8月19日から23日のこと
去年日記をつけ始めた頃に、カーモーの《サン・プリヴァ》のお祭りについて書いた。ノエミはゴーカート、ゾエはメリーゴーランドに明け暮れた。
花で飾った山車も出て、ミス・カーモーの乗った車や、ハラダンス、フラダンス、ポンポン・ガールやウエスタン・ダンス、フラメンコや器楽合奏隊が、町中を練り歩く。
今年はノエミがいなかったので、しつこく「行こう、行こう」という者がおらずに助かった。
《か》さんたちや、従兄たち、ソフィーたちも帰ってしまって、本当に残念だった。カーモーがこんなににぎやかな姿を見たらびっくりしたことだろう。全国では《春を呼ぶカーニバル》というものが3月や4月に行なわれるが、カーモーは初秋。夜にメリーゴーランドの順番待ちをするのはけっこう寒い。特にこの期間は例年よりずっと気温が低くて、お祭りに来ていた人たちはみんな厚着をしていた。そういえば去年の写真でも、ノエミが雨合羽を着ていた。
ゾエは、去年と同じ自動車の形をしたメリーゴーランド(?っていうのかな)、ゴーカートみたいにいろんな方向には走らないが、ちゃんとハンドルのついている自動車の列になっているものに乗りたがった。そして、去年と変わらず《アヒル釣り》去年と趣味が変わったのは《アヒル釣り》の景品で、去年までなにかもらえると言えば《自動車》とお願いしていたゾエが、今年は《お姫様変装セット》だった。
ノエミは親戚も、お祭りも、全部のがしてしまった。ああ、残念だ。
2006/08/19
2006/08/15
大雨
曇り空で、お客さんには申し分けない。
本日は祝日にて、JPが自宅にいるので、ナジャックというところに出掛けた。
古い崩れかけたお城があるところだ。
大雨で寒くて、走り回った記憶しか残らなかった。
カルカッソンヌやビストさんのお城に比べたら、手入れが悪くてとても危なかった。
わたしとソフィーのお目当ては、大きな蚤の市だったのだが、結局大雨が降り出してからは店じまいしたスタンドばかりで、何も見れなかった。赤ちゃん連れで行く所ではなかった。
残念
本日は祝日にて、JPが自宅にいるので、ナジャックというところに出掛けた。
古い崩れかけたお城があるところだ。
大雨で寒くて、走り回った記憶しか残らなかった。
カルカッソンヌやビストさんのお城に比べたら、手入れが悪くてとても危なかった。
わたしとソフィーのお目当ては、大きな蚤の市だったのだが、結局大雨が降り出してからは店じまいしたスタンドばかりで、何も見れなかった。赤ちゃん連れで行く所ではなかった。
残念
フランスの写真大公開!!
フランスで再会を果たした従兄が、個人のブログで、旅行中の写真を公開しています。
従兄は今回の旅行中に、1000枚ほどの写真を撮ったそうです。
映像もきれいで、なかなか面白いアングルもたくさん。
これからもどんどん公開してくれるそうですので見てください。
トップページの『漂い人』をクリックするだけでも、従兄のブログに行けます。
アドレスは
http://imasami.mo-blog.jp/tadayoi/
右の『フランス紀行』です。
日本では滅多に見ることのない、アルビやカーモーの写真もあります。
乞うご期待 !!
従兄は今回の旅行中に、1000枚ほどの写真を撮ったそうです。
映像もきれいで、なかなか面白いアングルもたくさん。
これからもどんどん公開してくれるそうですので見てください。
トップページの『漂い人』をクリックするだけでも、従兄のブログに行けます。
アドレスは
http://imasami.mo-blog.jp/tadayoi/
右の『フランス紀行』です。
日本では滅多に見ることのない、アルビやカーモーの写真もあります。
乞うご期待 !!
