2013/01/02

行った年、来た年

明けましておめでとうございます。
健康で、夢いっぱいで、にこやかな年になりますように。


 去年に引き続き、12月の第三週目から1月1日まで、ミーさんちのケーキ・チョコレート屋さんでアルバイトをしていた。フランスの12月のチョコレート屋さんというところは、一年でいちばん忙しい時期だ。19日はまだ暇だった。クリスマスようのケーキの予約は始まっていたものの、肝心な「クリスマスケーキリスト」のほうはまだ出来上がっていなかったので、やることがない。ときどき職人さん達がラボからやって来て、裏で冷凍する作業などをやっているのを見るのが楽しかった。わたしたちはチョコレートの箱にリボンをかけたり、ショーウィンドーに並べるパッケージを準備したり、嵐の前の静けさがそこにあった。この週はまだ子どもたちが学校に行っていたし、わたしも日本語クラブがあったりしたので、片道30分の家と店を行ったり来たりした。

 ノエミの音楽学校のオーケストラコンサートを聴きにいくという余裕もあった。
 
 ケーキリストができて、22日からの冬休みに突入すると、お店は急に慌ただしくなった。ケーキ予約の電話が殺到。プレゼントを求めて目を血走らせているお客さんが殺到。お昼休みに家に帰る元気もなくなった。

 23日から26日まで、JPの弟達とその家族達が、両親の家に行かずに我が家に来て泊まっていたので、わたしは料理も、選択も、お掃除も、買い物も。。。家のことは何もしなかった。料理は弟達がして、子どもたちの世話は義理の妹がしてくれた。クリスマスのプレゼントも用意していなかったけど、わたしたちは毎日種類の違う《ミッシェル・ブラン》のケーキを食べた。

 クリスマスが過ぎると、売れ残ったケーキを毎日持たされたので、6種類のケーキ全部を毎日日替わりで食べることになり、しかも、落として売り物にならなくなったチョコレートの箱や、クリスマスプレゼント用の、スペシャル・チョコレート・セット(かけた半端品)なども、お持ち帰りをゆるされ、我が家では「もうダメ。。。」と言うまで、チョコレート三昧という幸せな年末となった。

 このドタバタの中で、12月20日に出版された、四冊目の翻訳の本が手元に届き、日本からは、お餅の入った母からの小包も届いた。

 

 ミーさんのアルビのお店が拡張される。売り子さんの同僚達が、わたしにも履歴書を出しなさいよと言ってくれる。「みのりは商売に向いているよ」と言われる。そりゃあ、そうよ、商売人の娘だもの。いっしょに働く人たちに推薦されるというのは気持ちのよいもの。ミーさんにも、ミーさんの奥様にも、気に入っていただいていると自負している。とても居心地のよい職場だ。でも、1月1日に考えたのは、わたし、やっぱり、今年は翻訳と日本語と剣道を、徹底的にがんばろう!ということだったのだ。

 これまでずっと続けて来た、日本語を教えるという仕事を、辞めて新しいことを始めようと、この数年いろんなことに挑戦して来た。去年は、レストランでも働いて、厨房というところも、とても好きな職場だった。売り子の仕事もいろんな出会いがあって楽しい。でも、レストランもお店も45歳で新しく転職するには、体力的にじつに大変だし、そのせいで、一昨年から病んでいる足も、なかなかよくならない。

 剣道のほうも、運良く昇段試験に合格できたけれども、昇段試験に合格したせいで、責任が重くなって来た。もっと身を入れてやらなければ、期待されたように上達できない。アルバイトをやるために、自分の道場をお休みするというのは、とても辛いし無責任。アルバイトのせいで居合道のほうはぜんぜんできずにいる。

 とりあえず、やめようと思っていた日本語のほうに、今年の新学期から引き戻されたのは、これは何かの縁だぞと感じたし、こうやってはなしが来るのも、おそらく日本語教師の仕事にむいているという証の「一部」であるのだろう。翻訳の本も出たばかりなのに、また次が待っているから、これはこれで真剣に取り組まなければならない。今年はフランス語訳のほうもやりたいし。頼まれてるし。。。

 あれこれやり過ぎて、無理をしたり、何もかも半端で投げ出すのは避けよう。。。それが、今年の目標。


 さあ、秋に元気に日本に帰れるように、がんばるぞ〜〜。


今年もどうぞよろしくお願いいたします。



2012/12/17

光線のように過ぎてく師走

 むずむずしている。うずうずというか。。。
書きたいことがいろいろある。
読みたい本もいっぱいある。翻訳を待ってもらっている文献も約二冊ほど。
せめて家族のためのお料理ぐらいは、ちゃんとしたい。
年末大掃除も、何年ぐらいやってないのだろう?
でも、時間がぜんぜん足りない。

