《悲しいお知らせ》というタイトルのメールが入って来た。誰からのメールか確認する前に、誰の何のことかわかった。
「ついに、逝ってしまいました」の一文を見たとき、左手で頭を抱えて、右手では左胸をおさえたけれども、もう涙を拭う手は残っていなかった。
「淋しくなるなあ」という気持ちよりも、「淋しかったんだなあ」と思った。そして、「もう淋しくないですね」と天に向かってつぶやいていた。
秋に佐藤彦四郎先生を見送った、歌子さまは、寒く長い冬にどんなに淋しい思いをしていらしたことだろう。
毎年《桜堤》という町から桜の写真を送っていただいた。結婚式で長いスピーチをしていただいた。居合の足を指導していただいた。日本からのお土産をいつもたくさん持って来ていただいた。
どこに案内しても興味を持ち、自然の美しさや、人の表情に敏感で、すぐに写真を撮っていらした。誰に紹介しても、すぐに皆の心を惹き付ける方だった。そして、誰もがいつまでも歌子さまのことを覚えていて、「あの方は、かわいらしい方だったね」と言う。
私がまだ独身で、今よりももっと勝手気ままに暮らしていた時に、佐藤先生はこの言葉を色紙に書いてくださった。
「剣徳興国 婦徳富家」
裏には日本語でこう記されている。
剣の徳は国を興し
婦(おんな)の徳は家を富ましむ
佐藤先生が一人でフランスにいらした時に、ちょっとした用事で、先生のスーツケースを開けるように頼まれた。そこには《鈍い》男子でもすぐに探し物が見つけられるように、無駄のない、整然とした空間があり、妻の心遣いがあった。
先生はどこに行かれても尊敬されていて、誰よりも優れた技を持っていたけれども、このご婦人の前ではただの小さな剣士に違いなかろうと思って、嬉しくなった。
そしてその時、初めて会った年にいただいた『婦徳富家』の言葉を思い出したものだ。
見送って、これで安心したというように、歌子さんも逝かれてしまった。
じつは、ちょっと、ほっとしている。
もうつらくない。きっとそうに違いないから。
前みたいに、お2人で漫才をやっているかもしれない。
涙が出る時には「あの時のうれし涙」や「あの時の笑い涙」を思い出せそうな気がする。振り返ると、ずいぶんいろんなことを教えていただいていたものだ。
ありがたや。ありがたや。
我が家では自分のスツケースは自分で準備する。私はJPの持ち物を選んだり買ったりしない。彼の服のサイズも知らないし、下着や靴下を買ってあげたこともない。
自分のことは自分ですることになっている。
まだまだ修行が足りない。
2006/05/23
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