2011/06/18

米寿

 八十八歳は、米寿なのだそうだ。とってもめでたい数字だ。わたしは八という数字が大好きで、いつもこの数字に助けられてきた。JPのお誕生日だって、3月8日だ。JPのお誕生日を知った時に、この人は絶対にわたしを幸せにしてくれると確信した。自分は4月29日なのでJPにはかなり苦労をさせている。彼もこの日を避けたいんだろうか?今年も例年のごとく4月28日の朝、元気よく「お誕生日おめでとう」と言われ、わたしは沈黙したのであった。

 わたしとJPの剣道クラブの名前は《白悠会》という。諸葛孔明の読んだ詩の中にこんなものがあって、恩師の佐藤先生が大好きで、先生の手ぬぐいにも書かれていた「白雲悠々」からいただいた。

    白雲悠々 去りまた来る
    西窓一片 残月淡し
    浮き世をよそに 静けき住まい
    出ては日ごと 畑をうち
    入りては 机に文をひもとく
    雪降りみだるる 冬のゆうべに
    風なお 冷たき 春の朝

 諸葛孔明の怖そうなイメージには合わない詩だと思う。佐藤先生は、白い雲のように、悠々と人の頭の上を流れ、風に吹かれて形を変えたり、方向を変えたりしながらも、のんびりと剣の道を歩んで行きたいとおっしゃっていた。普通剣道で使う手ぬぐいには《剣心一如》とか《文武両道》とか書く先生が多いのだけれども、佐藤先生の手ぬぐいは、《白雲悠々》だった。わたしも、白い雲のようにのんびりと、柔軟に流れて行けたらどんなによいだろうと思う。地上の焦りやストレスを笑って眺めながら。。。

 剣道の友達の中にネクトゥーさんがいる。ネクトゥーさんは、昨日88歳になった。4年前はいっしょに道場で稽古をしていたけれども、このごろは腰が痛くてもう道場には来られない。なので、わたしはネクトゥーさんの家に遊びに行く。ネクトゥーさんは、毎週日曜日にドレイ先生とご飯を食べるのを楽しみにしている。先週ネクトゥーさんのお家に遊びに行ったら、ネクトゥーさんがしょんぼりしていう。
「みのり、ドレイさんと連絡取れないんだよ。死んでるんじゃないかと心配なんだ」
ビックリした。話を聞くと、それなりに心配な要素がいくつかある。いろんな人に電話し、結局一時間後、わたしの電話はドレイ先生につながり、隣にいた看護婦さんとも話をすることができた。家族ではないので、詳しいことはなにも教えてもらえない。わかったのは、ネクトゥーさんが心配していたこの三週間、ドレイさんは入院していたとのこと。もう二度と運転してはいけないそうだ。
「それじゃあ、もううちには来れないね。もうドレイさんには会えないのか。。。」
とネクトゥーさんは肩を落とす。それが一週間前。

 その週の土曜日にはドレイ先生の住んでいる道場を訪ねて、元気な姿を見ることができ、とりあえずほっとした。でも、ドレイ先生の記憶は、日々失われているようで、わたしがだれだったのかは、よく思い出せないらしい。ドレイ先生はわたしの父と同い年で、言うこともすることも似ているとずっと思って来た。そして土曜日、久しぶりに会ったドレイ先生は、2003年に9年ぶりに再会した病床の父と、全く同じ顔色をしていた。目のくぼみや、小さくなった頭もあの頃の父と同じだった。先生がセーターの腕まくりをして、「ほら、こんなところに変なこぶもできちゃって」と見せてくれたとき、膵臓がんの末期であった父の脇腹に、同じこぶがあったことが鮮明によみがえったので、わたしはいろいろなことを悟らずにはいられなかった。


 昨日の朝、わたしは早起きをして朝市に行き、ボボを早歩きで歩かせ、子ども達をいつもの時間よりもはやく学校の門の前におろし、ダッシュでトゥールーズに向かった。ドレイ先生を迎えに行き、Uターンして、ネクトゥーさんのお宅にお邪魔した。3人で楽しいお誕生日会になった。ネクトゥーさんが寂しがるので、このごろのわたしは、イタリアの白ワインでネクトゥーさんのおつきあいをする。昨日はドレイ先生がいっしょだったので、ネクトゥーさんもうれしそうだった。

