2010/02/08

結婚式の準備

 JPには弟が二人いる。二番目の弟は5年前からすでに恋人を暮らしていて、三歳になった息子もいる。《恋人》というのかどうかわからない。結婚はしていないけれども、市役所にちゃんと同棲の届けをしていて、息子に対する法的な権利は平等で、二人で使える銀行の口座もあるし、二人のお金で家も車も買った。
 五年一緒に暮らして、このお正月にいきなり「結婚式をする」と宣言した。準備まで一ヶ月しかなく、しかも冬で(結婚式っていうのは普通夏休みにやるもんだ、というのが義母の意見)、引っ越したばかりの改装工事中の家のガレージで、結婚式をやるというのだから、何やらバタバタする。

 弟たちがいま住んでいるのは、10年前まで両親が住んでいた家で、14年前にわたしたちの結婚式をやったところだ。わたしの結婚式にはまだ健在だったJPのおばあさんも、モナコとの国境付近に住んでいるJPのお父さんの弟も、お母さんがたの従姉も来てくれた。そして、日本からわたしの奈良の二人の従姉妹と四人の友人たちも来てくれた。
 セネガルからフランスに帰って来てまだ一週間足らずだったが、「結婚というのは家族のお祝い事だから。息子のために。」という両親が、何から何まで、準備も支払いも、ぜ〜〜んぶお膳立てしてくれて、わたしはなんにもやらなかった。日本でやった披露宴も、同じように、わたしはな〜〜〜んにもやらなかった。
 わたしにとって、JPとの人生はセネガルで、親とも故郷とも離れたところで勝手にスタートしてしまっており、《結婚披露パーティー》というのは、親のためにやったようなものだった。。。と、いま考えれば、そんな気がする。まだ若かったので、そういう《公的なこと》に慣れている大人たちに、なにもかも任せ、相談し、やってもらえるならそうしてもらって、お金出してもらえるならラッキー。。。という感じでもあったかもしれない。

 弟たちは、親戚を呼ばない。そして、両親は、弟たちの結婚披露宴の準備には口出しできない。口出しして、喧嘩になって、双方が譲り合えなかったので、両親は結婚式に参列しない。なんとも残念。

 わたしがダニエル家の女性を代表するのだ!弟のお嫁さんの結婚式の準備を手伝うために、週末に電車でナルボンヌに行って来た。肩を怪我して車の運転が不自由なので、電車を乗り継いで行って来た。やることはいっぱいあって、三日のあいだ働き詰めだった。肩も痛くなり、風邪もひどくなった。あと一週間。《バレンタインデー》を意識して、どうしてもこの日、この冬に結婚式をやりたいという二人なので、やるしかないのである。
 親と喧嘩してまでやる結婚式って、どんなだろうと言ってみるが、そういえば、自分だって、親にはあまり認められない結婚をしたんだ。すっかり忘れていた。結婚式って(お葬式も、そう)、家族の問題ではあるんだろうけれども、結婚っていうのは、とりあえずは、当事者二人の問題なんだと思う。

 とりあえず、五年間も様子を見て、ダニエル家の人間関係もよくわかっているはず。こんな喧嘩になることもいちおう想像できただろうに、それでも意地を張って近くに住んでる親と喧嘩し、これからずっと気まずいのはわかりきっている。それでも、この家に嫁ごうとしているわたしの義妹に、「がんばろうね」と言うしかない。

 意地の張り合いは、人ごとだと、すごくバカみたいなものに思える。
 意志を通すのと、意地を張るのは別なものなのだ。そのことに気づいただけでも、この14年以上のダニエル人生や、親の家の外で体験した20年以上の社会人人生も、そう捨てたものじゃなかったんだろう。親から離れるのは、親を見捨てるわけでも、感謝していないわけでも、尊重していないわけでもないと思うんだけど、それがわかる親に、わたしはなれたらいいなと思う。

 そう言いつつ、ノエミが独り立ちをしようとする時、ことごとくいちゃもんをつけるんだろうな〜。
 

 

 

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