2006/06/08

学校のお祭りが近づいているので、また、会議。

 学校のお祭りが近づいているので、また、会議。 友達から折り紙サイトを教えてもらったので、大いに利用するつもり。

 ヌメアの大親友の「よ」さんが、「身体ちょっと壊してる」みたいなメールをくれてから、続きが来ないので、ずいぶん気になっている。そのことを「あ」さんに話したら、同じ町に住んでいるので、すぐに電話をかけてくれたらしい。「あ」さんが「電話したよ、元気そうだったよ」とすぐにメールをくれたので、ちょっと安心した。

 ほとんどいつもメールで遠くの人とやり取りをしているから、メールが途絶えると不安になる。メールでしか知らない人も居るので、いつか歳をとったり、病気で入院したりして、こちらからのメールに返事が来なくなったら、私はきっと孤立してしまうんじゃないかなあ、と思って心配。

 のどの弱い母が、「声が出なくなったら、アンタとも電話で話せなくなるし」というので、そうなったら辛いなあ、と思った。父が病気で寝ていた時にも、電話に出てもらえなくなって、その日が近づいていることを感じた。

 いつか私がメールを書けなくなり、電話を掛けられなくなった時のために、JPには日本語とフランス語の、遺言と知らせて欲しい友人知人の連絡先リストを作っておかなければならない、と、いつも考えているのに、まさかそんな日が明日にでも来ようとは思っていないあたりが、人間らしくて情けない。地震も台風もないところに住んでいる人間というのは、こんなものだろうか。親父もいないし。。。でも、火事と事故はありそう?

 身近なところで不幸が起こらないと、自分にも同じようなことが降り掛かる可能性なんか、考えられもしない。でも、毎日ラジオから流れている事故や事件を思ったら、今までこうやって生き延びていることこそ、奇蹟のようなものなのかもしれない。

 友達にも、家族にも「気をつけてね」と言いつつ、「気をつけててもどうしようもないこと、あるよね」と思ってしまう。毎日、できるだけ大切にしたいねえ。

 言える時に、「ありがとう」は言っておいたほうがよいに違いない。不満を言ってる暇があったら、やりたいことをやってしまおう。

例えば日記を書くとか。残してなんになる?という気もしないでもない。

2006/06/07

遠方よりの便り

   つい先日、カーモーで会ったばかりの「あ」さんが、もう南の島に着いたという知らせが届いた。フランスから飛行機で24時間以上飛ばなければ行けない島だ。時差は7時間もある。日本からだったら9時間で行け、時差はたったの1時間。

「あ」さんはニューカレドニアという、フランス海外領土の島に住んでいて、フランスの公立学校で正式に日本語を教えている、フランス共和国の公務員だ。

 わたしはニューカレドニアという島の、ヌメアという町に5年半住んでいた。

 ちょうど「あ」さんから「帰り着きました」という知らせがあった頃に、ニューカレドニアでいっしょに剣道をしていた「リタさん」からもメールが来た。クラブの近況や、彼の家族のこと、島の友人たちの近況を訊くことができた。

 「リタさん」は、ヌメアでもっとも長く、親しくつきあっていた大切な友人の一人で、私がヌメアに到着してから、旅立つまでの毎日の出来事を、事細かに覚えている。ヌメアを出てからは音信の途絶えてしまっていた、昔の下宿先のことを聞いたら、私の下宿先をわざわざ訪ねてくれた。下宿させてもらったいた家族の近況を知らせてもらえた。

 私は下宿の息子さんに、日本語を教えていた。出逢った時にはその子はまだ9歳で、私よりも小さかったが、とても頭の良い子で、五カ国語ぐらいをペラペラ話すことができた。日本語なんかすぐに話せるようになった。その子といっしょに日本に行ったことも何回かあるし、彼は一人で指宿の両親の家に滞在したこともある。両親はその子のことが大好きで、去年と一昨年に帰った時にも、その子の話が出た。

   グアドループからも久しぶりにメールが来た。グアドループというのはカリブ海に浮かぶフランス海外県の島だ。2004年に翻訳した『サトウキビ畑のカニア』という本の著者であるピションさんという方は、その島に住んでいて、島の子どもたちの身近な話題をテーマに、小学生ぐらいの子どもたちを対象にした小説を書いている。

この6月に新しく《アメリカ・インディアン》に関する本を出版するので、そのご報告をいただいた。できればまたその本も訳したいと思っていて、すでに下書き原稿はいただいている。いよいよフランスで出版されるので、新しい本を送ってもらうのを楽しみにしている。