 ミーさんのケーキ屋さんで、お仕事が始まった。でも、合間には中学と高校での授業もある。《日本語クラブ》《マンガクラブ》なので、日本語の授業をするよりは、まあ、準備の時間は少なくてすむ。

 ミーさんのケーキ屋さんでは去年も仕事をしたので、今年は就職前の研修はなく、去年よりも10日遅れでスタートした。アルビの街の大工事のせいで、街の中心街はけっこう静か。お店も去年よりは静か。働いている支店では、どこに何があるとか、いつなにをするとか、同僚達のくせなんかももうわかっているので、気も楽。ヘマも去年よりは少なく、あっという間に一日が過ぎ去る。
 去年は十月に脚を痛めたので、十二月の立ち仕事は辛かったけれども、今年は痛みも少なく、体力的にも元気。それに、なんと言っても、今年に入ってからはレストランの厨房でも働いたので、調理師の肉体労働に比べたら、値札を見ながらレジを打ち、お客さんとおしゃべりして、たまにチョコレートとコーヒーで、大好きな同僚達と過ごす売り子ちゃんの仕事は、楽しいことばかり。《辛い》とか言ったら罰が当たるだろう。

 ミーさんのケーキ屋さんでは普段は丸とか四角のケーキを作っているけれども、クリスマスにはやはりビューシュになる。暖炉の薪みたいな形のケーキだけど、日本とは違って、ロールケーキじゃない。このクリスマスは、子どもたちの《変化を試みる》という態勢のおかげで、JPの実家に行かない。なので、《マノン》という、ミーさんの娘さんの名前がついたケーキを、予約することにした。

ミーさんのお店Michel Belinのクリスマスと新年特別ケーキ クリックすると読みやすいですよ。


 子どもたちだけではなく、JP達兄弟だって毎年毎年の年末年始と、各誕生日、各バカンス、すべての催しをつまらない実家で過ごすという《変化のなさ》にうんざりしていながら、そういうことの言えない(親に優しい?)兄弟なので、「今年のクリスマスは、みのりが仕事で、一人クリスマスに来れないのは気の毒だし」というような言い訳をして、わたしの名前で、わたしの家に、みんなを集結させることになった。

 。。。が、両親達は「クリスマスは実家で過ごすのが決まり、そっちに行きたくない」と反発しており、なので、親族みなさん、わたしのご招待ということでこっちに来るけど、両親だけは来ない。両親は「みのりがみんなを招待したせいで、うちにはだれも来てくれない。一生でいちばん寂しいクリスマスだ」とブーイング。ああ、めんどくっせー

 わたしはクリスマスは寝て過ごしたい。24日も25日も仕事だから、ゆっくりさせていただきたい。お給料は年が明けてからなので、今はお買い物をするお金も時間もない。なのでクリスマスプレゼントも用意できない。わるいね〜。

 ゾエが、屋根裏部屋から、いきなりツリーを出して来た。ノエミが生まれた年に買ったプラスティックのツリーだ。ノエミのお誕生ケーキは、ミッシェル・ブランのソレイヤードだった。バニラのふわふわしたケーキの中に、リンゴとアプリコットのバター味コンポートが入っている。そして表面はこげたプリンのような代物。。。太陽(ソレイユ)のように輝くケーキ。

 自宅のキッチンにいるとラジオをつける。世界の不幸と恐怖、中近東の叫びと、日本からは音では届かない静かな不安で、年末はいつも寂しくなったものだ。そういうものから遠いところ、光輝くショーケースに入った、太陽のようなケーキを売って、お金を持っている人たちから笑顔と感謝の言葉をもらう。汗と涙の三週間は、お正月を過ぎてから報酬となる。

 この年末にわたしの四冊目の本が出るので、お正月には印税をもらえることになっている。お正月を過ぎたら、来年の秋に里帰りをするための飛行機のチケットを買う!

 さあ、がんばって笑顔をふりまこう!