2006/08/14
行く人たち、来る人たち
朝早く起きて、車二台でトゥールーズへ向かう。ガソリンがほとんど入っておらず、不安だったが、なんとか駅にちょうどよい時間についた。30分しか駐車できない路上パーキングでも大丈夫だろう。
ホームで写真を撮ったり、自動販売機のお菓子を買ってあげたりしていたら、もう駅員さんの笛が鳴っていた。
最後のお別れもろくすっぽ、子どもたちは電車に飛び乗るようなかっこうとなってしまった。従兄と奥さんの《の》さんが手を振るのを見ていたら、涙が出て来た。《の》さんが「お母さんのことも任せなさいねー」というので、ドーッと涙が出て来た。
ホームでプレゼントをもらった。わたしは荷物になるのが気の毒で、お土産はほとんど持たせなかった。あんなにたくさんあった荷物を、上手にスーツケースに詰め込んでいた。確かに来る時にはわたしへのお土産で重くして来てくれていたのだろう。その分今晩泊まるパリで、フランスのお土産を買えるだろうか?
電車が去って、わたしたちの夏が終わった。急に寂しい秋が来た。
でも、みんなを無事に電車に乗せたから、めでたし、めでたし。
さて、レンタカーを返しに行かねばならない。午後から、今度はJPの弟一家がやって来る。
ガソリンを満タンにして返す。借りた時の契約で1750キロまでは230ユーロと決まっていて、《か》さんと従兄がほぼ半分ずつ、お金を出してくれていた。本当はレンタカー代なんかいいんだよと言ってあげたかったのだが、実は契約以上走って、超過料金を取られることは予想できていたので、従兄たちが出してくれるのが有り難かった。
案の定、2400キロ以上走っていたので、超過料金の額も大きかった。JPが全部払ってくれたが、ちょっと月末は大変になるだろう。
お昼ご飯を食べて、掃除や片付けをしていたら、もう弟たちが来てしまった。
甥のコランは一歳になったばかり。笑顔がかわいらしい、金髪で青い目の男の子だ。なんでもよく食べ、あまりぐずらない。赤ちゃんの見本のような幼児だ。
義妹のソフィーは、一歳年下だが、わたしよりもずっとしっかりした女性だ。とても優しい。ナルボンヌで従兄たちに紹介できて本当によかった。この妹がとても力強い味方となってくれているのだ。
本日はみーんな疲れているので、お家でゆっくり。
コランとゾエが寝て、やっと静かな夜がやってきた。JPも楽しそうにしている。
パリの従兄たちから、電話が掛かって来た。まさか本当にやるとは思っていなかったが、ルーブル博物館で、見るべきものは全部見る1時間コースというのがガイドブックに出ていて、それを親子5人でやり遂げたらしい。一番下のしゅん君がパリでナポレオンのお土産を買ったと言って喜んでいた。出発前日に疲れからか、豪勢な鼻血を出した中学生のなっちゃんも、元気そうだった。よくお母さんのお手伝いをするいい子だ。クールなお兄ちゃんも興奮している様子。親子水入らずになって、羽を延ばしているようだ。このお兄ちゃんが一番よくゾエと遊んでくれた。
気をつけて、また会う日まで。
ホームで写真を撮ったり、自動販売機のお菓子を買ってあげたりしていたら、もう駅員さんの笛が鳴っていた。
最後のお別れもろくすっぽ、子どもたちは電車に飛び乗るようなかっこうとなってしまった。従兄と奥さんの《の》さんが手を振るのを見ていたら、涙が出て来た。《の》さんが「お母さんのことも任せなさいねー」というので、ドーッと涙が出て来た。
ホームでプレゼントをもらった。わたしは荷物になるのが気の毒で、お土産はほとんど持たせなかった。あんなにたくさんあった荷物を、上手にスーツケースに詰め込んでいた。確かに来る時にはわたしへのお土産で重くして来てくれていたのだろう。その分今晩泊まるパリで、フランスのお土産を買えるだろうか?
