2010/05/09

剣道のことをちょいと。。。

 剣道は中学と高校の時に、学校の部活でやっていた。中学に入ったら剣道クラブに入るんだと心に決めていた。仲良しの友達数人もいっしょに入った。その中でずっと前から心に決めていたのは、友達よりもわたしだったのに、友達の方が上達が早かった。その時の仲間で、高校に行ってからも続けたのはわたしだけで、多分それは、続けたら辞めたあの子たちよりも上手になれるかもしれないと思ったのだろうし、続けることに意義があるんだとか、一回始めたことは続けるべきなんだとか。。。辞めないということに誇りを覚えたものか。。。どうもよく覚えていないし、上手に表現できないけれども、とにかく高校でも続けた。高校では「なんでやってるんだろう」と思いながらやってた。そんな熱血というわけではなかった。
 短大の時には学校に剣道部がなかったので、町の道場に通っていた。ニューカレドニアで働き始めてすぐに、ここでもまた剣道を再開した。だから、剣道は大人になってからもずっと続けていて、18年ぐらい高校でもらった三段のままだったけど、10年ぐらい前にフランスで四段をもらって、このごろははやく五段を受けなさいとみんなに言われている。
 フランスの田舎では二段以上となると人口が急激に減るので、四段というともう上座に座らされることが多い。ストレス感じるのだ。日本人だし、経歴だけは長いので、あちこちで責任持たされる。

 今では「あんまり剣道ばっかりやってると、ダンナに見捨てられるよ」と言われることもあるが、昔は、「剣道ばっかりやってると、彼に逃げられるよ」と言われ、ほんとうに逃げられたのだから、用心に越したことはない。でも、剣道のせいで誰かに見捨てられるぐらいだったら、それはそれまでの人間関係だったのだろうと思う。剣道のせいじゃなかったと思う。

 わたし、剣道の友だちには、いつも、どこに行っても、どんなに遠く離れていても、ずっと会っていなくても、どんなに大変な時でも、見捨てられたことはない。剣道のおかげでJPにも会えたのだから、剣道のせいでJPに見捨てられることはないだろう。

 とにかく外に出る時には、家の中のことをちゃんとやってから出かけている。
と、思う。

 ことし通っているアルビのクラブには、来年はもう行かないことにした。指導の内容と、練習の仕方と、時間的なこと、経済なこと、いろんな理由から、辞めた方がいいことに気づいたから。不満を募らせながら、ストレスを溜めながら、だらだらとやるべきじゃないとわかったので。
 今年はいろんな講習会に参加した。たくさんの人に会った。たくさんのよい先生方にお会いできた。それで、来年度もまた、いろんなところの様々な先生方の講習会に参加して、アルビでは習えないことをいっぱい習いたい。そして、たくさんの友達の応援と声援とアドバイスで、カーモーに剣道クラブを作ったらいいじゃんということになって、じつはもうその方向で動き始めている。

 カーモーにはすばらしくモダンで巨大な市立の体育館があり、そこでは柔道や空手の稽古も行われているので、体育館を借りれないかと思って市役所に掛け合った。けっきょく、体育館の使用に関してはもういっぱいで、新しいクラブは受け入れられないと言われた。
市の職員さんはとても熱心に話を聞いてくれて、誠実に申し訳ないと思っていることがよくわかった。いずれにせよ期待していたバスケット場は板の床ではなくて、セメントにゴムを敷いた今はやりの体育館だったので、こっちからお断りだったのだ。

 市役所の人が、町の私立のジムを紹介してくれたので、市役所を出てまっすぐ行ってみた。ジムのおじさんもとっても親切な人で、ダンスの教室を見せてくれた。そこは一面が鏡になっている板の床で、とてもよかったのだが、朝の10-12時と午後の14-16時しか開いてないと言う。そんな時間帯に剣道の稽古に来れるのは専業主婦ぐらいなので、カーモーじゃわたしだけってことになるだろう。