   南の島々が懐かしくよみがえった一日だった。

2006/06/06

絵描き歌

   歌いながら、お絵描きをした少女時代がある。 

たしか「6月6日に 雨ザーザー降って来て」という歌詞もあった。

 とおい昔、6月6日生まれの少年が好きで、毎年毎年、6月6日が近づくと緊張してプレゼントを選び、6月6日の放課後が来るたびにふられていた。いまも日本語の教室で、絵描き歌を歌いながら、いつも「6月6日という日付けは、一生忘れられない」と思う。少年の顔は忘れた。

 今年はタイミングよく、大きくなったその少年から『同窓会の報告』がきた。彼が企画した同窓会は、8人しか集まらなかったという悲しい結果とともに報告された。がっかりしている様子だったので、なぐさめの言葉の代わりに「お誕生日おめでとう」とメールを書いた。

 「覚えていてくれたんだね!」という感動の言葉ぐらいあったらかわいかったのに、当然覚えていただろう的な返事だったのでむっとした。

これだから梅雨どき生まれの男は。。。

 教室ではよく、こんな絵描き歌も歌っている。

「てーる子さんにつーる子さん、ハチミツ飲んで叱られて、ヘーキでヘーキで、のんきでのんきで、試験は0点、縦タテ横ヨコ、丸描いてちょん、縦タテ横ヨコ、丸描いてちょん」

 これを考えた人は天才だと思う。

2006/06/05

やる気は、あるんです。

   婦人雑誌を買わなくなって、ずいぶん経つ。

前は手芸ようのパトロンなどが出ているのが好きで、『プリマ』や『モード・エ・トラヴォー』(モッゼトラヴォーのように読む)を買っていた。そういう雑誌には季節ごとのレシピなども出ていたので。

 でも、レシピを読みながら料理している余裕がなくなった。手芸の材料を手に入れるのが難しい。手芸なんかやってる暇がない。。。などなどの理由のほかに、雑誌本体の中味が軽すぎるし、雑誌の中味の大半は宣伝なので、買うのがばかばかしくなった。

 日本から「フランスのきれいな雑誌を送って」と言われたので、とりあえずうちに眠っていた、手芸専門雑誌や婦人雑誌を送ることにした。

その人は絵を描く人だから、色のセンスなんかも素敵で、ちょっとした手芸にも光るものがある。彼女の好きなパッチワークやレース編みは、私は全然興味ないので、手元にもそれらを扱ったものはなかったけれども、ほかにも引っ越したばかりで、まだまだインテリアにプラスしたいものがあるに違いないと思って、家庭に役立つアイディアが載っている、きれいな雑誌があったらいいなあと思って探した。

 最新号も見たかったので、新聞屋さんにも行った。

《新聞屋さん》というのは、『マッシャン・デ・ジャーノー』といって、直訳すると《新聞屋さん》になるから、私が勝手に《新聞屋さん》と言っているだけのことで、じつは『ジャーノー』というのは、「新聞」に限らず、情報誌、雑誌のこと。そういう店ではたいてい、ロトくじや、タバコや、簡単な雑貨や、切手や、絵はがき、おかしなども売っている。

 ちなみに、フランスでは「新聞配達」というのは一般的ではない。もちろん定期購読で郵便箱に届く新聞を取っている人はいるけれども、『新聞配達の少年』というのは存在しないとおもう。

新聞というのは、毎日毎日お店に買いに行くものだ。私とJPは好きな時に、読みたい新聞を買いに行っている。

地方紙はほとんど読まない。

 うちから一番近いところでは、大したものは置いていなかった。『ル・モンド紙』を買う時には、どうせそこには置いていないと思うので、立ち寄りさえしないで、町の中心街にあるお店に行く。その店はタバコの代わりに、文庫本や写真集を売っていて、ロトくじはないけど、ノートやボールペンが買える。

 近所の「新聞屋さん」の少ない在庫の中から、前によく買っていた婦人雑誌を見つけた。そうか、ここでも売っているたぐいの婦人雑誌であったか。。。まあ、仕方ないから、手芸のページを見て、不満でもなかったので、これを買って日本に送ることにした。