電車が去って、わたしたちの夏が終わった。急に寂しい秋が来た。
でも、みんなを無事に電車に乗せたから、めでたし、めでたし。
さて、レンタカーを返しに行かねばならない。午後から、今度はJPの弟一家がやって来る。
ガソリンを満タンにして返す。借りた時の契約で1750キロまでは230ユーロと決まっていて、《か》さんと従兄がほぼ半分ずつ、お金を出してくれていた。本当はレンタカー代なんかいいんだよと言ってあげたかったのだが、実は契約以上走って、超過料金を取られることは予想できていたので、従兄たちが出してくれるのが有り難かった。
案の定、2400キロ以上走っていたので、超過料金の額も大きかった。JPが全部払ってくれたが、ちょっと月末は大変になるだろう。
お昼ご飯を食べて、掃除や片付けをしていたら、もう弟たちが来てしまった。
甥のコランは一歳になったばかり。笑顔がかわいらしい、金髪で青い目の男の子だ。なんでもよく食べ、あまりぐずらない。赤ちゃんの見本のような幼児だ。
義妹のソフィーは、一歳年下だが、わたしよりもずっとしっかりした女性だ。とても優しい。ナルボンヌで従兄たちに紹介できて本当によかった。この妹がとても力強い味方となってくれているのだ。
本日はみーんな疲れているので、お家でゆっくり。
コランとゾエが寝て、やっと静かな夜がやってきた。JPも楽しそうにしている。
パリの従兄たちから、電話が掛かって来た。まさか本当にやるとは思っていなかったが、ルーブル博物館で、見るべきものは全部見る1時間コースというのがガイドブックに出ていて、それを親子5人でやり遂げたらしい。一番下のしゅん君がパリでナポレオンのお土産を買ったと言って喜んでいた。出発前日に疲れからか、豪勢な鼻血を出した中学生のなっちゃんも、元気そうだった。よくお母さんのお手伝いをするいい子だ。クールなお兄ちゃんも興奮している様子。親子水入らずになって、羽を延ばしているようだ。このお兄ちゃんが一番よくゾエと遊んでくれた。
気をつけて、また会う日まで。
2006/08/13
一日中遊ぶ
最後の一日となる。おもいっきり楽しむつもり。
夕方はほとんどいつもうちで食べて、シャワーのあと民宿に送っている。
明日の出発の時間なども考えて、本日は自宅に泊まってもらった方がみんなのためではないか、ということになったので、朝のうち民宿の清算を終わらせた。一日分は泊まらないのに払うことにはなったが、民宿のおばさんの方が申しわけないと言って、洗濯機をレンタルした費用は精算されなかった。「子どもたちもみんないい子たちで、親切な従兄一家だったね」と言われた。
家財道具一式を持って自宅に戻ったあと、荷物を家に残して、ピクニック用品に取り替え、一路ジルッサンへ。
ジルッサンの朝市で、おいしい物を沢山買って、川のほとりでピクニックをした。
午後は、文化財に指定されている蒸気機関車に乗った。子どもたちも大喜びだ。
機関車の終点は植物園。広大な植物園で、珍しい植物のほかに、「あ、これ、フランスでも咲くんだねえ」と従兄の奥さんが日本名を教えてくれたはながたくさんあった。
ジルッサンという町は、陶磁器が盛んなところで、市が運営している博物館では、販売展示を行なっている。当時のテーマは、「食」に関する陶磁器だったので、台所用品や、食器などが沢山出ていた。
従兄たちとは日本に帰った時に《美山の釜元市》で会った。わたしの両親がそこの市に例年どおり参加していたので、両親とともに、わたしの子どもたちとJPと出掛けた。その年、父と母にとって最後の市になってしまった。従兄たちは毎年ちょうど結婚記念日にあたることもあって、その釜元市で陶磁器を買うことに決めているぐらい、焼き物が大好きだ。従兄の奥さんが、いくつか焼き物を買っていた。なかなかよい趣味だった。わたしは従兄のお母さんのために、焼き物のフクロウを買った。
早めに帰宅して、明るいうちにテラスで食事をした。今晩はいよいよスーツケースを整理しなければならない。でも、夕食のあと、大人たちはおしゃべりが弾み、男どもは食後のコニャックまで出して、ずいぶんにぎやかになった。
子どもたちはほとんど雑魚寝状態ながらも、ノエミとゾエの部屋に寝て、従兄夫婦は。できたてのサロンに、荷物の山に埋もれるようにして夜を過ごした。
