2008/03/10

2月12日 俺は機嫌悪いぞ



 
 ホテルを10時に出発する場合、わたしは7時半ごろ起きる。シャワー浴びて、8時半ごろ《ミー》さんの部屋に電話を掛けて起こすことになってる。9時15分にホテルのロビーで待ち合わせをして、いっしょにレストランに行き、向かい合って朝食を食べる。
 こう書くと、まるで、コイビトのようだにゃ。

 ミーさんは朝食で、たいていの場合、パイナップルを食べる。いちど海藻サラダとごはんとみそ汁を食べていたら、変な目で見られたので、いつも通りのフレンチブレックファーストに切り替えた。ここでJPなら、いっしょに卵ごはんを味わってもらえるのに。
 ミーさんと私はまるで競争のように色とりどりのパンを日替わりで取り、
「そっちの方がおいしそう。それを取れば良かった」
などのほかに、
「このマフィンに使われているビニール製のカップは、フランスでは手に入らないものだから、レストランの人に頼んでもらってくれないか」とか、
「このパンの膨らみが気になる」などの、かなり専門家らしい会話をし、
「今日はどこで誰に会うんだ?」とか、
「百貨店の食品部長への贈り物は、こんなので良いだろうか?」とか、
「東京から横浜までは、電車で行くのか?」とか、
「今晩は日本料理か?」とか
「大阪は雪が降ってるだろうか?」などと、ミニ会議みたいなことをやってる場合が多い。
さすがのミーさんも、朝は口数が少ない。
朝のホテルで他人のダンナと食事をするなんザ、そうあるこっちゃ〜ないので、わたしといえどもキンチョーする。

が、しかし、滞在4日目の本日は、ロビーで顔を合わせるなり、こう言われる。
「今日は、俺は、機嫌が悪いぞ。気をつけろ」
はいはい。朝電話で起こしたときから、そんなことわかってますって。
 このような場合は、まるで35年以上連れ添ったくたびれた夫婦のように、会話を交わさず、黙々と食べ、訊かれることに応える以外は、ひたすらに食べ続ける。
 触らぬチョコレート屋にタタリなし。

 (お仕事の件につき、大幅略) 

 横浜から新宿に戻って来た。(。。。と簡単に書くけど、午後の数時間で横浜駅を通過して百貨店で仕事し、また横浜駅を通過して新宿に戻って来るのは、人間わざではないと思う。深く、そう思う。あんな所でよく生きていけるよね。きみたち。)

 夜は某シャトーに行った。
信じられん!
 恵比寿くんだりに、フランスのロワール地方にあるようなシャトーが、どどーんとあって、ビビった。まるで《どこでもドア》で一気にフランスに戻って来てしまったのかと思ってしまった。
 
(残念ながら。大幅に略)

 
 レストランに合流していた名古屋人の社長《すー》さんに、「ひとこと申し上げたい」と、ミーさんがバーに誘ったので、みんなで顔を見合わせて「またベッドに入るのが遅くなっちまうぜ、ちっ」と思った。
 さあ、今夜は、ホテルのバーで、反省会だっ!
(結局、とんでもない時間まで、仕事の難しいお話をしていたのである)
(忘れちゃイケナイけど、わたしはお仕事中なのであった。。。だからせっかく頼んだキール・ロワイヤルが全部飲めなくても、文句言っちゃいけなかったのである。。。)

 明日はフリ〜〜

 

2008/03/07

2月11日 名古屋から東京へ


 ミーさんが撮影した、雪化粧の富士山

 10時10分 名古屋発の《のぞみ》に乗ったら、11時56分頃には「東京駅」につく。だから名古屋人のすーさんは「東京で暮らさなくても充分仕事ができます。名古屋は大阪と東京の間で、世界の中心だにゃ」と言っている。にゃるほど。
 ミーさんは電車に乗ると眠る。まるで日本人化している。いびきまでかいてる。わたしも疲れてるのに、寝てたら降りれなくなるんじゃないかと心配だから、電車の中ではできるだけ寝ないことにしている。
 「そろそろフジヤマが見えて来るころでは?」
ミーさんがいきなり起き上がる。大雪のあとだから、富士山の雪化粧に期待をかけている。わたしもわくわく。遠く進行方向の前方右側に、富士山が姿を現した。
 「おお〜マニフィック!」
ミーさんいたく感激している。カメラ、カメラ。
 カーブに掛かって、一度見えなくなるも、じきに、左手に姿を現す。
 さっきまでグーグー寝ていた乗客たちが、もそもそと左側に移動を始め、ミーさんのシャッター音を皮切りに、乗客たちのシャッターの嵐となった。かなりプロのカメラっぽい音もある。

 ホームには、《あー》さんが待っていてくれた。懐かしの《あー》さん。夏に私たちを時速9キロで東京中を歩かせた《にっくき「あー」さん》がニコニコ、「目頭が熱い」という雰囲気で目を細めていた。
 ホテルに荷物を置いた。3D防御マスク姿は、スイスから合流した《むー》さん。4人で日比谷公園へ
 