 人がやる気出してるのを感じると、自分もやる気が出る。

先日町の生地屋さんが店じまいセールをしていたので、コットンや麻の生地を少し買った。

せっせと夏の服を縫った。あっという間に二着できた。

 今度の学校のお祭りにこれを着て行くのだ。

2006/06/04

ビオシベル

   去年も一昨年も行った『ビオシベル』に今年も行くことにした。

会場が大きくなって、新しい市や催しが増えているのではないかという期待とともに、ガヤックという町に出掛けた。

 健康食品、自然食品、無農薬食品の試食販売、説明会。

自然に優しい、身体に優しい衣類や、生地の紹介。(布製の生理用品や、最近見直されている赤ちゃんの布おむつ。おんぶヒモ、抱っこヒモ、綿入れや布団の紹介。毛糸やオーガニックコットン、革製品の販売など)

自然素材を利用した建築素材の実演販売、説明会。

節電・節水のアイディア紹介。

太陽熱、風力の利用についての討論会、説明会、実演。(太陽熱を利用して煮物を作る。)

石臼で挽いた、無農薬の小麦で作るパンの実演、研修。

無農薬野菜の育て方、無料体験。

コンポストや、水無しトイレの紹介。

竹やロープで組み立てた、遊具で遊べるコーナー。

竹、ロープ、石、木の実などを使った楽器の紹介。自由に手にとって鳴らせる。

 癒し系ミュージシャンによる演奏会。

珍しい食品が味わえる、レストラン・スタンド。

出店では、地域のハチミツ、無農薬フルーツや、ジュース、ハム、チーズなどなど。。。ありとあらゆるものを買ってその場で食べることもできる。

 いっやあー、楽しい一日だった。

 でも、JPとノエミが急に居なくなって、勝手なところに行ってしまうので、私は待ち合わせ場所近辺でみんなが集まるのを待ちながら、荷物の管理で、少々疲れた。

オーガニック・コットンの生地を切り売りしているお店があったので、訪ねたかったのに、みんなの荷物を管理している間に、午後遅くにやっと私だけの自由時間が来て、行ったらもう反物屋さんは店じまいをしていた。

 アンゴラの素敵なセーターも売っていたが、さすがにこのくそ暑いのにセーターなんぞを買う気にはなれず、買っても、アンゴラアレルギーでくしゃみをするものが、約1名居るので、(JPです)セーターは、なし。《一生もの》と言ってもいいぐらいの、品もお値段も頑丈な皮靴を買って、ニコニコ帰って来たJPを、怒鳴りつけようと思ったら、おいしいサクランボを一袋と、ゼラチンを使わないハチミツ・キャンディーや、ジャムを渡されて、思わず許してしまった。。。

 来年こそは、荷物持ちはJPにゆずる!

《のぞみの関心事》にて写真を公開中。

2006/06/02

レジで

   県外に住んでいる友達が、カルモー近辺の家賃の安さに興味を持っている。

「こんど引っ越す時はその辺りにしようかなー」と言い始めたので、ぜひともこの辺に決めてもらいたいと思って、この辺りのよさをアピールしている。

 売ります、買います情報誌というのがあって、不動産屋さんの店先で無料配布されているので、そういうのももらって来て、情報集めをしている。

 スーパーのレジで、私の前に通過した人が、レジを打っている人と知り合いらしく、おしゃべりに花が咲いていた。聴くとはなしに聞いていたら、「こんどうちを売るからよろしく」と言っている。「スーパーに勤めている人の中に、誰かいい人がいたら」と言っている。

 隣のレジを打っていた人が、「え?家を売るんですって!?どんな家?」と客をほっぽり出して身体を乗り出して来る。

 2台のレジのベルトコンベアーが停止してしまったが、客の少ない時間帯でもあったので、なんとなくのんびりしている。私も、私の後ろの人たちも、「どんな家?」の続きに耳を立てていた。

 改築したばかりで、部屋は三つあり、庭はX平方メートルで。。。湖のそば。

 ほお、湖といえば昨日行った《ルーカイエ湖》だろう。あの辺の田舎道を思い浮かべた。

 これは友達に知らせねばならぬと思って、レジを離れていこうとしている大家さんを取っ捕まえて、住所と電話番号をいただいた。友達にさっそくメールを書いた。

「でも、今すぐ見に行けないし、今すぐ買えないし」と言われて、ちょっとがっかり。でも自分のおっちょこちょいが丸出しで恥ずかしい。

 その友達、この夏休みに、遊びに来てくれる。

 いい所をたくさん見せて、絶対この辺に住みたくなるように、せっせとアピールしなければ、と鼻息を荒くしている。

 一昨年私たちが家を探していたころよりも、土地も家も安くなっているような気がする。《情報誌》を眺めていると、今住んでいる家よりもいい家がいっぱいあったように思えて来る。