ノエミの16歳のお誕生ケーキ ミッシェル・ブランの《ソレイヤード》

ジャコのお菓子な学校 第一刷 でき

「ジャコのお菓子な学校」がいよいよ出版の運びとなった。
この本は、前回の『ジジのエジプト旅行』に続くラッシェル・オスファテールさんの第二冊目。調理の学校に通ったり、レストランの厨房で働いたりの時期に訳したので、いつも忙しく、出版社の方にご迷惑をおかけしながらも、本人としてはとても楽しいお仕事となった。出版の記念に、五冊は文研出版さんからいただけるので、指宿の母の住所に送っていただいて、その中から一冊は、指宿市の図書館にも持って行ってもらった。

表紙です。風川恭子さんの描いてくださった、かわいいジャコ


クリスマスのバカンスも近づき、去年に続き、今年も今週から、ミーさんのケーキ屋さんで売り子として働いている。じつは、去年研修をして、今年は調理師として働いていたガストロノミーのレストランが、年末年始の忙しい時期に遣ってくれないだろうかと期待していたのだけれども、お呼びが掛からなかった。でも、ミーさんはすぐに返事をくれた。

 アルビの街が世界遺産に選ばれたのに併せて、アルビの街全体も大改造を強いられている。それに併せてミーさんのアルビのお店も、新しくなるので、前から雇ってもらえないかという話をしていた。でも、クリスマス前にオープンの予定だった新しいお店は、工事の遅れで、オープンが来年に延びた。大劇場の目の前にあるこれまでの古いケーキ屋さんは、劇場の工事で埃っぽくてうるさいのだが、クリスマスを前にたくさんの人でにぎわっている。わたしは大好きなミーさんのチョコレートのよい香りの中で一日中楽しく働いている。

 じつは、10月からは高校と中学で『日本語クラブ』なるものを持たされている。日本のマンガブームで、『マンガクラブ』というのもある。高校ではフランス語の時間に生徒達が『俳句』を習ったらしいので、フランス語のポエムを日本語の俳句や短歌風に書き直し、その句のテーマになっている季語や言葉をお習字で書くというアトリエをやった。今週は、中学校のマンガクラブで、日本のクリスマスについて話をし、折り紙でクリスマスツリーを作った。『日本語クラブ』も『マンガクラブ』も週に一時間ずつなので、それが終わったらダッシュでケーキ屋さんに行く。

 時間があれば昼寝をしたいところだが、あまり時間はない。ミーさんのケーキ屋さんに新しい日本人の職人さんが入って来たので、その人とその人の奥様のお世話などもしている。毎日走り回っている。先生じゃなくても師走はやっぱり忙しい。

 

2012/11/13

闘うということ

自慢顔の、わたし
11月10日、ピレネー山脈のお膝元にあるタルブという町で、ミディピレネー地方のクラブを集めてのオープン戦が開かれた。選手は45-50人ぐらいしか集まらなかったものの、剣道の地方大会には大変珍しい「観客」がたくさんつめかけていて、大変にぎやかだった。

 我が「白悠会」からは、エリックとシルヴァン、中学生のアランを連れて行った。わたしは日本人なので、剣道連盟の公式な試合での個人戦には参加できない。5人で行われる団体戦であれば、外国人が一人までなら入っても許されるので、去年は何度か試合をさせていただいた。このタルブのオープン戦では、外国人でも個人戦と団体戦に問題なく参加が許されたので、たくさんの試合をすることができた。

 カーモーからタルブまで片道3時間半ぐらい掛かるので、朝9時の開場に到着できるようにするには、暗いうちから家を出る。シルヴァンは興奮して眠れなかったと言っていた。口数も少ない。アランは中学生なので、後部座席でもちろん静かに居眠りをしている。運転をしてくれたエリックは、わたしの調理学校仲間だった人。学校が終わってからもうずっと老人ホームの食堂で働いているので、金曜日の夜も仕事だったのに、ちゃんと起きて運転までしてくれた。車の中でしゃべりまくるのがわたしの仕事だ。

 11月に入ってからは、試合を意識して、ルールの説明や作法の復習をくり返した。稽古にも熱が入っていて、試合で活用できる二段技や、動きのでるような稽古をした。わたしの生徒たちは普段あまり試合形式の地稽古はできないので(有段者がわたししかいないものだから)、生徒たちは「気分を味わうためにYouTubeでたくさんの試合を見て研究した」などと言っている。エリックにとっては始めての試合。緊張するのも仕方ない。去年の冬の地方大会に無理矢理ださせようとしたら、本人が「まだ自信がない」と言った。確かにあの時出さなくてよかった。ボロボロだっただろう。
 シルヴァンは始めてすぐからもう試合に出たがった若者で、やる気も満々、野望もありあり。若い人を対象にした講習会にも参加させているし、試合にはもう三回目の出場だ。一回目の試合で「思いがけなく」立派な先鋒をつとめ、かなり自信を持って参加した二回目の試合では二秒で破れるという「屈辱」を経験しているために、「二秒で負けて、午前中で家に帰れって言われたらどうしよう」と、不安がっていた。
シルヴァン、うれしそう。