 東京でのお食事場所を決めるのは、《あー》さんのお仕事。いつもとっても入念なプログラムを作り、バランスの取れた食事会が予定される。
 ところが《あー》さん、ホームでの社交辞令のあと、いきなり「生き方を変えました」と宣言したのであった。夏にミーさんと過ごしてから、ちょっと人生観が変わったのだと、前にメールを戴いていたのだが、数ヶ月後の再会で見る《あー》さんは、さすがに顔色もよく、ニコニコ顔も渋いというよりは穏やか、とっても人間的な素敵なおじさまになっていらっしゃる。なんでも、日々のウォーキングを怠らず、仕事の約束には余裕を持ち、慌てず、走らず、ペースを落として効率のよい仕事をすることに決心したという《あー》さん。夏に会ったときには、「この人は過労で先が長くないかも?」と心配していたほどだったが、晴れ晴れとした変身だ。
 
 「で、今日のお食事は、出たとこ勝負で、本日の気分と、レストランでやってるメニューを見て、食べたいものを食べるとしませんか?」とおっしゃる。寒いけれどもお空は快晴。《むー》さんが風邪菌さえ飛ばさなければ、どこまでも着いて行けると思った。名古屋では地下の駅と、その上のデパートと、そのまた上のホテルと。。。ひとつの建物のなかで動いていたので、ちょっと息切れしそう。日比谷公園の林を歩くのは、とっても気持ちよかった。

 が、しかし、予約もなんにも取っていないお昼は、接待にはよろしくない。カレー屋さんの前で椅子に座って順番待ちか?ということになり、わたしはちょっと不安になって来た。《あー》さんも真っ青になっている。《ミー》さんは面白がっている。《むー》さんはマスクの下から、きょろきょろ私たちを観察している。そうこうしていると一度行方不明になった《あー》さんが、カレー屋さんの行列の所に戻って来て、「上に行きましょう」と合図をしている。

 日比谷公園内の本格仏蘭西料理店《松本楼》またの名をBois de Boulogneというレストランだった。《あー》さんは、予約も取っていないレストランで「社長の友だちだ」とかなんとかホラを吹いて、無理矢理4人席をぶんどってしまったのだ。やり手だなあ。
 《ミー》さんは、10年来のお友だちである《あー》さんにラギニョールのナイフをプレゼントした。フランスでは刃物をプレゼントするのは縁が切れるといって忌み嫌うので、それをお祓いする意味で《あー》さんに小銭をくださいとお願いしていた。そうすれば、ミーさんはプレゼントとして送ったのではなく、《あー》さんに買ってもらったことになるから。100年も続く森の中の静かな仏蘭西料理店で、久しぶりにフォークとナイフを使い、ワインを飲んだ《ミー》さんは、とても嬉しそうだった。《あー》さんも、買ったばかりのナイフで、ステーキをザックザックと切っている。一変してワイルドな男。(でも相変わらずワインには弱いと見たよ)

 日本の人たちは、ミーさんが来るというとフランス料理を食べに連れて行かなきゃと張り切って、高級な仏蘭西料理店でのお食事を予定する。そして、高いワインを買いに走る。フランス人調理師のやっている本格仏蘭西料理店というのは、どこも高価なので、招待してくれる方にも申し訳ない。フルコースだとだらだら出るからお昼に2時間ぐらいも掛かってしまう。料亭も同じ。食事の時間を短縮して移動や仕事にもっと余裕を持ちたいと思っているし、いろんなところでいろんなものを食べてみたいと言っている。
 海外で勉強して来た日本人調理師たちは、とても繊細で器用だ。勉強した通りのちゃんとした料理を作ってくれる、というのがミーさんの感想で、日本人調理師たちの西洋料理や、有名でないけどこれから芽を出しそうな調理師たちの新しい料理を食べてみたいと思っている。料亭や寿司屋は大好き。でも、1日3食お箸とビールが続くのは、ちょっとうんざり。その時の体調と気分というのもあるが、料理にうるさい人だからまったく知らない所にさっと入って、いつも満足できるとは限らない。高級なお店じゃなくてもいいけど、ゆっくりできる所がいい。その代わりダラダラはいや。

 いつも苦労している《あー》さんに、あれこれ注文を付けるのは心苦しいけれども、《あー》さんは《ミー》さんの接待に関しては、名古屋の「すー」さんから、「金に糸目をつけるにゃあよ」という支持を戴いているそうなので、どこに連れて行こうかと考えるのが楽しいそうだ。わたしも、とても楽しい思いをさせていただいている。そして、この5日間で記録的な体重増加が約束されている。

 午後は、(省略)テレビの取材もやって来る。テレビインタビューで出された質問がうまく日本語にできなかった。するとミーさんも、マイクに向かってチンプンカンプンな返事をしてて、どーしよーと思ったけど、テキトーなことを言い、ミーさんが質問にちゃんと応えたように言って、テレビ局の人をさっさと追い返した。