「ほんとうに、明日の朝までにスーツケースの準備ができるのかな?」と心配した。
もうちょっと続く
夕方はほとんどいつもうちで食べて、シャワーのあと民宿に送っている。
明日の出発の時間なども考えて、本日は自宅に泊まってもらった方がみんなのためではないか、ということになったので、朝のうち民宿の清算を終わらせた。一日分は泊まらないのに払うことにはなったが、民宿のおばさんの方が申しわけないと言って、洗濯機をレンタルした費用は精算されなかった。「子どもたちもみんないい子たちで、親切な従兄一家だったね」と言われた。
家財道具一式を持って自宅に戻ったあと、荷物を家に残して、ピクニック用品に取り替え、一路ジルッサンへ。
ジルッサンの朝市で、おいしい物を沢山買って、川のほとりでピクニックをした。
午後は、文化財に指定されている蒸気機関車に乗った。子どもたちも大喜びだ。
機関車の終点は植物園。広大な植物園で、珍しい植物のほかに、「あ、これ、フランスでも咲くんだねえ」と従兄の奥さんが日本名を教えてくれたはながたくさんあった。
ジルッサンという町は、陶磁器が盛んなところで、市が運営している博物館では、販売展示を行なっている。当時のテーマは、「食」に関する陶磁器だったので、台所用品や、食器などが沢山出ていた。
従兄たちとは日本に帰った時に《美山の釜元市》で会った。わたしの両親がそこの市に例年どおり参加していたので、両親とともに、わたしの子どもたちとJPと出掛けた。その年、父と母にとって最後の市になってしまった。従兄たちは毎年ちょうど結婚記念日にあたることもあって、その釜元市で陶磁器を買うことに決めているぐらい、焼き物が大好きだ。従兄の奥さんが、いくつか焼き物を買っていた。なかなかよい趣味だった。わたしは従兄のお母さんのために、焼き物のフクロウを買った。
早めに帰宅して、明るいうちにテラスで食事をした。今晩はいよいよスーツケースを整理しなければならない。でも、夕食のあと、大人たちはおしゃべりが弾み、男どもは食後のコニャックまで出して、ずいぶんにぎやかになった。
子どもたちはほとんど雑魚寝状態ながらも、ノエミとゾエの部屋に寝て、従兄夫婦は。できたてのサロンに、荷物の山に埋もれるようにして夜を過ごした。
「ほんとうに、明日の朝までにスーツケースの準備ができるのかな?」と心配した。
もうちょっと続く
2006/08/12
地中海へ
《か》さんたちには申し分けなかったが、リムジンバスに自宅前まで来てもらって、空港までわたし抜きで行ってもらうことになった。リムジンバスと言っても、個人タクシーみたいなもので、ほかに乗り合いの人がいなければ、一人で90ユーロも払うことになる。
《か》さんにはこの日は電車でトゥールーズまで、そこからタクシーで空港まで行ってもらうことになっていたので、従兄たちをナルボンヌの義父母の家に案内することは、ずっと前から決めていた。義父母の家にはパリから帰郷している弟たちも揃っていて、お昼ご飯を一緒に食べることになっている。
従兄たちと一緒にトゥールーズ経由で《か》さんを空港まで送るというてもあったのだが、ものすごい遠回りになるのと、遠回りするのに高速で行くから、3日間放ったらかしにした従兄たちに、何も観光させてあげられないことになる。ひとりで電車で行くのは不安という《か》さんに頼み込んで、わたし抜きで空港に行ってもらった。ちょっと心残りなお別れ。
朝《か》さんを自宅前で送り出してすぐに、従兄一家を民宿へ迎えに行った。みんなは朝早くにもかかわらず準備万端、玄関前で待っていた。
高速は使いたくない。小さな山路や、村や商店街を抜け、写真撮影のための休憩もしながらゆっくり行きたい。子どもたちもおトイレや、おやつ休憩が必要だ。車の中で従兄の奥さんとたくさんおしゃべりできた。ゾエは後ろの席で、お兄ちゃんと仲良く遊んでいる。
ナルボンヌには11時ごろ到着。久しぶりの感動的な再会(義父母と従兄は、11年前のわたしの結婚披露宴で会っている)のあと、義父母の家でアペリティフ。そのあと近くのレストランのテラスでお食事をすることになった。子どもたちには大型の遊具のある、とても広い松林をテラスにしたレストランだった。