 アランはといえば、この子は無表情無感動だ。。。恥ずかしがり屋の中学生なので、思っていることを言えないし、いったいどんなことを思っているやら、顔の表情からはちいともわからない。剣道を始めたころは、わたしの目を真っ正面から見ることができなかった。剣道着の襟が開くのを恐れて、いつもモゾモゾと動いている。細く柔らかい線をしているので、「あの子、女の子?」って、しょっちゅう言われている。しかもうちの姪っ子が使っていた赤い胴をつけているので、かわいくって仕方ない。見た目よりもスポーツマン、水泳で鍛えているので持久力はある。大人と同じ時間だけ面を着けて動き回ることができる。「降参」とか「疲れた」とか絶対に言わない。わたしの期待のホープ。
アラン、ガンガン打たれてましたが、泣かず。バシバシ打ち返して、泣かせてたネ。


結果は、エリックが級者の部でなんと優勝。団体戦では三位。シルヴァンは級者の部の三位。団体戦も三位。団体戦の組み合わせはすべてのクラブを一緒くたにして三人ずつに振り分けたので、同じクラブの人が同じグループになることは避けられた。準決勝戦でエリックとシルヴァンは、闘わなくてはならなかった。アランは個人戦が準優勝で、団体戦は三位だった。一人二個ずつのメダル、六個のメダルをクラブに持って帰ってくれた。

なのに、わたしはちょっと胸が痛いのだ。土曜日から、剣道のことばっかり考えていて、いろんな人と話をした。


 みんなこの一日でたくさんの試合をした。トーナメントに上がる前に敗者復活戦もあったので、例えばエリックなどは土曜日早朝の第一回目の試合で大負けした相手と決勝で当たって、優勝してしまった。アランはトーナメント戦に上がる前に7歳から13歳の部に登録したすべての子どもと対戦したので、土曜日一日で15回ぐらいの試合をやったことになる。時間制限まで勝負が決まらなかった試合もあったので、3分以上がんばったこともあったのだ。持久力がなければやっていけないけど、普段は持久力アップの稽古なんて特にやっていない。

 問題はエリック。普段おとなしく穏やかな人だ。女性と子どもを打つことができない。面なども、パンと打てずに触ってるだけ。でも、身体はギシギシ音を立てているのが聴こえるほど、硬い。掛かり稽古を始めると、肩が上がって、顔が真っ赤になる。いつも、「ハイ息を吸って〜とか、リラックスして〜。」と言ってあげなければ、ガチガチがおさまらない。JPもそんなところがあるので、二人が稽古を始めるとロボコップが二体でぶつかりあってるようで、わたしは間に入ってやめさせることが多い。

 さあ、インターネットのビデオで研究を重ねたエリック。。。つばぜり合いは面を打つ前に手が伸びていき、相手の面金をぶん殴っていて、まるでボクシング。相手を腕で押して力づくで場外に押し出すようなこともあった。わたしは、別な試合場の審判をやっていたのだが、エリックの試合が危なっかしくて、気にかかる。こっちの審判を中断させてもらって、向こうの試合場に「タイム」を掛け、エリックにこのわたしが注意勧告を出し、センセイとしてお説教をし、「深呼吸をやんなさい」と言ってあげたかったぐらいだ。でも、剣道の試合は声を張り上げて「応援」しちゃいけない。試合中に中断してアドバイスなど、絶対に許されない。審判はよく見ていて、「わかれ」を掛けたり「合議」で集まったりする。エリックは何度も注意を受けていたし、エリックが押し出したために場外にでた人に対して、合議のあと「場外反則」を出さない代わりに、エリックに対する「注意」が言い渡され、わたしはなんともほっとした。