 夜に「さっきのみのりさんの質問、全然意味が分からなかったけど、テキトーに応えたよ。あれで良かったの?」とミーさん。
「すごく変な応えでしたけど、ちゃんと上等な日本語でテキトーに応えておきました。」
 プロのちゃんとした通訳さんがテレビを見ていて、名古屋の「すー」社長に「あの人はインチキな通訳ですよ」とチクったら、わたしはクビになるかもしれない。どうせ、インチキな通訳だし。。。ま、いいっか〜。

 夜は新宿の夜景を見ながら、おされな日本りょーり。スノッブな人がいっぱいいた。わたしは鼻水が止まらず、トイレに何度も駆け込んで、鏡で鼻の下が赤いのを見ながら、「早く帰りたいな〜」と思った。レストランで何度もトイレに駆け込むのはフランスでは×なので、あらかじめ《ミー》さんには、「日本では人前で鼻を噛んだらいけないんです」と断っておいた。ミーさんはわたしが席を立つたびに「いってらっしゃ〜い。ごゆっくり〜〜」と送り出してくれた

 おされな日本りょーりのスノッブなお店では、スッポンのお鍋やなにかも出た(実はよく覚えてない。鼻水に集中してたので)。やっとたどり着いた最後のデザートで、団子の気持ち悪いデザートらしきものが出て、「うちでもこういうのをたまに作るよ」と言ったら、《ミー》さんに「お願いだからわたしは呼ばないでくれ」と言われた。

 初めて、東京都庁をこんな間近で見た。スパイダーマンが登りやすそうで、地震が来たらあっという間に壊れそうで、そしてテロの飛行機が突っ込むには便利そうなビルだった。東京人はお金持ってるんだにゃ〜。超近代的摩天楼を見あげながら、超高層ビルの足元独特の、吹き荒れる風を一身に受けて、鼻水まで凍りそうな気分だった。タクシーでホテルに戻る途中、地下鉄工事をしている新宿の街を横切りながら、「まだ地下には場所が残ってるのかなあ〜」と、ミーさんとわたしはいたく感慨に耽った。
 彼も今ごろ、田舎でのんびり過ごす、娘さんとの日だまりを思い浮かべているに違いない。

2008/03/06

はやくも なか休み 

 3月6日

 ミーさんとの珍道中記録は東京へ移動するが、ちょっとひとやすみ。
     ーーーーーーー
 
 日曜日はあんなにいいお天気で、私たちは半袖を着てサイクリングをしたほどだったのに(剣道のあと。。。)、月曜日には雨が降り、火曜日にはアラレが降り、水曜日はいいお天気なのに14時に6度しかなく、木曜日の本日は、全国的に氷が張ってるらしい。

 ボボの散歩にコートがいる。手袋も出した。帽子もかぶった。
ジャン・ジョレス公園には、春が来ている。秋に掘り返され、種がまかれた芝生部分は、日一日と蒼が濃くなっている。
 前から子犬が来て、ボボが興奮するので、凍えた指に綱が食い込んで痛い。
方向転換。いつも通らない細道を通って、いつも通る大きい道に出て来た。
その交差したところで、地面に落ちている茶色い物体を、わたしは、見た。

 公園にはいろんなものが落ちている。日本の公園に較べるとけっこう汚い。掃除している人もいるが、この数ヘクタールにも及ぶジャン・ジョレス公園に、たったの3人ぐらい?1週間に1回しかすれ違わない。

 ちょっと先の方に行ってから、さっき地面に転がっていた茶色い物体がわたしを呼んでいるような気がして振り返ったが、物体を見失った。目で追って、そのあたりを注意して見て、位置を確認してからUターン。茶色い物体はひっくり返っていたけれども、それがわたしの所有物だということはすぐにわかった。

 数日前になくしたことに気づいて絶望していた、コートのボタンだった。
どこに落としたのか、いつ落としたのかもわからず、探すことはすっかり諦めていた。
茶色い物体を見たときでさえ、なくしたボタンとの接点について、考えもしなかった。

「とりあえず、落ちている物は拾う。」
そういう人間は、きっといつかはどこかでめぼしい物に出逢えると、信じているのかも、しれない?
わたしはよく拾い物をする。いつもうつむいて歩くからだろう。

 冷たい公園で、濡れたボタンを拾い、久しぶりにした手袋でそれを拭って、それを暖かいコートのポケットにしっかりしまった。
ふと、昨日、ある友人に書いたメールのことを思い出す。

ーーーーーーー
 「くそたわけ」の本が届いたら、きっと読んで、わたしも絲山さんに感想を書きたくなるかもしれません。
指宿に帰った時には、あなたが「あそこは世界の果てなんだよ」と言ったことが頭にあって、世界の果てが、案外近くにあることや、そしてなんと遠かったのかもかんじました。
 考えたら、世界はぐるぐる回っていて、確かに果てに来ているはずなんだけど、でも、そこは世界の始まりでもあるんじゃないかと思います。
 私たちの人生みたいなものは、あそこから始まっていたんだものね。きっとあそこに戻って行くのだろうと思います。
果てはないのかもしれません。
 世界の果てだと思うような場所に、何カ所か行きました。
ここでわたしの人生が終わるんだと思うこともあったし、もうあそこには戻れないと思ったことも何度もあるんだけど、でも、そのときどきの「世界の果て」で出逢うのは、わたしを指宿方向に導いてくれる人々であったように思う。
不思議です。