食後、従兄の念願だった地中海を見るために、海岸へ向かう。風が強く、水は冷たかったが、みんな大喜びだった。びしょ濡れになって水に入っている。指宿の者には、長い間海を見れないということはとても淋しいものだ。そして、海の向こうに大隅半島のない、こんなに広い海を見るというのは、あこがれだ。これほど遠くまで来て、この海が指宿まで繋がっていると思うと感動する。
この海の水に脚を浸して、はしゃいでいる従兄の気持ちがよくわかった。
夕方義父母宅に戻って、みんなはプールで泳いだ。風よけのカバーがついているプールなので、温水プールみたいに暖かい水だ。みんながはしゃいでいる間、わたしは昼寝をした。
夕日とミディ運河を左手に見ながら、帰途につく。オレンジの光がどこまでもまっすぐ続く、プラタナスの並木道に見え隠れする。夏休みの終わりが近づいている。
夕食は、出発前に支度してあったカレーライス。子どもも大人も大喜び。日本の食事がもう恋しくなっているらしい。わたしの《カレーもどき》にも歓声が上がる。
こーんなにいい日はないというぐらい、楽しい一日であった。 つづく
《か》さんにはこの日は電車でトゥールーズまで、そこからタクシーで空港まで行ってもらうことになっていたので、従兄たちをナルボンヌの義父母の家に案内することは、ずっと前から決めていた。義父母の家にはパリから帰郷している弟たちも揃っていて、お昼ご飯を一緒に食べることになっている。
従兄たちと一緒にトゥールーズ経由で《か》さんを空港まで送るというてもあったのだが、ものすごい遠回りになるのと、遠回りするのに高速で行くから、3日間放ったらかしにした従兄たちに、何も観光させてあげられないことになる。ひとりで電車で行くのは不安という《か》さんに頼み込んで、わたし抜きで空港に行ってもらった。ちょっと心残りなお別れ。
朝《か》さんを自宅前で送り出してすぐに、従兄一家を民宿へ迎えに行った。みんなは朝早くにもかかわらず準備万端、玄関前で待っていた。
高速は使いたくない。小さな山路や、村や商店街を抜け、写真撮影のための休憩もしながらゆっくり行きたい。子どもたちもおトイレや、おやつ休憩が必要だ。車の中で従兄の奥さんとたくさんおしゃべりできた。ゾエは後ろの席で、お兄ちゃんと仲良く遊んでいる。
ナルボンヌには11時ごろ到着。久しぶりの感動的な再会(義父母と従兄は、11年前のわたしの結婚披露宴で会っている)のあと、義父母の家でアペリティフ。そのあと近くのレストランのテラスでお食事をすることになった。子どもたちには大型の遊具のある、とても広い松林をテラスにしたレストランだった。
食後、従兄の念願だった地中海を見るために、海岸へ向かう。風が強く、水は冷たかったが、みんな大喜びだった。びしょ濡れになって水に入っている。指宿の者には、長い間海を見れないということはとても淋しいものだ。そして、海の向こうに大隅半島のない、こんなに広い海を見るというのは、あこがれだ。これほど遠くまで来て、この海が指宿まで繋がっていると思うと感動する。
この海の水に脚を浸して、はしゃいでいる従兄の気持ちがよくわかった。
夕方義父母宅に戻って、みんなはプールで泳いだ。風よけのカバーがついているプールなので、温水プールみたいに暖かい水だ。みんながはしゃいでいる間、わたしは昼寝をした。
夕日とミディ運河を左手に見ながら、帰途につく。オレンジの光がどこまでもまっすぐ続く、プラタナスの並木道に見え隠れする。夏休みの終わりが近づいている。
夕食は、出発前に支度してあったカレーライス。子どもも大人も大喜び。日本の食事がもう恋しくなっているらしい。わたしの《カレーもどき》にも歓声が上がる。
こーんなにいい日はないというぐらい、楽しい一日であった。 つづく
2006/08/11
アヴィニョンの橋で行き詰まり、アルルで座り込んだ女