 わたしは、力づくの剣道を憎んでいる。これまでにも、ずいぶんいやな思いと痛い思いをした経験があって、そういう剣道をなくしたいと思って、道場を始めたのだ。なのに、ボクシングのようなつばぜり合いと、竹刀じゃなくて腕で押して、後ろから殴るような剣道で、エリックはついに決勝まで行ってしまった。
 じつは、めちゃくちゃの動きをやってるエリックなのだが、隙は上手にとらえていた。これはほかの審判たちにも言われた。エリックが暴れまくっている途中で、相手の隙をちょいと狙って、素晴らしい面が入る。三人の審判が一斉に旗を揚げ、観客が「おお〜」と唸る。とってもわかりやすい技で、はっきり勝って決勝までたどり着いたのは確かなのだ。だれにも文句は言えない。めちゃくちゃな態度については、参加者の中でいちばん注意を受けたためか、朝と夕方の試合には大きな質の差が出ていた。これもたくさんの人からの指摘だった。

 決勝で素晴らしい面が決まって、その音が会場に響き渡った。三本の旗が一斉に翻った。その時、わたしは隣りの会場から見ていて、じつは頭を抱えた。気を失いそうだった。お先真っ暗だった。たった今のが素晴らしい面だったのはわかるんだけど、でも、あとの二分五十九秒の動きが、めちゃくちゃだったので、エリックに優勝をあげないで欲しいとさえ思った。わたしは自分の生徒のその勝利が、悲しくて仕方なかった。なんで教えたことができないんだろう。なんでこんなに暴力的なんだろう。これまでの苦労はなんだったんだろう?反抗期の娘に裏切られた親バカみたいじゃない。

わたし、どこ見てるのか?胴をとるのもすっかり忘れてるし。おいおい。
試合のあとで愚痴を聴いてもらおうと思って、決勝で主審をした友人の美恵子さんの所に行った。美恵子さんはわたしの顔を見るなり、「おめでとう。いい試合だったね。あのエリックさんの面、素晴らしかった」とニコニコして言ってくれた。「エリックさんは、朝からずっと何度も注意を受けたけど、それでいやになって剣道やめたりしないよね?」と心配そうでもある。わたしが「内容」について不満であることを言ったら、何度も経験しているうちに、試合のルールは身に着いて来るし、精神的なストレスとか緊張も、コントロールできるようになるよと言ってもらえた。確かにエリックは「我を忘れた」状態だったと思う。自分でもぜんぜん「こんなつもりじゃなかった」と思う。

 エリックは、表彰式でメダルをもらうのに、申し訳なさそうにしている。

さて、今回の、この第1回目の試合の「目標」はいったいなんであったかと考える。勝つことではなかった。それは確かだ。一戦も勝てるわけがないと思っていたぐらいだから。
試合の雰囲気を味わう。怖くても逃げない。苦しくても最後まで力を尽くす。。。。
そんなところだったと思う。あと何年かしたら、試合の雰囲気を盛り上げて、相手を怖がらせて怯えさせ、最後まで息も切らさずに、そして、きれいな技でガンガン勝ち抜く。。。。になる日が来るかも、しれない。そして、自信を持って、胸を張って表彰台に立ち、対戦した相手から「素晴らしい試合をありがとう」と握手を求められ、笑顔で自分たちの道場に凱旋する日も来るだろう。

 「怖くて眠れなかった」と言っていた三人が、「なにはともあれ 楽しい一日だった」と言っているだけでも、ものすごい収穫だったのだ。わたしもそうだったんだから。



 昇段試験の時の様子を撮ったビデオを送ってもらった。これを佐藤先生が見たら、頭を抱えて泣かれるかもしれない。「なんでこんな奴に昇段させたのか」と言われるだろう。30年経ってもあまり変わらない人間が「センセイ」しているんだから、文句を言われる生徒は、お気の毒。

課題がいっぱいです。。。



 



2012/10/31

おやすみ

ボボの最後の夏

いつもこんな顔で、わたしたちを見上げていた。


 毎日決まってやらなければならない、結構大変なことのひとつが、ボボのお散歩。忙しい時、足が痛い時、寒い時、暑い時、雨や雪の時。。。毎日のお散歩は結構「あ〜あ」の作業だと思っていた。でも、ある日、突然、それをやらなくてもいいことになった。

 10月19日、金曜日、いつものお散歩のために家を出たわたしたちだったけど、公園の前で友人のロランスに会ってしまった。「ね、これからうちにおいでよ」と誘われ、ボボを連れたままロランスのうちに行った。ロランスはボボのことが大好きだったので、去年ボボと同じピーグルの、メスを飼いはじめた。「犬たちを庭で遊ばせて、わたしたちはお茶しよう」ということになった。けっきょく、公園に行く時間がなくなったけど、ロランスの広い庭で犬たちは仲良く遊んでいた。