ーーーーーーー
「世界の果て」まで連れて行って、いっしょに戻って来たボタンが、ちょっと家出をして、またわたしの所に戻って来た。「地球の裏側」である、ここに。


「出逢った物事は、そのまま素直に受け止める」「来るものは拒まず」「去る者はとことん追いかける」「落ちているものは拾う」「転びそうなものは支える」そして、「支えてくれる人や拾ってくれる人や、拒まないでいてくれる人がいたら、遠慮しない」「借りれるだけ借りる」。。。。。
 自分には「方針」といったものが全然ないと思っていたけれども、けっこう一貫しているなあ、と思った。

 冬の終わりに、安物のコートのボタンを買い替えなくてよいことになって、気持ちがじつに軽やか。



 日本で同じ釜の飯を食ったミーさんには、フランスではあんまり会えない。本日やっと電話が通じたので、これから鹿児島土産の焼酎にチョロキューをつけて、チョコレート屋さんまで持って行くとする。面白いネタがもらえるかもしれない。。。ふふふ。。。


 

2008/03/04

2月10日 名古屋2日目

 「日本に帰った」
と言うと、誰もが「バカンスはどうだったか?」と言う。
ミーさんもほぼ同じことを言っていた。
「日本に行った、と言うと、みんなにバカンスはどうだったか?と訊かれるので、今度そういうヤツが目の前に現れたら、ぶん殴ってやる」
過激だなあ〜。
ついでにミーさんは言う。
「京都で見たのは、駅と百貨店と料亭だけ。」
「大阪の百貨店には行ったけど、大阪には行かなかった。」
京都と大阪に行って、金閣寺も大阪城も見てないガイジンは、ミーさんぐらいなもんだろう。でも、その料亭に行けたんだからいいじゃん。(中略)美しいおかみさんに「おこしやす」と言われました。
と、言えば、また
「いいよねえ〜。そんなおいしい仕事ができて〜。代わりた〜い」
と言われるだろう。
そうしてミーさんにぶっ飛ばされればヨロシイのである。ふむ

(お仕事の件につき省略)

 大阪の仕事先には、高校時代の友人である脇田君とジミーが会いに来てくれ、人が集まり始める前に、ミーさんとわたしと4人で記念撮影までしちゃった。奈良の従姉(今は大阪に住んでる方)も、ダンナさんといっしょに来てくれていた。チョコレートの袋をぶら下げていた。

(省略)

 ミーさんのチョコレートは、とんでもない値段がついていたのだが、大阪のお店では、瞬く間に売り切れてしまった。
「もう2回目です、3回目です」
というリピーターのお客様が目につく。
 ミーさんは、フランスでの自分のチョコレートの評判には、大きな自信を持っているが、フランス人に好かれているチョコレートでも、日本人の口に合うのだろうかと、とても心配していた。けれども、訪れるリピーターの方々が、口を揃えて熱く語る感想は、
 「まろやかでしつこくない。甘過ぎないのがいい。いくらでも食べられそう。デザインがシンプルでおしゃれ。中に入っているガナッシュやプラリネと、外回りの薄いコーティング・チョコの、ふたつの風味がほのかに混じり合って、調和がとれている。」
などなど、フランスのお得意さんたちとまったく同じ感想だった。ミーさんは、自分のチョコレートを《日本人風味》にしなくてよいのだと確信してくれただろう。
 フランスの箱と、日本の箱は、かなりデザインが異なっているけれども、日本で売られた箱は、日本人の好みにもマッチしていたようだ。みなさん「かわいい」とか「素敵」と言ってくださった。
 「義理チョコはゴディヴァ。本命はこっち」とか、「このチョコレートは誰にもあげない」というお客様あり、なんとも頼もしい。もうファン・クラブができつつあるじゃあないのっ。

 ミーさんは、「売り上げを上げるために、店先に立ち、ニコニコして、客引きをやるのはごめんだ!」と嫌がっていたのに、客を引かなくても客はやって来るし、みんなが素晴らしい感想を述べてくれるし、お客様は店先で押し合うこともなく礼儀正しい。「アイ・ラブ・ユー」とささやくフィリピン出身の美しい女性まで出現。ミーさんが、両手に包むように差し伸べる握手の手に触れると、「なんて柔らかい手なのかしら?本当にこれが職人さんの手?」と言って、ミーさんの手を離したがらないお客様もいらした。
 手を握られたことがなかったのでわからなかったが、ミーさんの手は、本当に白くて柔らかそうで、実に、おいしそうなマシュマロみたい。テレビ撮影の時に、チョコレートの製作を見せていただいたが、本当に力強く、実に優しい動作で、チョコレート一粒ずつに、魂を吹き込んでいるようだった。人形創作家が、目玉を入れて完成させるお人形のように、フォークみたいな小さな道具で、ちょこんと二本線を入れて完成した、輝くようなチョコレートを思い出す。撮影のあと見本で作ったチョコ約5キロを戴いたことも思い出す。