 友達は「今住んでいる家を高く売って、田舎で広大な土地を買う」と言っているのだが、彼女はコートダジュールに住んでいるし、雑誌から抜け出したようなすてきな家に住んでいるので、きっと高くで売れるに違いない。

  うちの庭にだって、ちょっとずつ草が生え始めているのだ。。。

 《住めば都》の言葉も、わかり始めたところ。

やはり友達に、ぜひ引っ越して来てもらいましょう。ふふふ

2006/06/01

フランスだけど日本晴れ

  サイクリング大会当日。

 お母さんボランティア3人、担任と合わせて大人4人で、24人の小学生を引率することになった。

 4年生と5年生のひとクラスずつで、ノエミは4年生、午前中に出発した。5年生の24人は10時ごろ出発して、昼ごろ目的地で合流の予定。

 目的地は5-6キロぐらい離れた、人工湖《ルーカイエ》まで。

 私は自転車を持っていないので、車に子どもたちの荷物を積んで出発。数週間前に回されて来た担任の先生からの手紙では、車2台の募集があった。1台は空っぽ状態で走り、事故の場合に、事故を起こした子とその自転車を載せられるようにしたいというのが、先生の希望だった。けれども応じた人が少なく、車はうちのおんぼろプジョー1台。誰かが怪我をしたら子供は載せて走れるように、チャイルドシートを用意。でも、事故車は放置するしかないだろう。

 大人の自転車引率も希望より少なく2人だけ。担任の先生がちょっと不安げだった。

 地図を見せられたが、私はまだこの辺の地理に詳しくないので、後ろから静かに着いて行くしかない。

 そのかわり2人のママさんボランティアは、よく慣れている様子。

走る姿がなんとも頼もしい。

グループから遅れがちな子供の、背中を押しながらいっしょに走るというような技も持っていた。

 ノエミは数週間前に買った新しい自転車で、ここのところ毎日練習して来たが、こんなに遠くまで行ったことはなかったので、不安のようだった。子どもはダムのある人工湖までの、のぼりの多い田舎道を、とてもよく走った。金色に輝く波が、風にあおられてうねっているような、広大な麦畑を突っ切り、その向こうに広がる澄み渡った空に向かって、色とりどりのヘルメットが光りながら坂を上って行くのを、後ろから追いかけた。

 沿道で声援するお年寄りが多かった。普段は人通りがないのだろう。

まるでツールドフランス並みの声援を送る人も居た。

 到着地のルーカイエ湖では、小型の帆付きボートの研修が待っていた。

子どもたちはすでに教室で、帆付きボートの操縦の仕方を、すでに勉強している。多くの子どもが去年も研修をうけている。去年ノエミは転校したばかりで研修を受けられなかったが、なにせ風向きとか、方角とか、そういうのを読むことは普段から元船乗りの父に習っているので、なかなか呑み込みがよろしい。こんな小さな子どもたちにヨットが操れるなんてびっくりした。

 母親ボランティアの三人で、船着き場の日だまりに座って世間話をした。

そのうちの一人は、顔だけ見て憧れていたロランスさんだったのだが、たくさん話ができた。

とても美しい人で、いつもきれいな服を来て、かっこいい車に乗っている。優雅な物腰からどこぞのお嬢様で、きっと大金持ちのご主人なんだろうなあ。。。と思っていたのだが、苦労ばかりの人生だったんだねえ。。。という打ち明け話だった。人は見かけによらないのだ。

 そして私のほうも、中国人じゃなくて日本人だったという事実や、まあ、いろんなことやってるんだねえ。。。ということを理解していただけた。こんどロランスさんのお宅にお茶飲みにおいでと言われた。どきどき

 合流した5年生のボランティアグループ、ヨットクラブの指導員約三名、教師陣。大人は全部で10名ぐらいになった。大人だけで集まって、テーブルを出しての食事会となった。子どもは湖のほとりでピクニック。私はデザート係で、ロランスさんはソーセージ係。ほかにチーズ係、サラダ係、パン係、飲み物係、ワイン係。。。みんなで分担したのですごい昼食になった。

 教師陣が昼間の遠足で、ワインを飲むというあたりがいかにもフランス。

 帰りは下りが多くて、あっという間だった。

一度、大通りを横切る時に、担任に言われて、道路をふさごうとしたが、道路に立ちふさがるタイミングを外して、1台こすりそうになり、もう1台は後ろからぶつけそうになり、もう1台にはクラクションを鳴らされて、大恥をかいた。

 来年はぜひとも自転車で参加したい。

今からいい子にして、サンタさんに自転車をお願いしようっと。