 金曜日のお昼はゾエが自宅で食べる日。11時半が過ぎたら急いで帰らなくてはならなくなったので、公園の入り口を通過して、ロランスのうちからまっすぐ帰ることにした。でも、途中でボボの具合が悪くなって、歩けなくなり、ロランスの家からうちまで5分の距離なのに、30分もかけて帰り着いた。ゾエは自分の鍵で家に入ってはいたものの、親に忘れられたと思って、誰もいない静かな家のテレビの前で、泣きながらお腹を空かせてテレビを見ていた。その午後からボボは何も食べなくなり、金曜日の夜から土曜日の夜にかけて、何度もJPが注射器でミルクをあげたけど、吐き出したり咳き込んだりして苦しそうだった。ボボが九月に腫瘍の摘出手術をした時に、獣医さんに「この子、心臓がすごく悪いですよ」と言われて、思いがけないことでびっくりしたのだった。9月から5キロ以上もやせて、ずいぶん弱っていたのもたしか。

 日曜日の朝早くに起きて、ルルドという、うちから車で3時間ぐらい掛かるところに行く約束があったために、その土曜日の夜はいつもより早く寝るつもりだった。JPは土曜日の夜はいつもパソコンの前に座る。でも、わたしたちはなにやら落ち着かなかった。夕食のあと二人で台所にいて、わたしは剣道のレポートを書き、JPは夜の10時を過ぎてからいきなり「ジャムを作る」と言い出した。ボボはその前の日から引き続き、廊下に寝ていたけれども、わたしたちは交代で何度も様子を見に行った。11時半ごろ、ボボを見に行くと、わたしの顔を見ていきなり立ち上がった。一日中立ち上がれずに寝たままの姿勢だったのに、いきなり立ち上がった。ふらふらと、あちこちにぶつかりながら長い廊下を歩く。わたしはボボを追いかけながら、JPを呼んだ。ボボは、台所でジャムを作っているJPの足元をふらふら歩き、やがて、あきらかに左半身の様子がおかしくなり、左に傾いてぐるぐるその場で渦を描きはじめた。船が渦巻きの飲み込まれるように、どすんと冷蔵庫の前に倒れた。

 ゾエは三十分前ぐらいに「おやすみ」と言ったところだった。ノエミもさっき「おやすみ」と言ってトイレに行くのが聞こえていた。ノエミは寮に入っているので、「来週はもう会えないかもしれないから、ボボとちょっとお話しする」と言って、金曜日と土曜日は二人とも、何度もボボの様子を見に言っていた。金曜日に具合が悪くなった時に、ゾエが「医者に連れて行かなきゃ」と言ったのだが、その日に医者に連れて行ったら「注射で安楽死させましょうか」って言われるのはわかっていた。子どもたちは「苦しむのを見るぐらいだったら」と言ったけど、わたしとJPは、土・日に自然に、結果が出るような気がしていた、と、思う。ずっと世話したかったのだ。食べ物を受け付けなくなった時点で、わたしは「生きる気力が、もうないんだ」と思った。でも、JPは注射器でミルクと砂糖と小麦粉を混ぜたおかゆみたいなものを、飲み込ませようとがんばっていた。

 冷蔵庫の前に倒れて、投げ出された小さなボボの身体は、動かなくなった。JPが「もう、終わりだ」と言ってしばらくしてから、いきなりボボが咳をしたので、飛び上がるほど驚いた。そのあとまたびくとも動かなくなったので、JPは、「今度こそ、もう終わり。さっき心臓発作をやればよかった。」と言いながら胸をなでた。そのあとまたしばらくしてから、ボボは咳をしたので、もう、わたしは、ものすごくびっくりした。

 静かになり、JPがまたジャムの鍋に戻り、無言で鍋をかき混ぜはじめたので、わたしは二階に上がっていった。ノエミが廊下で泣いていた。「死んだんでしょ、ボボ?」とわたしに聞いてから、「おやすみ」と言ってベッドに入った。ノエミが3歳になったばかりのお正月にボボを拾ったのだ。もう13年ぐらい一緒に暮らして来た。

 夜中だったので、どうしようもなく、JPはシーツにボボをくるんで、犬小屋に寝かせた。そのあと、目を覚ますかもしれないと思って、何度も様子を見に行った。次の朝早くに、自宅を出る時にも、シーツにくるまったボボを見に行った。このかたまりが本当にボボなのか、もしかしたら起きてるかもしれないと思って、何度も見た。お線香をたいて、わたしは出かけた。静かな廊下に「おやすみ」と言った。