 チョコレートの箱を開ける瞬間の、かすかに広がるチョコレートの香りを感じてくれるだろうか。キラキラ輝く表面と、そこに記された、チョコレートたちの名前ともいえるシンボルマークの、手で描かれた小さなゆがみをちゃんと見てくれるだろうか?チョコレートは小さいけれども、どうか丸呑みしないで欲しい。ガナッシュよりもコーティングの部分の量が多い角のところをちょっとかじって、そこのビターな感じを味わえただろうか?もう少し奥を噛めば、薄いコーティングよりも、ガナッシュの風味のほうを強く感じられるだろう。最後のひとかけらをお口に入れた時に、コーティングと中のガナッシュが、調和よく混ざり合って、舌の上で踊るのを、楽しめただろうか。ミーさんのチョコレートは、ミルクよりもブラックで味わった方が、本当のよさを理解してもらえると思う。これはわたしの意見。

 のぞみと、ひかりとタクシーにお世話になり、たくさん歩いて、今度はひかりとタクシーと、のぞみを乗り継いで、名古屋に戻って来た。雪はすっかり溶けていた。名古屋駅で、京都方面から来た新幹線のタイヤを掃除する、不思議な軍団を見たっ!彼らはホームの下のトンネルの中に潜んでいて、新幹線が到着すると、一斉に穴から飛び出す。そして、次の出発までの数分の間に、山を越えて来たために汚たタイヤを、ピカピカに磨き上げる。ミーさんは、ホームでぴしゃりと線の前に停まる新幹線のドアと、並ぶべき所にちゃんと列を作ってお行儀よく並んでいる日本人たちに、熱い視線を送っている。何度見ても新鮮な光景だ。

 さあ、今晩は、名古屋で最もおいしい焼き鳥だっ!行くぞお〜。

2008/03/03

2月9日 午後の部

 お寿司を食べて、たしか、午後2時頃に一度ホテルの部屋に入った。シャワーを浴びて来てもよいと言われたような気がするが、今となっては半分ぼーっとしていたせいか、よく覚えていない。ただ、わたしの部屋が21階だったことはよおく覚えている。ミーさんは40階ぐらい?夏に台風にもびくともしなかった。ミーさんをビビらせたろと思って「台風来ますよ」と言い続けたわたしは、ミーさんから《うそつき》と呼ばわりをされ、あの時には「次回は地震を呼んでやるう〜」と心の中で誓ったイケナイわたしであったが、今回は《豪雪》がやって来た。
 イケナイことを念じてはいけないのだ。

 午後、雪はますます強く降り続け、ホテルのテラスには、雪見の人が集まっていた。この人たちは帰れるのかなあ?と思っていたら、そうだ、思い出した。ここは地下が、新幹線も乗り入れる駅で、その上が百貨店、さらにそのうえ15階からホテルになっているのだった。日本は連休でホテルにも家族づれが多かった。名古屋城に遊びに行くことさえできない家族づれは、こぞってデパートやレストランに行くのだろう。そうして、このホテルに泊まるのだろう。ホテルにはサウナやプールもある。バーも銀行もある。宅急便の窓口もある。新幹線でわざわざ来て、このホテルのタワー内で三連休を過ごすのか。。。ふ〜ん。

(仕事の件に就き、大幅に略)

 名古屋のデパートには、高校時代からの友だちみゆきちゃんが、遊びに来てくれた。ご主人といっしょに電車で来たそうだが、帰れたのかどうかとても心配だった。

 夕方ミーティングがあり、ミーさんのお友だちで、病気の方をお見舞いに行き、そのあと《すー》さんの会社の人たちと、松坂牛の網焼きを食べに行き、夜遅くにホテルに戻って来た。

 ミーさんが「葉巻を吸いたい」と言うので、ホテルのバーに行き、彼がモンテクリストを気持ちよく吸う間、わたしはおいしくないキールを飲んだ。明日はキール・ロワイヤルにさせていただこう。
 で、のんきそうにバーで何をしていたかと言うと、実は、反省会だった。ミーさんは本日の感想を述べ、本日出逢った数々の日本人たちの、名前や関係や地位を訊ね、メモを取った。関わりを持った日本人たちが言ったことについて、もう一度わたしに確認し、日本人としての意見を求められ、意見を交わした。明日の予定を話し合い、明日会う人たちの名前や地位関係、役職などについて予習と復習をし、そして、わたしがすっかり「日本人化」していることをうるさく指摘したり、今日は朝から晩まで日本料理で、嫌いなビールを飲み続けた、と愚痴るのであった。

 ミーさんが部屋に戻るのを確認して、わたしはこっそりビルの一番下まで降りた。建物の外に出て、日本に来て初めて、日本の冷たい外の空気を吸った。駅の前のコンビニに向かう。さて、なにを買おうか。。。ただ、ぶらつきたかった、だけ。
 筆ペンと、草加せんべいと、ファンデーションと、ゆずの香りの入浴剤を買った。