 ネクトゥーさんやドレイ先生は、フランスでも最も早い時期に剣道を始めた先輩たちだ。ネクトゥーさんは、わたしがまだ2歳だった1969年の日本で、剣道を経験している。ネクトゥーさんのアルバムには、今や七段、八段となり、世界で名前を知られている先輩たちの幼い顔がある。わたしはフランス剣道界の歴史を、歩み続けて来た本人たちから教わるのだ。

 この人たちのことを、忘れてはならない。忘れはしないよと、言ってあげなければならない。懐かしい人たちの、声を聞かせてあげたいと思って、facebookでネクトゥーさんのことを書いた。facebookに登録していない人のために、個人的にアドレスのわかる人たちにも一斉メールを送った。全部で200人ぐらいに書いた。この中でネクトゥーさんと実際に剣を交えた人は30人ぐらいだろうか。ネクトゥーさんのことを知らない若い人たちは、自分たちのクラブの先輩や、友人や、武道をたしなんでいる家庭であれば両親や兄弟に、ネクトゥーさんの話をしてくれた。そして、わたしはこの一週間で、たくさんのメッセージを受け取った。ネクトゥーさんが読めるように、集まったメッセージを拡大をして、綴り、本にして、お誕生日のプレゼントとして持って行った。わたしが持っているありとあらゆる写真もコピーした。そして、ネクトゥーさんが知っている人の現在の活躍や、その生徒たち子ども達の姿を見せてあげた。そこからまた昔の話が出てくる。話は尽きない。いつまでも思い出が溢れ出てやまない。

 個人的に、わたし宛にお礼のメッセージをくれた人もいて、そのような人たちには、わたしの電話番号を伝えておいたので、お誕生日の当日に、ネクトゥーさんの家に電話してくれた人もいた。そして、一人は出張ですぐそこに来ていたからと言って、ネクトゥーさんの家のドアをノックしてくれた。ちょうどドレイ先生も来ていたから、ものすごく楽しい再会の日となった。

 わたしは来週も、ネクトゥーさんに会いに行く。再来週も会いに行く。日本のお線香を持って遊びに行く。ネクトゥーさんと般若心経を詠むのが好きなのだ。毎週会いに行くつもりだけど、日本に帰っている6週間は、毎週絵はがきを書く。そして、日本でお線香をたくさん買って、ネクトゥーさんのお土産にする。この夏、二人の年老いた先輩たちが、元気にわたしの帰りを待っていてくれることを祈る。ネクトゥーさんは、毎日わたしのためにお祈りしてくれる。だから、そのおかげでわたしはいつも元気なのだと信じているので、わたしもネクトゥーさんのために祈る。ドレイ先生のことも祈る。

 わたしも、ネクトゥーさんみたいに、米寿までがんばれたらいいと思う。
米寿まで剣道できたら幸せだと思う。
 

2011/06/16

夢と現実


 指導者資格試験の最終日参加者たちと。


 6月はあっという間に過ぎて行く。天気はいまだに不安定で、なかなか本物の夏が来ない。
剣道指導者資格試験も無事終わり、正式に剣道を人に教えることが許されるようになった。こんな免許は日本には無いので、日本の先生方に報告するとビックリされる。奈良の上垣先生から『人があなたのところに集まって来るような指導者になってください』とお言葉いただいた。人がたくさん集まってくれたらいいな〜。

 剣道の試験は最初47人の申し込みでスタートし、一年の間に少しずつ減り、結局試験を受けたのは27人だった。そして20人が合格した。とっても難しかった。楽天家のわたしも、さすがに自信がなかった。でも勉強しただけのことは発揮できたので、もし落ちていても悔いは無かったと思う。

 調理師の方も、学校の方では『大丈夫、合格です』といわれたけれども、教育委員会の方での発表がまだ無いので、正式に『合格しました』と報告できない。6月中には結果が公開されるのではないかと思う。