夕べから、もうお金が一銭もない。JPがお小遣いをくれていたのだが、食事・いろんな場所の入場料・メリーゴーランドのエサ代・食事代・ガソリン代・高速道路・コーヒーやトイレ使用料など、財布に穴が開いてるようだ。「ずっと運転するのはみのりさんだから」と、《か》さんが本当にずいぶん加勢をしてくれた。ホテル代も出していただいたし、高速道路でもずっとカードを手渡してくれた。でも家を一歩出ると、お金が出て行くものなんだなあ。家でじっとしていて、ただ寝て暮らし、息をしているだけでも、電気代やら水道代も出て行くのだから、《観光》なんかしようと思ったら、何ヶ月も前からお金を貯めて、予定を立てていなければならなかったのだ。
従兄が実家の母に《餞別》を預かってきてくれた。母が汗水たらして働き、貯めたお金が祝儀袋に入っていた。母は《従兄》にも餞別をあげていて、2人分できっと母の一ヶ月の給料全部ぐらい出したのではないだろうか。
もしものためにと、JPがくれたお小遣いのほかにその《円》を持って来ていた。悩んだ末に、アヴィヨンで少しユーロに換えた。アヴョンはフランスだから、スペインに行った時のように珍しい物はない。ただ、こーんな遠くまで来た以上は見ずには帰れない場所というものはある。世界中から人が集まる街。見どころはいっぱい、博物館もたくさんある。商店街はカーモーとは比較にならない派手さだが、物を買う余裕はない。
たくさん歩いた。法王の宮殿はものすごく広くて、石の階段や、細い廊下が迷路のようだ。日本語の解説テープもあったが、ゾエがそれで遊んでいたので、私は解説は聞かずに、書いてある表示を読んだり、ただ見るだけだったが、タイルや建築が素晴らしく、高い入場料を払っても中に入って本当によかった。
街を一周し《アヴィニョンの橋》に行った。橋の上を渡ることもできた。(有料)
「橋のー上でー踊るよ、おーどるよ。橋のー上でー輪になって踊ろー」という歌詞は、フランス語もまったく同じ。子どもみんな好きな歌だ。でも《ゆ》ちゃんも《か》さんも知らないというのでびっくりした。私は子どものころからこの歌を知っていた。ピアノを習っていた時に《メトードローズ》という本を使っていて、実はそれがフランスの本だったというのを近年知った。その本で習った曲は今でもよく覚えているのだが、実はその中にフランスの童謡がたくさんあったらしい。そーんな昔から、フランスの音楽とは知らずに学んでいたとは奇遇だ。
本物のアヴィニョンの橋というのは、途中で切れている。ぷっつり見事に切れている。上で踊るようなスペースはあまりないし、石畳でコケそうになる、とっても危ない橋だ。
ゾエも「えー、これがアヴィニョンの橋?」と驚いていた。
お昼はサンドイッチで済ませることにして、一気にアルルへ向かうことになった。換金したのでガソリンも入れることができた。本当はアヴィニョンは10時ごろに出て、アルルには午後ちょっと行くだけにしたかったのだが、《か》さんはアルルをとても楽しみにしていた。
アルルに着いた時には、ゾエが寝ていて、《か》さんたちには「わたしも車で昼寝するから遊んでおいで」と言って行かせた。みんなは車の中でサンドイッチを食べたけど、私は昼食もとらずに運転していたので、不機嫌だったせいもある。狭くて蒸し暑い車内でサンドイッチを食べていたら、ゾエが目を覚ました。
ローマ時代から建っている円形競技場車のそばに車を止めていたのだが、そこから機関車の形をした観光バスが出ることになっていて、30分のコースがあるというので、それに飛び乗った。《か》さんに電話して30分後に車の前で待ち合わせた。
アルルの名所を30分、歩くこともなく、子どもは大喜びで見て廻ることができて、本当によかった。アヴィニョンに比べたら寂れていて、建物は改修されておらず小さい町だが、なんといっても、いまだに昔ながらの闘牛が行なわれているような、石づくりの円形競技場をアップで見たのは感動的だった。私とゾエは中に入る時間はなかった。約束だったアイスを食べさせた。
カーモーまで高速道路を使って5時間以上掛かった。トゥールーズ辺りで、《ゆ》ちゃんが喋り始め、カーモーまで約1時間ずっと東京の小学校のことを話してくれたでの居眠りしなかった。
この3日で一応920.81km走ったことになっているが、道に迷ったり、駐車場やガソリンスタンド、スーパーや高速の入り口を探して行ったり来たりしたこともあったので、軽く1000キロは走っていただろう。