 せんべいを食べながら、ゆずの温泉に浸かり、風邪はまだ引いてないけど、風邪薬を睡眠薬代わりに飲んで、ベッドに入った。

 雪はやんでいた。

 

2月8日 出発

 夏の旅立ちに較べると、かなり余裕。スーツケース作りも、出発前日でちょちょいと片付けた。実はずうっと忙しくしていたので、旅行の準備がなかなかできなかったのだ。出発前から不眠症で、体力の限界を感じ始めていた。
 地方では買えないミーさんのチョコレートをお土産にするため、ミーさんに注文しておいた12個ほどのチョコレートの箱を、出発前日に取りに行ったら、「全部差し上げます。ご家族に食べていただいて」と言ってもらえた。
 ミーさんからは夏に「みのりさんにはお世話になったので、一生分のチョコレートをプレゼント」と言われたのだが、わたしに一生分のチョコレートを貢いでいたら、ミーさんはきっと破産してしまうんじゃあないか?
小さな機内持ち込みOKのスーツケースに、チョコレートやドラジェや、ハーブなどのフランスのお土産を詰め込んだ。持ち込まない大きなスーツケースにはワインも2本入っている。

 《液体》にはあれほど気をつけたはずだったのに、不覚にも空港でチューブ入りクリーミーファンデーションが引っかかってしまった。搭乗を待っていてくれたJPを呼びつけて、ファンデーションを持って帰ってもらうことにした。
 「仕事は、化粧なしで?」
JPが気の毒そうにしている。どうせ、してもしなくても同じだからいいの。

 出発ゲートのところに来ると、ミーさんが不安そうにあたりをきょろきょろ見渡しながら待っていた。遠くからわたしを見つけると、並んでいた列を外れて近づいてきた。
「見捨てられたかと思った。ひとりで日本に行くぐらいなら、家に帰ろうかと考えてたところ」
ミーさん、いきなり弱気。
「大丈夫です。わたしがついてます。ご安心を。」

 ミーさんはビジネスクラスなので優雅な旅が待っている。いつも通りならば、出されるお酒をぐいぐい飲んで、睡眠薬も飲んで、日本までぐっすり眠るという作戦だろう。ドイツで一回乗り換える。2人で力を合わせればどうにかなるさ。
 わたしは、ニースから合流して来る《とし》との再会がちょっと気がかり。彼女は12年ぶりに日本に帰る。

 フランクフルトの入国審査のところには、たくさんの日本人観光客が列を作っていた。
 日本人観光客と海外で会うとけっこう恥ずかしい。冬であれば、このごろの日本人は、変なマスクをしていることが多い。3Dの恐ろしげな、右翼団体を連想させるようなマスクが怖い。変な病気が流行ってるのかと思ってしまう。
 髪の毛がヨーロッパ人みたいな色なのに、まつげが黒くて気持ち悪い。
 鼻をかまずにいつまでもズルズル言わせている。コーヒーもすすって飲むし、スパゲティーも音を立てて食べる。
歩き方が、変。
 いつも自信なさそうに、きょろきょろしていて、集団でぞろぞろと歩く。
 やたらと写真を撮る。写メっていうんだそうだ。みんな携帯電話にじゃらじゃらとおもりをつけている。みんな競い合って最新のすごいケータイを持っている。猫もしゃくしもケータイを持っている。わたしのように10年もののケータイなんか持ってると「女を捨ててる」と言われる。
 写真を撮る時に変なピースをする。
 わたしが名付けた《変なピース》とは、中指と人差し指をぐぐっと大きく広げて作った見事な逆三角を、外側に45度ぐらいに傾けた上に、ついでに頭まで傾ける。頭を傾けると、水平を保とうとして自動調節を始める目玉が、ギョロ目になって、写りが悪くなることには気づいていないらしい。カメラを向けると反射的に《変なピース》を作るのは、たいてい女性だ。
 若い女性の多くが、まつげにカールを掛けている。まるで日本人らしくないデカイ目をしていて怖い。目玉が真っ黒な火星人みたいな人もいて怪しい。
 着ている服は、色や長さが意味不明で、「そうかこれが今流行のスタイルか」とそれはそれで許せる。だけども、足元は昔も今も変わらない、永遠のO脚と豪快な内股の場合が多く、草履のかかとをすり減らし、耳障りな音を立て、足を引きずるように歩く大和撫子の姿は、百年前から変わっていないと、みた。
 若い今どきの男性はというと、ただでさえ脚が短いのに、韓国あたりで作られたとおぼしき、アメリカ製ジーンズをパンツ見えるまでずり下げてる。わざとやってるファッションらしいが。。。なんともまあ《ずんだれてる》。(《ずんだれてる》は鹿児島弁。これを標準語で表現するのはむっずかしーので雰囲気でわかって欲しい)今どきのファッションを追いかけてるばかりに、脚の長さが30センチぐらいにしか見えなくなっている。気の毒だねえ。カウボーイ風の尖った赤い革靴に《サンダル・ジャポネ》とまで言われるビーチサンダルを履いた時と同じ歩き方では、《国際人》がいい笑い者なのだ。あ〜あ

