2008/03/17

この頃のわたし またも なか休み

 一ヶ月前の日記をちまちま書いている。
 鹿児島に着いたら、また書くこともあるので、ちょっとここでひと休み。
なんだか感動が薄くなりそうで、記憶も遠のきそうだから、どんどん書きたいのに、わたしには、時間というものが不足している。

 毎日毎日あっという間に過ぎていく。
3月の第一週目の週末は剣道講習会の通訳に行き。久しぶりに汗をかいた。
第二週目の週末は、JPのお誕生日だったので、金曜日に両親を呼んで誕生会。日曜日にはすみちゃんを呼んでお別れ会をした。
先週は、《ミー》さんのお店で働いていた、すみちゃんが日本に帰ってしまい、我が家まで寂しくなってしまった。

 子どもたちの習い事や、学校の行事もあれこれあり、わたしはフルートの練習をまじめにやり、本をたくさん読み、時間が余っていれば日記を書いた。家の片付けもやってる。掃除はやってない。

 今とても気になっているニュースは、チベットの暴動と、地方選挙の結果の動向。6年前からコロンビアのジャングルで人質になっていて、今では病気のために死の危険にさらされているらしき、イングリット・ベタンクーの命の心配と家族の不安をおもう。

それから、先週の木曜日に偶然テレビで見てしまった、エレファントマンみたいな女性の顔が、頭から離れない。
シャンタル・セビーさんは、不治の病を持っていて、その症状のひとつに《顔が崩れていく》というものがある。鼻などの気管が冒されつつあり、目はこぼれ落ちそうにふくれあがり、日々ものすごい痛みに苦しんでいるのだ。自分の顔写真を公開して、メディアの関心を引こうとしたそのわけは、《死の権利》を主張するため。
 病院でもらう痛み止めはもう全然効かない。これ以上は処方できないと言う。

 数年前、ヴァンサン・アンベールという若者が、《死の権利》を主張しながら、亡くなっていった。我慢できなくなった母親と、担当医が、点滴に操作をして、彼の痛みを和らげてあげようとしたもの。先日映画でヴァンサンの物語を観た。母親のマリーさんの強さに心打たれた。

 苦しむ姿を毎日見ていなければならない家族の気持ちや、苦しみながら、家族のことを考えてやまない病人のことを考えれば考えるほど、とっても難しい問題なのだと思わずにはいられない。我が身をそこには起きたくないものだ。健康に過ごしているなに不自由のない生活に感謝せずにはいられない。

 先週から、シャンタルさんが裁判所にお願いしていた《死の権利》に関わる、《安楽死》の申し入れが、本日受け入れられないことになって、今日はずっとラジオで《安楽死》問題についての様々な討論を聴いていた。

 さて、最後のニュース。
http://info.france2.fr/france/40850636-fr.php
第一次世界大戦で闘った戦士の、最後の最後の生き残りラザー・ポンティッチェリさんが110歳で亡くなって、本日、ナポレオンのお墓もあるというアンバリッドで、国葬が行われた。
大戦のことを、その口で語れる人たちが、いなくなってしまった。

 この夏に出る予定の、わたしの翻訳の本の中で、アウシュビッツの犠牲者たちが、「思い出は受け継いでいくことができる。私たちからきみたちへ。きみたちから孫たちへ」と語るシーンがあって、そのことを思い出した。

いなくなってしまった人たちのことを語りついでいくということは、とっても大切なことだと思う。
と、いうわけで、今わたしは、いなくなった人についての作文を書いている。いつ終わるやら。。。


 さて、今夜もまた引き続き、午前様になるだろう。
わたしは数日前から「塗料の付着力測定に使われる引張試験器の試験円筒」なるものの文書を訳している。
眠い、疲れた。頭痛い。やりたくない、難しい。
と、言ったところで納期が迫って来る。
あああ〜〜、シゴトに戻らねば〜〜。たすけて〜〜。

2 commentaires:

そわか a dit…

シャンタル・セビーさんについて書かれた文章を目で追いながら、
「健康に過ごしているなに不自由のない生活に感謝せずにはいられない」と書かれているところに差し掛かり、
「nozomiさんとまったく同じ思いだ」と思いました。

公開されていると記されていたシャンタル・セビーさんの姿は見ないでおこうと僕は思います。
Nozomiさんを通じて健康であることの大切さに感謝することを気づかされたことで、すでに十分だと思うからです。

生きるための何のなぐさめにも元気づける一助にもならないのでしょうが、シャンタル・セビーさんから、そうした「気づき」をいただき深い感謝の思いを抱いている人が少なからずいるということは知っていただきたいと思います。

彼女に生きていることで喜びとなることがこれから次々と起こるよう、祈ります。

nozomi a dit…

 ご本人が公開している写真だから、公開することで手伝ってあげられるのかと思ったけれども、同情はなにも役に立たないと気づいたので、公開は本人にお任せすることにしました。