2008/08/13

続・流星群の夜。

 ペルセウス流星群というのは、毎年見れるそうだってことを、今日知った。
「小さなオペラグラス覗いたけど、柿の木見えただだけ〜〜」とユーミンが唄ったのは《ジャコビニ流星群》だったのだが、あれを聴くと、わたしのペルセウス流星群の夜が懐かしくなり、それで、いつか、あの作文を手に入れなければ、と思っていた。去る2月に帰国した時に、いぶすき図書館に行って《文集 いぶすき》をさがしてコピーをもらった。

 中学の時に書いた作文を手に入れなきゃと思っていたころは、ただ単に《ペルセウス流星群の夜》などというロマンチックな題がついている作文に、長年心惹かれていたからだ。そして、なんといっても《文集いぶすき》に載ったという、過去の栄光が、夢ではなかったのだという確信が欲しかったのかもしれない。

 でも、この作文を読み直して、自分が考えていたよりももっともっと大きな感動と衝撃を覚えた。

 わたしが中学生の時に書いたこの作文には、《あのころのわたしたち》がいたから。

 母屋と離れた場所にあって、お化け屋敷みたいに恐ろしかったあの勉強部屋(家)は、もうない。《母屋》とわたしが呼んでた、小学や中学の友だちだったらみんな知ってた《エンドー帽子店》も、もうない。あの辺は区画整理で姿を変えてしまって、《かどや》も、もうあの角にはない。あの通りにあった《今村おもちゃ屋》も、《池元仏壇》も、散髪屋さんの《つばめ》もない。だから、父が夜中に釣りから戻って車を停めた駐車場(そこではよくゴム跳びをした)も、父がパンツ一丁になって水浴びをした井戸水の流れる洗い場もない。そうして、父さえも、もういない。

 昔の作文のおかげで《釣りから帰る父》に再会した。
 上の姉はなにやら難しくて怪しげな《研究会》が好きな人で、彼女の本棚には本がいっぱい詰まっていた。姉の居ぬ間に本棚を荒らし、勝手にラジオをつけるのが、妹の趣味で、今ノエミがゾエに迷惑かけられてイラつく姿を見るたびに、自分が姉にとってどんなに迷惑な妹であったか、今さらながら申し訳なく思う。
 下の姉は、中学卒業後看護学校に入って、15歳から近所の病院で働きはじめて、定時制の高校を出た。自宅から白衣のまま通っていたから、いつもいつも白衣を着ている姿しか思い出せない。父が病気になったとき、毎日注射しに来てくれる看護婦さんたちのことを、自分の娘じゃないかと思って、じろじろ目で追いかけていたが、わたしも、黒いカーディガンの下に白衣を来ている看護婦さんを見ると、姉じゃないかと思ってしまう。
 家族で一番わたしに近いのは、母だったかもしれない。まず、目線からしてだいたい同じくらいだ。ちょこまかとよく動き、よくしゃべり、好奇心旺盛で、けっこう前向き。夜中に家の外で星を見ている娘がいれば、自分も出て来て並んで星を見るような人。昔からいろんなことを、できるだけ一緒にやってくれる人であったと思う。《参加》という言葉はけっこう好きなはずだ。お人好しでいろいろ抱え込んで苦労するタイプ。

 ある時父に、「わたしはかーちゃんみたいなおかあさんになる」と言ったら、「おまえには絶対に、なれない」と言われた。ひどい親父だと思ったが、たしかにその通りだ。

 作文に再会できて本当に良かった。みんながここに居てくれたような気がする。

 ペルセウス流星群は、今晩見れるそうだ。
http://www.nao.ac.jp/phenomena/20080811/index.html
先ほどニュースで見て、びっくりした。いい天気になるだろうか。今日は一日中雨で、午後の2時に20度しかなく寒かった。

  

1 commentaire:

Unknown a dit…

nozomi さん、はじめまして。
「かどや」をキーワードに検索して、こちらにたどりつきました。
で、いまはもうない「かどや」のことが書いてある文章を読むことができました。ちょっと感動しました。
で、ワタシのブログみたいなものに断りもなく引用させていただきました。
http://www.saturniancafe.com/memorandum/archives/2008/12/05_2258.php
よろしかったでしょうか?
フランスにお住まいなんですね。ワタシは学生のころに、フランス人のベビーシッターをしていたことがあって、その子の名前が Zoé でした!