝るつもり。

 子どもたちが大喜びでビデオを見ている。実はアンテナが調子悪くて、テレビを見ることができないまま。一年半ぶりのテレビ。一番に何が見たいかと訊くと『キャッツ・アンド・ドッグス』という映画を選んでいた。この映画の主役のピーグル犬が《ボボ》みたいで、この映画はすごく好きだ。フランス語版は、人気スターが吹き替えをしていて、とっても面白い。

 夕方、子どもたちと3人で、トゥールーズのブラニャック空港へ向かった。お天気は涼しく、冷房付きでなくても、お客さんをカーモーまで連れて戻れそうだ。夜の8時ごろ着くというので、家を出る時に夕食用のサンドイッチを持った。

 空港の出発ロビーで、飛行機を眺めながらサンドイッチを食べた。
「置き去りの荷物は、直ちに処分されます」という放送が、何度も流れていた。
レンタカー屋の前には列ができていた。ここ数週間友達のためのレンタカーを探していて、車なんかもう数週間前から1台もないと言われたわたしなので、並んでいる人たちが気の毒だった。
ドイツやイタリアに向かう飛行機の受付ロビーで、大きなスーツケースを持っている人たちがうらやましかった。
到着して抱き合っている人たちを見て、涙が出そうだった。
出発前の待合室で、一人静かに空中を見つめながら、ぼんやりアイスクリームをなめているサラリーマン風の男性がいて、ゾエが物欲しそうに見ていた。その人の前を通り過ぎてから、「大人のくせに子どもみたいなアイスクリーム食べてた」と言った。

 友達がパリで乗り換えた飛行機は、20分ぐらい遅れて到着した。
ドキドキして待っていたわりに、すぐにわかった。
その日日本からトゥールーズまでの直行で到着した人は数人だけで、再会を果たして、ちょっと言葉を交わしたらすぐに、パリから乗った人たちとは異なる荷物の受取所へ流されていってしまった。
税関の検査で引っかかっていないかしらとか、出て来れるかしらと、心配した。

 自宅まで1時間ちょっと、トゥールーズの夕暮れをバックに、カーモーへ向かった。
到着するとすぐに、《か》さんはスーツケースの中から、溢れるほどのお土産を取り出した。
ご主人のご実家が沖縄なので、沖縄の物が沢山入っていて、もの珍しかった。
それから子どもの文房具や、服、お菓子など。。。。うれしい。
自分たちの持ち物はほんのちょっとだった。
《ユ》ちゃんが
「お父さんが声の吹き替えに参加してるの」
と言って、日本語版の『キャッツ・アンド・ドッグス』のDVDをくれた。
ほほお、奇遇。友達は今やほぼ空っぽとなったスーツケースに目を落としながら、
「たくさん買い物して帰るつもり」
と宣言した。

                           続く

2006/08/02

フィリップ・H

 曇り空、今朝の気温は25度ぐらい。
コートダジュールのニースという所では、38度などと言っている。恐ろしい。

 そろそろ日本からみなさんがやって来るので、我が家の女三人揃って美容院へ行った。

 ゾエも、ノエミも、わたしも、いまは髪をとっても短く切っている。
そして、私は短く切りすぎて、モーガンに『へん』と言われた。
JPにも『ふむ』と唸られた。
ダーリンがシルビーみたいなロングヘアー好みだということを、すっかり忘れていた。。。
でもこの年でロングヘアーなんて、やっぱりちょっと『へん』じゃないだろうか。

 行きつけの美容院はうちから2分、近いというだけで行くことにした『フィリップ・H』というお店で、はげ頭で、ビーチサンダルの、マンガとアニメが大好きなフィリップ・Hという名前の青年がやっているお店だ。この前も『日本語習って日本にサロンを開きたい』とか言っていたぐらいの日本マニアなので、わたしたちが行くと喜んでくれる。

 わたしたち三人の髪は、《日本人》のイメージぶちこわしの猫っ毛で、ひょろっと薄い。日本人の太くしっかりした黒髪を、見たことのある美容師さんや、そういううわさをきいていて「一度この手にしてみたい」と考えていたような人には、いつもがっかりされてしまう。
「ご主人は、あんなに光沢のある髪なのに。。。」

 「うちの母と姉たちは、黒々とした強い髪をしている。」といっても誰も信じてくれない。
私の髪の毛は父ゆずり。剥げてはないけど、短く切ったら透けてるタイプ。
 父が寝込んでいた時に、もうずっと外に行けなくて、この人の一生のうちでこんなに長い時間、海風に当っていないのは、あとにも先にもこんな時ぐらいだろうなあと思ったら不憫だった。

 それで、「ほら錦江湾の風だよー」と言って、おでこのあたりに息を吹きかけてやったら、ずいぶん短く切った髪の毛がふわふわ揺れていて、わたしの髪の毛みたいだなあ、とうれしくなった。
 父も目を細くして、気持ちよさそうに《錦江湾の風》に吹かれていた。面白くて、何度も何度も、それをやってあげた。「東シナ海だよー」とか「台風13号だよー」などと言って、そばに行っては、おでこに風を当ててあげた。

 わたし、34歳の誕生日から、いきなり白髪が生え始めた。白髪の増える早さを悩んでいるとその心労のせいでもっと白髪が増えた、ような気がする。恐ろしいぐらい生えた。JPまでもが「苦労掛けてるねえ」と言った。

 母は、私が中学生や高校生の時に、黒くて長い髪に椿油を塗って、きつく三つ編みにした髪を、おだんごに揺っていた。時間を掛けてブラッシングする姿を見るのが好きだった。この頃は短く切ってパーマをあてている。私が21歳で実家を出るころまで、多分白髪なんかなかったと思う。あの頃は両親はどちらも老眼鏡さえ掛けていなかった。両親に白髪が生えて、老眼鏡を買った日を、私は知らない。この前わたしが白髪頭で日本に帰ったから、みんなきっとびっくりしたに違いない。
 同級生の中には、独身の子がまだたくさんいる。みんなきれいにしていて、スマートで、髪をヨーロッパ人みたいな色に染めて、まつげにまでカールを掛けていた。肌はどこまでも白く、きめ細やかだ。わたしは20歳ぐらい歳とっている。(なのになぜか「変わんないねー」と言われた。)

 《フィリップ・H》がわたしに「そろそろ染めたら?」と訊いた。
 いや、染めるつもりはまったくない。もうちょっと待って、銀髪に染めたいとは、密かに思っているけど。参考までにフィリップ・Hが私の頭をどんな色に染めたいのか、訊いてみる。

 「赤」よどみなく応える。

白髪頭で里帰りするほうが、よっぽどマトモかなあ。