2009/07/06

おひろめ

 ノエミはずいぶんヴァイオリンの腕を上げたと思う。

 春にアルビで、国立音楽学校の試験を受けた。
4年間のプログラムを終了して、来年は今までのグループよりひとランク上がる予定なので、そのための試験だった。
プロのピアニストの伴奏、恐い顔をした知らない先生たちの前で実技の試験を受けた。試験前にリハーサルまであった。
演奏したのはRussian Fantasia No. 3 : Leo Portnoff



 三人の試験官からとても褒められ、カーモーの学校の先生にはお礼まで言われた。
「よく勉強してくれて、ありがとう」
「こんな鍋みたいな楽器で、よくあそこまで演奏できたね」
音楽学校で借りているヴァイオリンは、「なべ」と言われている。
弓も真っ黒に汚れていて、ガリガリと弦をこする。
一度ヴァイオリンが壊れた時に、修理をしてくれた人からは、
「よくまあ、こんな鍋みたいな楽器を、お金を出してまで借りてるね」
と言われた。その時に、彼のアトリエに中古の安いのがありますよと言われたのだが、その手作りのヴァイオリンは、《お買い得》ながらも、なんと3000ユーロ!とのことだった。わたしが一年ぐらい掛かってやっと翻訳した本が、もし運良く出版されたらもらえるかもしれないお金では。。。足りないぐらいだ。ちょっとやそっとじゃあ手が届かない。

 試験に合格した翌週のレッスンで、先生はわたしの顔をちろちろ見ながらノエミに言う。
「ノエミもいよいよ大人サイズのヴァイオリンが持てる体格になったね。そろそろ自分のを買ってもらってもいいんじゃないか」
先生は、わたしがヴァイオリンを買ってあげたがっていることは充分承知。毎週ついていって、レッスンを聴いているせいか?熱心な親だと思われている。

 2分の1サイズ、4分の3サイズと、身体に合わせて少しずつヴァイオリンの大きさを換えながら、4年間レンタルで習わせた。いっしょに習いはじめた友だちは、成長に合わせてなんども買い替えてもらっていたけれども、ノエミはいちばん大きいサイズのヴァイオリンが、自分の身体に合う時になってから考えようよと言って、おねだりはしなかった。ほかのイヤイヤやってるような子たちが、自分の楽器を持って習いに来るのを見て、わたしはまじめに練習するノエミにこそ、無理をしてでも良い楽器を持たせるべきなのではないかと思い続けてきた。じっさいには「下手な職人は道具に文句をつけるんだよ。楽器が悪くても上達できる」などと言って、ノエミよりも自分を励ましていたかもしれない。買ってあげられないことは情けなかった。いくら私だって音の悪さはよく実感していたし、借りているヴァイオリンの修理にお金を掛けるのもいやだった。
 
 「ヴァイオリンを買っ؁てあげたはいいが、それ以外には無関心の親がいっぱいいる。高いヴァイオリンをおねだりして、続けないこどももいっぱいいる。ようすをみましょう。ノエミがずっと続けることに決めたら、その時にちゃんとした大人サイズのヴァイオリンを買ってあげればいいんですよ。身体も成長段階だから、まだいい楽器を選ぶ余裕はありますよ」
と先生は言い、4年の間《鍋みたいな》ヴァイオリンでよく指導してくださった。そして今は、
 「鍋みたいな楽器でよくここまで続けて来れたね。応援してくれたお母さんに感謝しないとね。ノエミのヴァイオリンが上手に唄えるように、もっとがんばらないとね」
と、ノエミに言ってくださる。

 ノエミがヴァイオリンを始めたころの日記は、2005年の9月頃にいっぱい書いた。あの年にいっしょに始めた、同い年の4人の子どもたちは、みんなやめてしまった。わたしもチェロを続けられなかった。

 学年末のコンサートでは、最上級生として小さい子とデュエットをしたり、試験で弾いた難しい曲を披露した。先生は、みんなに紹介する時に「うちの学校の希望の星、一番よく練習する子です」と言った。そして、先生の期待通りに、拍手喝采でコンサートのフィナーレを飾った。

 今年始めた女の子たちは「ノエミみたいになりたい」とか「ノエミに憧れている」と言ってノエミお姉さんを取り巻いた。わたしは、その子たちのお母さんたちに囲まれて、どうやって毎日練習させてるんだなどと質問された。じつは、毎日怒鳴りつけたり、脅迫しながら、とりあえず30分はやらせている。《やらせる》のはとっても大変だ。でも「来年も続ける。ずっと続ける」と本人が言うからには、好きなんだろうと思いたい。音楽が、ノエミの中で、なにか大切なものになりつつあるんじゃないだろうか、それはいいことなんじゃないだろうかと思う。

 わたしとJPは、毎日どうやったら30分稽古させるかに頭を悩ませている。ノエミが平気な顔をして「あ、忘れた」などととぼけるようなときにJPは、ノエミが本当はヴァイオリンは好きではなくて、いやいややっていると疑う。わたし自身はピアノを10年ぐらい習ったが、自宅でのレッスンは延べ1ヶ月分ぐらいじゃないか。レッスンは大嫌いだったけれども、コンサートで舞台に上がるのはけっこう好きだった。
 小さい時に音楽をやってよかったと思っている。これまでスポーツでも、家事育児をするのでも、音楽は何かにつけてけっこう役に立ってくれたと思うし、音楽はやはり癒しによいと思う。ピアノをしていたおかげでいま、ノエミに合わせて簡単な伴奏だってできる。娘と一緒に唄えるのはとっても楽しい。

 あいかわらず定収入はないけれど、臨時収入が入ったので、JPがなんといってもいま買ってやらなきゃと思った。そのせいでちょっとケンカもした。
 そして今日、ようやくお金を払い終わった。
先生がコンサートで使った思い出のヴァイオリンで、新品同様の中古ながらも、修理の跡があるためにお店では売れないとのこと。修理した部分に職人さんのサインが入った特徴のあるヴァイオリンで、先生の口添えで6000ユーロぐらいのを600ユーロにしていただいた。一ヶ月の間、試しに使っていい。お金がある時に、少しずつ払ってくれればいいと、貸してくださっていた。 

  JPには「ノエミが今より学校が忙しくなったり、社会人になったりして、ヴァイオリンをやめる日が来たら、高く売ればいいよ。ちゃんとしたヴァイオリンなんだから、いいねだんになるよ」と言って説得したが、じつは、そのときにはわたしがやればいいやと思っている。じつはノエミがいない時に、こっそりいじっている。
 一人で音符も読めるようになったので、これからはあまりノエミの後ろに立ってガミガミ《指導》するのはやめようと思う。「すごいねえ。楽しいねえ。すばらしいねえ。気持ちいいねえ」と毎日言ってあげようと思っている。



             先生のピアノ伴奏で

             今年始めた小学生のルイ君と

こうやってノエミがたのしそうに笑える音楽に、悪いことなんかぜったいない。
                

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