 昼間に一人で家にいると、寂しくて寂しくて仕方がない。そういえば、昼間、ボボはわたしの話し相手だったのだ。朝の散歩がなくなって、公園まで歩かない。公園を歩かない。こんなことではいけないけれども、近所の人に「あら?ボボは?」って言われるのがいやで、ご近所の人を避けている。

 ボボにとって大変な一生だった。でも、いい子だった。安らかに眠ってもらいたい。
おやすみ 合掌

十月の最後の日

 母に電話したいと思っているんだけど、なかなかできずにいる。フランスは急に寒くなって来た。風邪を引いていないかなあ。

 先週のガラガラ声も、どうにか元に戻って来た。9月の最後の週にパリでの3泊4日の講習会に参加し、10月にももう一回パリでの指導者講習会と、ルルドの地方講習会に参加した。どれも剣道の講習会。その間、10月には高校での『日本語クラブ』が始まった。

 剣道の生徒の中に、カーモーで唯一の専門学校で、地理と歴史とフランス文学を教えている人がいて、その人の尽力で『日本語クラブ』っていうのを開いてもらえることになった。週に1時間、全部で26時間の、来たい人だけ来てもいいっていう日本好きの高校生たちのためのクラブだ。そのほかに2時間の別な講義が2回。フランス文学と、地理歴史の授業の時間に、日本について話してほしいと言われ行くことになった。

 高校三年生のクラスは、今、『広島の花』という小説を勉強中。それと同時に『俳句』についてもちょっと練習したらしい。地理と歴史の時間にも、日本のことをたくさん勉強していた。第1回目の授業では、まず学校で習ったこと、知っていること、聞いたことをもとに、日本や日本人についての意見、あるいは質問を出してもらった。それに対応しながら、興味を持ってくれそうなことを付け加えていく。第2回目の授業の時には、まずフランス語で三行詩を作らせる。季語などを入れて。わたしにはその場で『俳句』として翻訳する仕事と、それを筆で書く作業が言い渡され、お習字苦手なので、ホントーに困ってしまった。高校生たちにもお習字を体験してもらいたいので、それぞれの書いた詩のテーマ、あるいはタイトルとなるような単語をひとつ選んで、それを漢字で書いてみるという企画を立てた。わたしが俳句を作っている間に、彼らはお手本を見ながら筆で漢字を書いた。わたしより上手。

 ミーさんのパティスリー・工房に、新しい日本人のパティシエが来た。これまで一年働いていたももちゃんも帰ってしまって、次はだれだろうと思っていたところだった。フランス語がわからなくて、ちょっと大変だ。ちょうどいい具合に「日本人会を作りましょうよ」と誘ってくれた、アルビの日本女性グループと初の会合を催した直後だったので、今後、ご紹介してあげられるかもしれない。この辺りで日本人が急増している!知らなかったけど、初会合の時に9人も集まったのには驚きだった。そういうところに行くと「年配の方グループ」で、しかも「古株でフランスのことをよくご存知」と思われており、若い奥樣方、実に丁寧な言葉で、恭しく接してくださるので、、、恐縮なのである。
「みんなでバトミントンをやりませんか」
と誘っていただいたのだけど、わたし、スポーツは全然ダメで。。。剣道と居合道で忙しいので。。と言ってお断りした。「みんなで剣道やりませんか」っていえばよかったなあ。月曜日と木曜日は剣道を教え、水曜日と土曜日は居合道を習い、火曜日は料理教室があって、週末は剣道の講習会やら試合のために遠征しているので、ぜんぜん余裕がない。時間があったらもうちょっと家のことやりたい。時間は全然ない。翻訳の仕事やブログを書くのやフェースブックは、家人がベッドに入って家の中が静かになる20時ごろからはじめ、3時ごろまで書斎でウロウロしている。昼間は常にぼーっとしていて、バトミントンをやる時間があったら昼寝したいのだけど、昼間は日本語と剣道の授業の準備をしたり、授業のあとには反省ノートを書いたり、掃除したり、洗濯したり、メールの返事書いたり、だれかに電話をかけたり、だれかが電話して来たり。。。。なんで1日は24時間しかないんだろうと思う。

2012/10/16

ヤカラのおかげです。ありがとう。

 きのう(月曜日)から、声がもうぜんっぜん出ない。金曜日からずっとパリで剣道やって来たので。張り切りすぎてしまった。いつものように。通訳もやった。人がたくさんいたので、声を張り上げなくてはならなかった。