 どこから見ても日本人とは思えないような、長い足で颯爽と歩いて来る、アジア系らしきオンナが、向こうからきらびやかにやってきた。わたしの《とし》だった。トゥーロンのそばに住んでいる友人で、フランクフルトで合流することになっていた。

 ミーさんに《とし》を紹介すると、「きれいな人だねえ」といって目を輝かせている。
これだから、おじさんは。。。
「なんならみのりさん、ビジネスクラスに座っていいよ。わたしがご友人と旅をするから」
などと、言ってくれないものかとちょっぴり期待していたが、
「さすがにビジネスクラスは乗り心地がいいよ」
と自慢するだけ自慢して、ミーさんはさっさと行ってしまった。寝る気だね。

 《とし》に会うのは久しぶりなのでずっとお喋りしたかったのだが、飛行機のなかはけっこう音がうるさく、なんだか落ち着かない。これから11時間半、夜の中を時間をさかのぼりながら飛んでいく。
「みのちゃん、着いたら仕事なんだから寝なさい」といわれ、このわたしとしたことが本も読まず、映画も見ずに寝る努力をした。夏に乗ったJALと違い、シートに座ると足がブラブラするので、一晩中不愉快だった。
 朝ご飯が済んだら《とし》にファンデーションを借りて、いちおう化粧して、仕事用の服に着替えて、日本着陸を待つ。
目の下にくま。疲れてきっているので、化粧なんかまるで無駄な努力。


 トゥールーズを出てから約13時間が経過して、日本の日付は9日になっていた。飛行機を降りた時点で、《とし》にお別れを言った。わたしは、優先で降りたビジネスクラスのミーさんを追いかけて、ひたすら走らねばならない。「待っててくれてもいいのに〜」動く歩道も使わずに、廊下を走ったので、あっという間にミーさんに追いつけた。
 「あ、みのりさん。もう日本人に戻ってる。」
 「ええ〜仕事が始まるんですよお。ミーさんだけ先に出て行って、わたしの方が待たせたら、やっぱりダメじゃないですか」
 「みのりさんは、ほら、すぐに、日本人に戻るんだから。。。」

ミーさんにとっての、腹立つ日本人女性。
 いつも慌てていて、エレガントさに欠ける
 せっかくドアを開けてあげてるのに,遠慮ばかりする
 男性の後ろを歩く(後ろから観察されてるようで嫌なんだそうだ)


 お迎えはマラソンランナーの《おー》さんと、アルビで病気だった広報の《なー》さん。
お2人とも笑顔が素敵。お会いできて感激っ。
美食の国フランスに来て体調を崩し、おいしい物も食べられずに蒼白になっていた《なー》さんの顔色は、すっかりもとに戻っていた。戻ったどころかさらに黒くなっていたので、安心した。(彼はタイ人サーファーといってもうなづけるほど、黒い)
 そして世界の名古屋を代表する貿易大会社社長の《すー》さん(肩書きにちょっと色を付けてみた)
《すー》さんの、素敵ですごいトヨタの自動車にはすでになじんでいる。大会社社長のくせに、車の中で流れているのは、とってもロマンチックな少女スターの音楽だった。ぶぶぶ。

 車が名古屋市内に入る頃に、雪が降りはじめた。今年はフランスは全然寒くなく、出て来る時にも15度ぐらいだったので、いきなり雪が降り出すのを見て心配になった。気になるのは、12年ぶりの帰国で不安な《とし》をひとりで放ったらかしにしてしまったこと。バスで大阪に行くと言っていたが、こんな雪でバスは大丈夫だっただろうか?わたしの方は顔見知り数名による、高級車でのお出迎え付きで、知ってるホテルに連れて行ってもらえるのでらくちんだが、12年ぶりの日本でなにもかも新しく、知らない場所で《とし》はきっと苦労しているに違いない。

 
 フランスは午前1時頃。ミーさんはそろそろ眠くなって来るころだが、わたしにとっての午前1時と言えば、ふだんまだ起きてる時間なのでけっこう余裕。こんなところで普段からの不規則生活がお役に立つのだ。
《ミー》さんは、ビジネスクラスのシートでたっぷり眠れたそうだ。夏よりもはるかに余裕。
「エコノミーのシートは広いのか?眠れるのか?サービスはどうだ?」
えらくご心配いただいているようだ。
 もしわたしがミーさんに「狭くって汚くって、ぜんぜん眠れないしサービスは最低だった」と言えば、《すー》さんに頼んで「みのりさんもビジネスクラスにしてあげてください」と言ってくれそうな雰囲気だった。

 さて、ホテルに到着。雪がじゃんじゃん降っている。
明日には京都と大阪にも行くって言うのに、先が思いやられるなあ〜。

 ホテルの18階で、優雅にお琴を聞きながらお寿司を戴いているうちに、雪はどんどん積もり、お寿司屋から見える小さな石のお庭に、雪が積もる姿は絶景だった。そのかわり、名古屋城の金のシャチは見えなかった。ただただ静かに雪が降るのを見ながら、ミーさんと並んで静かにお寿司を食べた。日本ですねえ〜。