 別れ際におじさんが、「ちょ、ちょっと待って。今いいこと思いついた」と叫んだ。
なんと、我が家から200メートルのところに、二年前に営業を中止したダンス教室があるという。そこの教室を貸してもらったら?というので、そのまままっすぐダンス教室のある建物まで行った。同じ建物の一階には、血液などの医療検査をするラボがある。ラボの人に建物の所有者はだれですかと尋ねたら、Dr.マッシェだと言う。

 Dr.マッシェというのは、ラボのすぐそばで耳鼻科を開業しているお医者さんで、前にわたしの耳から大きな塊を掘り出した、あの怖い先生だ。勇気を出して行ってみた。
 「あそこの建物を借りる件で。。。」と言ったら、ニコニコして、
「あの建物は母のものだから、訊いてあげる」といい、さっそく白衣のまま裏口から出て、ラボの前を通って、隣のお母さんの家の裏側に連れて行かれた。
 
 白衣を着た、怖い顔でいい歳したDr.マッシェが、
「ママン!ママ〜ン!お客さんだよ〜」
と言って叫んでいる姿が、かわいらしかったのだが、肝心のお母様はいらっしゃらなかった。犬の散歩だろうというので外で待っていたけど、いくら待っても帰ってこない。しばらくすると、Dr.マッシェのお母さんにしては若すぎる、きれいな女の人がやってきて、裏口から入ろうとするので、声を掛けて、じつはマダムマッシェを待ってると事情を伝えた。彼女は誰もいない家の中に入って、ダンス教室の建物の鍵を探し出してくれ、建物の中を見学させてもらえることになった。

 その建物は三階建てで、一階の半分だけがラボとして使われているものの、二階の全面と三階の半分は空っぽのすっからかんの、ほんとうになんにもない、不思議な建物だった。三階に着くと、奥にきらびやかな部屋が見えた。誇りまみれの倉庫のような空っぽの建物の中にいきなり現れた、光のあふれるダンス用の教室だった。大きな鏡が壁の一面にあって探し求めた木の床。木の床は100平方メートル以上はあるだろう。わたしのフランスの剣道の友だちだったら、みんなが声を揃えて
「夢のような道場」
とため息をつくに決まってる。全国の剣道仲間がこぞって遊びにきてくれるに違いない。
日本からも先生たちを招待しよう、このカーモーに。

 来年は、剣道の指導者資格の国家試験を受ける。八年前に受講していたのを、妊娠しちゃったせいで中断したあの試験だ。これがあれば公に自分のクラブを開くことができる。ちゃんと教えることができる。
 クラブを設立したり、宣伝して人を集めたり、場所を借りたり。。。途方もない大仕事が待っている。剣道連盟の経済的援助願いを出したり、やることがいっぱいあるのだが、家賃が高かったら、わたしにはどうしようもない。家賃については月曜日に返事をもらえることになっている。どうなるか。

 今年この建物が借りれなかったら、とりあえず当初の予定通り、いろんな場所の講習会に参加して、指導者講習会を受けて。。。修行を続ける。クラブはなくても剣道はできる。

 でも、いい場所があったら、もっといい稽古ができるんだがな〜と。。。夢見ている。

 
 これからまた、いろんな友達に助けてもらう。家族にも協力してもらわなければならない。

2 commentaires:

marc a dit…

ダンスフロア転じて剣道場の話、他人事ながら聞いていてワクワクします♪
いい条件で借りられるといいですね!

でも、スゴイですねぇ。
母親業、主婦業、翻訳業それに剣道師範。
ミュルチフォルムですねぇ!
私なんて、大したことしてないのにイッパイイッパイですよ...

ほんと、体だけは大事にしてくださいね。腰、気をつけてください。

minori a dit…

marcさん。わたし、貧乏症なんですよ。落ち着かないんですよ。ちなみに、母親業と主婦業がいい加減なので、あちこち顔を出せるんですね。翻訳業はほとんどやってないけど、でも、まだあなたのご存じないわたしが、まだあちこちに出没しておるんですヨ。その話はまたゆっくりと。フッフッフ。
腰だけは丈夫です。はい。