2009/05/03

今年はじめてのピクニック

  先週の剣道講習会で、ロデツのクラブの若い人に、JPの防具を貸してあげていたら、土曜日に仲間のフレデリックが、家まで返しに来てくれた。彼はロデツに住んでいるのだが、週末はアルビのお母さんの家でいっしょに食事をするのが習慣になっていて、カーモーを通るのだ。お母さんの家のテラスが広いので、そこに、《打ち込み台》を作ったと言って自慢していた。《打ち込み台》というのは、その名の通り、例えば《面》などをひたすらに打ちまくる相手として作られた、マネキン人形だ。鉄で支柱を作って、古い面をかぶせ、それに向かってせっせと打つ練習をするのだ。

 日本ではそういうものを見る機会はあるし、想像もできるだろうし、マネキンじゃなくても、タイヤなどを使って、剣道の打ち込みをする人はどこにでもいるが、そんなことをフランスの田舎でやれば、《変な人》のレッテルは間違いなしだ。素振りは奇妙だし、気合い入れて叫んだりしたら、「あそこの奥さんは狂ってる」と言われるに違いない。だからわたしは、家の中の廊下で、しかも声を出さずに、静かに素振りなどをやっている。すごくやりにくい。
 
 フレデリックが、今月はロデツの街の《日本月間》になっており、町中で、日本にまつわる展示会や講演会、映画会や物産販売会が行われると教えてくれた。なぜ?ロデツなんかで??
 その催しの一環として、日本刀の展示会と、日本刀作りのデモンストレーションが行なわれるというので、日曜日に行くことにした。
日本刀を作るのは、ドミニク・ベージェスさんといって、前にもアルビでデモンストレーションがあった時に見に行った。
 アルビでジュエリーショップをしている万里さんという日本人の友だちは、彼が刀を作る時に、刀の柄がしらの龍を彫るお手伝いをしている。《柄がしら》というのは、刀の柄のいちばん先っぽについている硬い部分で、刀を鞘に納めて腰に差している時には、刀の一番上に来る、美しい模様を見せびらかせる(?)部分だ。ただし、刀を抜いている時、つまり柄を握っている時には、その姿は見えない。でも、ただの飾りではなくて、刀を抜く瞬間に、その柄がしらで、相手のみぞおちを打ったりもできる(柄あてという技)、とっても優れた武器なのだ。丈夫でなくてはならず、また、美しくなくてもならない。
 数年前にドミニクさんのデモンストレーションを見るまで、「刃紋」というものがどういう風に入れられるのか知らなかった。
 刀が一通り出来上がったとき、刀に泥を塗る。そこに、例えば波型の模様を入れて焼く。刀を泥ごと焼いて、あとで泥を落とすと、刃紋が入っている。彫刻のように打ったそのものが形にはならないので、泥を割って浮き上がった刃紋が、その刀の価値を決める。緊張の一瞬だ。ドミニクさんが、その泥に日本の火山の灰を混ぜたらどうだろうかというので、いつか桜島の灰を持って行ってあげようと思っていたのに、この前帰った時には、灰を持って帰って来るのを忘れてしまった。

 今日は、とっても良い天気だったので、ロデツにたどり着く手前でピクニックをした。一週間雨が続いたので、川の水位は上がり、敷物の下は湿っぽかったが、今年はじめてのピクニックだった。
 
 ロデツに着き、目指す博物館を探し当てると、玄関先で、刀に《焼きを入れ》始めていた。三人の男性が《鉄は熱いうちに打て》でやっていた。鋼の塊がだんだん細く薄くなって行く間、時間がかかりそうだったので、わたしたちはロデツの博物館の中に入った。ここには8000年前の壷や石像や、宝石などが展示されている。とても近代的で、調和のとれた博物館だった。地下の特別会場に、万里さんの彫った柄がしらや、ドミニクさんの打った刀が並べられていた。すばらしかった。去年の秋に揖宿神社で見せていただいた、日本刀にちょっと似ていると思った。短く、そしていかにも手作りのまだらの広がる、重そうな刀だった。

 月の第一日曜日だったので、博物館の入場料は無料だった。そんなことはすっかり忘れていて行ったので、玄関で「本日は無料です」と言われて大喜びだった。

 外に出ると、ロデツの剣道の仲間たちがみんなで刀作りを見学に来ていた。JPはわたしがどんな人たちと剣道をしているのか知らなかったし、みんなはJPに会いたがっていたので、思いがけずに紹介できてよかった。
 刀の方は、ほぼ出来上がっていたが、刃紋を付ける泥を塗っているところだった。そこからがまた時間の掛かることをわたしたちは知っていたので、帰宅する時間を考えて、みんなと別れることにした。

 ロデツの公園でおやつを食べて、来る途中でお祭りをやっていた町があって通行が難しかったので、そこを避けるために、ずいぶん遠回りをして、夕方6時頃戻って来た。

 とってもとっても良い日曜日だった。

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