ここのところ

 まあ、わたしをちょっとは知ってる人ならば、
「ブログがアップされてないな。また忙しく走り回ってるな」
ぐらいは思っていてくれたかもしれない。
ここのところ忙しかったことを知っている友人たちから、そろそろ
「もしかして、寝込んでる?」
などのメールが入りはじめたので、返事を書かねば〜と、思い続けていたのだ。実は。

 さて、わたしは予想通り元気で、忙しく走り回っていました。追ってお返事いたします。

で、ここのところのわたしについて、手っ取り早く書く。もう寝なくちゃいけない時間なので。

2月22日に、ものすごい風邪ひきで帰国し、
24日には日本の友だちの娘さんが、大学のお友だちと二人でやってきた。

わたしが日本に行ってる間に、JPがこどもたちを預けに行ったついでに、実家から古い家具を山のように運び込んでいて、玄関を開けたら、廊下やら部屋やら、至る所に古くさくて汚い家具だらけ。困るなあ。
それで、23日はずうっと片付け、大掃除。時差ボケどころじゃなく、年末にもやらなかった大掃除をやった。

 24日はトゥールーズまでお客様を迎えに行き、24日から3日間は、観光だとか運転手。天気がよくてよかった。
最終日、お客様をカルカッソンヌの古城経由でナルボンヌまでご案内し、翌日の早朝、早起きをしてマドリッド行きの電車に乗せた。
カーモーからカスカッソンヌまでは183キロ、カルカッソンヌからナルボンヌまでは80キロぐらい。

 わたしはもうへろへろに疲れていたので、自ら申し出て(キャ〜珍しいっ)JPなし、こどもたちと一緒にナルボンヌで2日間過ごした。木曜日に子どもたちを引き取ってカーモーに帰ってきた。

 そしてこの週末、いよいよ3月突入。
トゥール−ズの剣道講習会での通訳を頼まれてしまっていて、よせばいいのに、行ってしまった。
頼まれると嫌とは言えないたち。(実はいやじゃない、剣道関連ならば)

 週末に家を空けると決めたら、やるべきことはやらねばならぬ。
 冷蔵庫は空っぽだし、台所は汚れまくってるし、洗濯物にはアイロンをかけないとJPのシャツ・ストックが底をついてしまい、JPがテレビを見ながら自分のズボンとシャツにアイロン掛けているのを目撃!(それはあまりにも惨めで、一気に罪悪感が増す。いちおう稼ぎの無い主婦だからさ)そして、家族サービスもしなければならない。子どもたちとは2月の初めから触れ合っていなかったのだから。
 これら「やるべきこと」をいちおうダダダーとやって、週末分の食事も作りおきし、剣道仲間のピエローに頼んで迎えにきてもらうことにした。そうすれば、わたしのいない週末に、家人が「森に行こうかな」と思った場合など、車を使ってもらえるので。

 さて、問題の週末。ひな人形も出したいんだけど、いちおうみんなが待ってるので、剣道へ。場所はトゥールーズ。早起きをした。
2日やったら、足はマメだらけで、体中は痛く、喉はガラガラ。やっぱりね。でも捻挫は避けられたし、去年と違って。
 剣道に行っている間は、実は、家のことはすっかり忘れる。剣道じゃなくても、わたしは家の玄関を一歩出ると、家人のことをけっこう忘れていられる。ひどい人間なんだろう。

 帰って来たらトゥールーズの友だちから電話があった。
「アルビまで来てるので、いっしょにカーニバルを見ない?」
「いや、ごめん。わたしもうフラフラ。昼寝する。」
と断ったものの、バカンス最終日。明日から学校。お空は真っ青。夏みたいに暑い。ゾエはうずうず。
なので、昼寝もせずにキャップデクベートまでサイクリング。ノエミとJPは自転車で現地まで行き、わたしとゾエは、「カーモーの角刈りサクラ」の写真を撮ったりしながら、自動車でぼちぼち行った。夏休みのようにたくさんの人が来ていて、子どもたちや自転車の人たちがいっぱいだった。現地で落ち合ったノエミの自転車を借りて、わたしもゾエとキャップデクベート一周をやった。
「ワタシは疲れているはずでは??」
家人は誰も、まさかわたしがこんなに疲れているとは思ってもおらず、なんかいろんなことを注文してくる。
そして、夜は、ピザまで手作りしてしまった。ノエミとゾエも参加。
「お母さん、疲れてるみたいだから、宅配ピザを取ろうか」なんぞというような気が利くヤツはおらなんだか?
でも、好きなことやって勝手に疲れている身分なので、文句は一切言えない。

 明日から新学期。子どもたちがお昼に帰って来ないように、食堂に申し込んだ。
いよいよわたしのバカンスがやって来る。

ブログもちょっとずつ書き込んでいきますので。。。少々お待ちを〜〜〜。