従兄たちは《か》さんに最後のお別れを言うために待っていてくれた。義従姉が夕飯を作っていてくれた。甘い卵焼きがおいしかったあああ。
無事到着にてめでたし。
従兄が実家の母に《餞別》を預かってきてくれた。母が汗水たらして働き、貯めたお金が祝儀袋に入っていた。母は《従兄》にも餞別をあげていて、2人分できっと母の一ヶ月の給料全部ぐらい出したのではないだろうか。
もしものためにと、JPがくれたお小遣いのほかにその《円》を持って来ていた。悩んだ末に、アヴィヨンで少しユーロに換えた。アヴョンはフランスだから、スペインに行った時のように珍しい物はない。ただ、こーんな遠くまで来た以上は見ずには帰れない場所というものはある。世界中から人が集まる街。見どころはいっぱい、博物館もたくさんある。商店街はカーモーとは比較にならない派手さだが、物を買う余裕はない。
たくさん歩いた。法王の宮殿はものすごく広くて、石の階段や、細い廊下が迷路のようだ。日本語の解説テープもあったが、ゾエがそれで遊んでいたので、私は解説は聞かずに、書いてある表示を読んだり、ただ見るだけだったが、タイルや建築が素晴らしく、高い入場料を払っても中に入って本当によかった。
街を一周し《アヴィニョンの橋》に行った。橋の上を渡ることもできた。(有料)
「橋のー上でー踊るよ、おーどるよ。橋のー上でー輪になって踊ろー」という歌詞は、フランス語もまったく同じ。子どもみんな好きな歌だ。でも《ゆ》ちゃんも《か》さんも知らないというのでびっくりした。私は子どものころからこの歌を知っていた。ピアノを習っていた時に《メトードローズ》という本を使っていて、実はそれがフランスの本だったというのを近年知った。その本で習った曲は今でもよく覚えているのだが、実はその中にフランスの童謡がたくさんあったらしい。そーんな昔から、フランスの音楽とは知らずに学んでいたとは奇遇だ。
本物のアヴィニョンの橋というのは、途中で切れている。ぷっつり見事に切れている。上で踊るようなスペースはあまりないし、石畳でコケそうになる、とっても危ない橋だ。
ゾエも「えー、これがアヴィニョンの橋?」と驚いていた。
お昼はサンドイッチで済ませることにして、一気にアルルへ向かうことになった。換金したのでガソリンも入れることができた。本当はアヴィニョンは10時ごろに出て、アルルには午後ちょっと行くだけにしたかったのだが、《か》さんはアルルをとても楽しみにしていた。
アルルに着いた時には、ゾエが寝ていて、《か》さんたちには「わたしも車で昼寝するから遊んでおいで」と言って行かせた。みんなは車の中でサンドイッチを食べたけど、私は昼食もとらずに運転していたので、不機嫌だったせいもある。狭くて蒸し暑い車内でサンドイッチを食べていたら、ゾエが目を覚ました。
ローマ時代から建っている円形競技場車のそばに車を止めていたのだが、そこから機関車の形をした観光バスが出ることになっていて、30分のコースがあるというので、それに飛び乗った。《か》さんに電話して30分後に車の前で待ち合わせた。
アルルの名所を30分、歩くこともなく、子どもは大喜びで見て廻ることができて、本当によかった。アヴィニョンに比べたら寂れていて、建物は改修されておらず小さい町だが、なんといっても、いまだに昔ながらの闘牛が行なわれているような、石づくりの円形競技場をアップで見たのは感動的だった。私とゾエは中に入る時間はなかった。約束だったアイスを食べさせた。
カーモーまで高速道路を使って5時間以上掛かった。トゥールーズ辺りで、《ゆ》ちゃんが喋り始め、カーモーまで約1時間ずっと東京の小学校のことを話してくれたでの居眠りしなかった。
この3日で一応920.81km走ったことになっているが、道に迷ったり、駐車場やガソリンスタンド、スーパーや高速の入り口を探して行ったり来たりしたこともあったので、軽く1000キロは走っていただろう。
従兄たちは《か》さんに最後のお別れを言うために待っていてくれた。義従姉が夕飯を作っていてくれた。甘い卵焼きがおいしかったあああ。
無事到着にてめでたし。
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