2011/06/18

米寿

 八十八歳は、米寿なのだそうだ。とってもめでたい数字だ。わたしは八という数字が大好きで、いつもこの数字に助けられてきた。JPのお誕生日だって、3月8日だ。JPのお誕生日を知った時に、この人は絶対にわたしを幸せにしてくれると確信した。自分は4月29日なのでJPにはかなり苦労をさせている。彼もこの日を避けたいんだろうか?今年も例年のごとく4月28日の朝、元気よく「お誕生日おめでとう」と言われ、わたしは沈黙したのであった。

 わたしとJPの剣道クラブの名前は《白悠会》という。諸葛孔明の読んだ詩の中にこんなものがあって、恩師の佐藤先生が大好きで、先生の手ぬぐいにも書かれていた「白雲悠々」からいただいた。

    白雲悠々 去りまた来る
    西窓一片 残月淡し
    浮き世をよそに 静けき住まい
    出ては日ごと 畑をうち
    入りては 机に文をひもとく
    雪降りみだるる 冬のゆうべに
    風なお 冷たき 春の朝

 諸葛孔明の怖そうなイメージには合わない詩だと思う。佐藤先生は、白い雲のように、悠々と人の頭の上を流れ、風に吹かれて形を変えたり、方向を変えたりしながらも、のんびりと剣の道を歩んで行きたいとおっしゃっていた。普通剣道で使う手ぬぐいには《剣心一如》とか《文武両道》とか書く先生が多いのだけれども、佐藤先生の手ぬぐいは、《白雲悠々》だった。わたしも、白い雲のようにのんびりと、柔軟に流れて行けたらどんなによいだろうと思う。地上の焦りやストレスを笑って眺めながら。。。

 剣道の友達の中にネクトゥーさんがいる。ネクトゥーさんは、昨日88歳になった。4年前はいっしょに道場で稽古をしていたけれども、このごろは腰が痛くてもう道場には来られない。なので、わたしはネクトゥーさんの家に遊びに行く。ネクトゥーさんは、毎週日曜日にドレイ先生とご飯を食べるのを楽しみにしている。先週ネクトゥーさんのお家に遊びに行ったら、ネクトゥーさんがしょんぼりしていう。
「みのり、ドレイさんと連絡取れないんだよ。死んでるんじゃないかと心配なんだ」
ビックリした。話を聞くと、それなりに心配な要素がいくつかある。いろんな人に電話し、結局一時間後、わたしの電話はドレイ先生につながり、隣にいた看護婦さんとも話をすることができた。家族ではないので、詳しいことはなにも教えてもらえない。わかったのは、ネクトゥーさんが心配していたこの三週間、ドレイさんは入院していたとのこと。もう二度と運転してはいけないそうだ。
「それじゃあ、もううちには来れないね。もうドレイさんには会えないのか。。。」
とネクトゥーさんは肩を落とす。それが一週間前。

 その週の土曜日にはドレイ先生の住んでいる道場を訪ねて、元気な姿を見ることができ、とりあえずほっとした。でも、ドレイ先生の記憶は、日々失われているようで、わたしがだれだったのかは、よく思い出せないらしい。ドレイ先生はわたしの父と同い年で、言うこともすることも似ているとずっと思って来た。そして土曜日、久しぶりに会ったドレイ先生は、2003年に9年ぶりに再会した病床の父と、全く同じ顔色をしていた。目のくぼみや、小さくなった頭もあの頃の父と同じだった。先生がセーターの腕まくりをして、「ほら、こんなところに変なこぶもできちゃって」と見せてくれたとき、膵臓がんの末期であった父の脇腹に、同じこぶがあったことが鮮明によみがえったので、わたしはいろいろなことを悟らずにはいられなかった。


 昨日の朝、わたしは早起きをして朝市に行き、ボボを早歩きで歩かせ、子ども達をいつもの時間よりもはやく学校の門の前におろし、ダッシュでトゥールーズに向かった。ドレイ先生を迎えに行き、Uターンして、ネクトゥーさんのお宅にお邪魔した。3人で楽しいお誕生日会になった。ネクトゥーさんが寂しがるので、このごろのわたしは、イタリアの白ワインでネクトゥーさんのおつきあいをする。昨日はドレイ先生がいっしょだったので、ネクトゥーさんもうれしそうだった。

 ネクトゥーさんやドレイ先生は、フランスでも最も早い時期に剣道を始めた先輩たちだ。ネクトゥーさんは、わたしがまだ2歳だった1969年の日本で、剣道を経験している。ネクトゥーさんのアルバムには、今や七段、八段となり、世界で名前を知られている先輩たちの幼い顔がある。わたしはフランス剣道界の歴史を、歩み続けて来た本人たちから教わるのだ。

 この人たちのことを、忘れてはならない。忘れはしないよと、言ってあげなければならない。懐かしい人たちの、声を聞かせてあげたいと思って、facebookでネクトゥーさんのことを書いた。facebookに登録していない人のために、個人的にアドレスのわかる人たちにも一斉メールを送った。全部で200人ぐらいに書いた。この中でネクトゥーさんと実際に剣を交えた人は30人ぐらいだろうか。ネクトゥーさんのことを知らない若い人たちは、自分たちのクラブの先輩や、友人や、武道をたしなんでいる家庭であれば両親や兄弟に、ネクトゥーさんの話をしてくれた。そして、わたしはこの一週間で、たくさんのメッセージを受け取った。ネクトゥーさんが読めるように、集まったメッセージを拡大をして、綴り、本にして、お誕生日のプレゼントとして持って行った。わたしが持っているありとあらゆる写真もコピーした。そして、ネクトゥーさんが知っている人の現在の活躍や、その生徒たち子ども達の姿を見せてあげた。そこからまた昔の話が出てくる。話は尽きない。いつまでも思い出が溢れ出てやまない。

 個人的に、わたし宛にお礼のメッセージをくれた人もいて、そのような人たちには、わたしの電話番号を伝えておいたので、お誕生日の当日に、ネクトゥーさんの家に電話してくれた人もいた。そして、一人は出張ですぐそこに来ていたからと言って、ネクトゥーさんの家のドアをノックしてくれた。ちょうどドレイ先生も来ていたから、ものすごく楽しい再会の日となった。

 わたしは来週も、ネクトゥーさんに会いに行く。再来週も会いに行く。日本のお線香を持って遊びに行く。ネクトゥーさんと般若心経を詠むのが好きなのだ。毎週会いに行くつもりだけど、日本に帰っている6週間は、毎週絵はがきを書く。そして、日本でお線香をたくさん買って、ネクトゥーさんのお土産にする。この夏、二人の年老いた先輩たちが、元気にわたしの帰りを待っていてくれることを祈る。ネクトゥーさんは、毎日わたしのためにお祈りしてくれる。だから、そのおかげでわたしはいつも元気なのだと信じているので、わたしもネクトゥーさんのために祈る。ドレイ先生のことも祈る。

 わたしも、ネクトゥーさんみたいに、米寿までがんばれたらいいと思う。
米寿まで剣道できたら幸せだと思う。
 

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