 「みのりさん、気迫が足りないよ」と、仲良し大好きな剣道仲間から言われるのである。「気合いはいちおう入ってんだけどね」とも。「そろそろ気勢と品格、気位が大切」と先生はおっしゃる。二週間前に、五段の昇段審査を受けたのだ。それでめでたく五段に昇段したので、元立ちをやらなければならなくなってしまった。責任重大なのである。

 元立ちというのは、まあ、向き合った相手を指導する立場みたいなものだ。何か指導できる要素を備えていなければならないらしいのだ。でも、わたしは相変わらず自分にあんまり自信がないように、見えるらしい。おかしいなあ。

 剣道の講習会ですれ違う人は、ほとんどが日本人好きで、日本のことを知りたく、日本人の友達が欲しい。だから、わたしがその辺を歩いていると気軽に声をかけてくれるし、誰もがにこやかに挨拶してくれる。名前を覚えてくれる。日本語のクラスでも同じだ。なのでわたしはこの二十数年の間、あちこちで大切にされて来た。ありがたいことだ。

 たまに、わけわかんない人もいる。わたしが優しいことを言ったり、にこやかにしていると、どうも神経に障るらしい。「礼で始まり礼で終わる」と言われる剣道やってるくせに、挨拶しても返事ができないヤカラだ。「ゆるせん!」のである。そして、そういう許せんヤカラが、わたしを透明人間のように見過ごして、目の前を通過するたびに、イラッとするのは、修行が足りない証拠なのである。なんで自分が透明人間になってしまったのかを考えていた時に、親しい友人から、「気迫が足りないからだ」という意見が出た。「ちょっと、そこのヤカラちゃんよ、あんた、あたしがコンニチハって言ってるでっしょーがっ!」と、ヤカラの肩をとっ捕まえて喝を入れるぐらいの「気迫」が欲しいと、友は言うのである。友だったら、見てないで代わりにとっ捕まえて欲しいところだけどねえ。

 「アンタ取り柄ないんだから、ニコニコ笑って世の中を渡れ。挨拶されたらさわやかに応え、嫌なこと言われたら口答えせずに聞き流せ。」
と、言われて大きくなった商売人の娘なのである。そのような商売人の娘として20年間親のもとで暮らした。家を出て、国を出て、はや24年を親のいない所で暮らしているのだということには、最近ふと気付いた。海外暮らしも板に着き、フランス人相手もかなり有段者になってきた。なのに、どうして自己主張というものは、日本人のままなんだろう。

 わたしの自己主張は、やはり「ニコニコ笑って、挨拶されたらさわやかに応える」であり続ける。うちにいて、アタマがカタマって来て、顔色も目つきも悪くなり、ヒステリーを起こし始めると、家人に「剣道で発散して来い」と言われるぐらいだから、やっぱり、道場はわたしの「道を探す場所」なのだと思う。そこに行ってまで、挨拶もできないヤカラの機嫌を取るなんぞ、無理。無理。そういえば先日の講習会は体育館だったから、道場だたらちょっと違っていたかもしれない。「道場」という場所には、不思議な力があるものなので。

 と、いうわけで、わたしはそのヤカラをとっ捕まえて、返事が来なくても構わずに「こんにちは」と元気よく言う。突っ返されてもいいので、優しい言葉をさわやかに言ってみる。無視されても平気で「あなたはいかが?」などと誘いをかける。ご機嫌を取っているのではない。こうなったら嫌がらせだ。ひひひ。ヤカラの困った顔が、いい気味だ。

 さあ、どうだ、かかってこい。こんな暗い顔をして道場に立っているヤカラは、わたしのように澄み渡る声も出ない。切れ味抜群ですっきりさわやかな返し胴もできない。どうだ、参ったか。。。。あら、いつの間にやら負けず嫌い?勝った負けたじゃないんだけれども、マイペースで楽しくやってるわたしの方が、ずっと人生有意義に謳歌していると、確信する。明日、死んでも悔いはない。この(ない)胸を張ってるあたりに、品格も出るというものよ。わっはっは。

 相変わらず気迫はないが、気合いだけは一応入っているのだ。ほら、声枯れてるし。ヤカラはきっと、あんまり声枯らしてないと思う。だって、小さい声で「こんにちは」も言えなかったもの。

 ああ、また、あのヤカラのことを思い出しているわたしって、器が小さいなあ。



昇段審査に向かう電車の中で読ませていただいた、角正武先生のご著書

クラブのみんなが待っていてくれた。ありがとう。