2008/08/17

甥を追いかける

 8月13日の午後から、パリに住んでいるJPの弟の家族が来ていた。
弟とソフィーは結婚はしていないけれども、子供がひとりいて、わたしの甥は金髪に青い目をしている。
ソフィーは、ダニエル一族における、わたしの強い味方だ。
JPの2人の弟は2人ともパリに住んでいて、よくお互いのアパートを行き来し、一緒に食事をしたり、下の弟が甥っ子のお守りをしたり、とても仲良くつきあっている。JPがパリに出張するときも、時間が許せば弟たちといっしょに食事をする。6つずつ歳の離れた兄弟は、大人になってずいぶん仲良くなった。
下の弟も30歳を越えて、義母はお嫁さんのことを気にしはじめているが、ソフィーみたいな素敵な義妹が増えるのを楽しみにしている。

 ソフィーは、8月2日にお父さんを亡くした。私たちは夏休みでみんなナルボンヌの実家にいて、ソフィーと義弟はお葬式に出て行った。帰って来たソフィーはお父さんのこの一ヶ月の凄まじい最期が、こんな風にあっけなく終わってしまって、夏休みにみんな揃っている時にお葬式もすませ、片付けも終わらせることができて、ホッとしていると言った。
 わたしにお父さんとの思い出を笑って語るソフィーを見て、彼女はまだ、お父さんの死を、現実のこととして実感していないんだな、と思う。きっとそうだろう。わたしは父のことを語れない。家族の誰にも父のことを語らない。義父母などは、(その前もあとも父のことを語らない)わたしのことを、冷たい人間だと思っているだろうし、《そんなこと》がなかったように、《あれ》はうそだったかのように、前以上に、父のことには触れない。

 この数日間、私たちは弟の家族と本当に楽しく過ごした。いろんなところに行った。時間を気にせずに昼寝をした。いっぱい食べた。ピクニックもしたし、レストランにも行った。

 金曜日の夕方、毎週の恒例通り農場に野菜を取りに行くことになり、甥たちも連れて行くことにした。ソフィーは、夕暮れ時の農場で、煙草を吹かしながら、「今日は一日中胸が苦しくて、胃がギリギリした」と言った。どうしてそうだったのか、私にはよくわかる。
 その朝、25年前に再婚した、ソフィーのお母さんではないほうの、お父さんの25年来の奥さんニコルと電話で話してから元気がなかったのだ。ニコルは、家の留守番電話に、お父さんの声が入っているから、声を聴きたければ電話を掛け直すようにと言い、ソフィーは電話を掛け直した。よくそんな勇気があったものだと思う。
 でも、電話の調子が悪くて、留守番電話に入っているお父さんの声を聴くことができなかった。
 「電話はまたかけ直してみる。今日は、ニコルに留守番メッセージがお父さんの声だと聞いて、勢いで電話を掛けてしまったけど、もしお父さん(の声)が電話に出たら、わたしは一体なにを言っただろう?今日はずっとそのことを考えていて、胃が痛かったの。わたしはお父さんに謝りたい。」
ソフィーがそう言った時に、わたしはもう耐えられなくなってしまった。
 「ソフィーごめんね。わたしには何もできない。あなたを助けることができない。救ってあげられない。だって、わたし自信、まだまだ後悔しているから。」
 ソフィーは泣かない。泣いているのはわたしだった。じつは、ソフィーのお父さんが危篤になってからずっと泣いていたのだけど。
ソフィーは静かにわたしの背中を撫でて、
 「みのり、ずっと泣きたかったんだねえ。泣かなきゃいけなかったんだねえ。」と言った。

 泣かなきゃいけなかったかどうかはわからないが、ときどき思い出したり、後悔したり、懐かしんだりしてもいいんだなあと思う。
留守番電話にお父さんの声が残っているなんて、うらやましい。でも、わたしの父は、娘に向かって「現在留守にしております」などと言うような人ではなかったので、わたしの場合、怒られたり怒鳴られたりする父の声でなければ、気分が出ないだろうなあ。

 ソフィーが泣く日が来たら、今度こそわたしの方がなぐさめてあげられたらいいなと思う。
 
にぎやかな甥が去り、家の中が急に静かになった。
夏が終わったような気分だ。
ひまわりはもう下を向いている。

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