 三年前から、あるひとつの目標に向かって、わたしはわたしなりにがんばっている。

一番なにが好きでなにがやりたいのかと訊かれると、『読んだり書いたりすること』『好きな本を翻訳する仕事』『剣道』と応える。この三つのことを田舎の大自然のなかでのんびり暮らしながらやるのが、大きなあこがれなのだ。そして、大きなあこがれだけでは、生活して行くことはできない。さあ、どうしようかと考えたのが、

 田舎で観光シーズンに民宿をやり、シーズンオフでも訪れてもらえるように、セミナーなどのできる『道場』を作る。そこでは自然の中で育てた野菜をたっぷり使った料理を出し、道場の横に設置する指圧の療養所で、身体をほぐしてもらうようなサービスを行う。民宿には露天風呂みたいなのも作ろうか。。。。日本料理の講習会もできるかもしれない。

 この『夢』に関しては、家人を動員しなければならないので、市場調査をし、経費の計算をし、民宿の設計図を作成し、その他ありとあらゆる書類や写真を揃えて、レポートにしてJPに提出した。それが三年前。そして今年は去年から始めた指圧と料理と剣道指導者資格者の免許を取得した。

 職安が転職を希望している無職者のために資金援助をして、いろんな授業を受けることができるシステムがあるというので、これまでやっていた日本語レッスンを一切やめて、職安に登録し、調理学校の入学試験を受けた。40人以上受けて10人が入学できた。面接の日にいきなり抜き打ちテストがあって、数学が全然できなかったので、あとで事務局の人に『どうして入学させてもらえたんですか』と訊いたら、『あなたの提出した企画が素晴らしく、あなたのやる気があったら、ぜったいに実現できると思ったので、調理師の資格を取ってもらいたかったのだ』と、事務長さんに言われた。調理師の免許を取るのは、ものすごく難しかった。さすがのわたしも、二度と、このような学校には入らないと思う。『わたしもやりたいな〜』という人たちには、『考えた方がいいよ』とアドバイスしている。

 『そのアイディアは素晴らしい』と他人はみんな言うけれど、家人はだれものって来ない。
『あなたが民宿やるんだったら、わたしが加勢に行くよ』と言ったのは、母だけだった。

 とりあえずこの凄まじい一年が終わったら、なにか今までと違う新しい人生が待っていると思っていたものの、実は、この一年でいろんなことに気付いた。人に料理を出すことが、自分はあまり得意でも好きでもないということ。わたしは食べることが好きなのだ。うちに来てくれた人に出す料理は、どんなに手間とお金が掛かっても、喜ばれるものを出したい方だから、そういう人間には《食堂》はできない。節約したり、物理的、金銭的な無駄を省いたりしなければならないので、そんなことをいちいち考えていたら、家族のお誕生日に出すような料理を、毎日出すわけにはいかない。

 指圧も、やってもらうのは好きだけど、それが職業となれば、体力を使う仕事なので、44歳からの転職にはかなりきつい仕事だと思う。

 必死な思いで学校に行き、夜は宿題に追われ、研修中は休む間もなく、テレビの前ではただ眠いだけ。気に入った本など読む暇がない。机に向かうこと、辞書を引くこと、ペンを持つこと、ページをめくること、図書館で過ごすこと、勉強するということ、人に何かを教わるということ、調べるということ、文房具屋に行くということ、机の上にコーヒーカップが載っている風景、パソコンの前で一日中過ごす。。。が、好きなのだ。でも、それは自分の書きたいことを書いたり、好きなフランス語の本を日本語に編み直して行くことを通して好きなのであって、栄養学の数字やレシピの手順を暗記したり、労働条件についての法律を書き写したり、訳のわからない問題集の、答えを書き込んで行ったりすることではないのだと気付いたのだ。なので、はやく終われ、はやく終われと思いながら終わらせた。

 
 四冊目の翻訳の本にできそうな、おもしろい本を見つけたので、週明けからこの本のあらすじと感想文を書き始める。日本に帰った時に、編集さんと話し合う予定。

 子ども達の学校、ノエミの卒業試験が終わって、剣道クラブの修了式が終わったら、わたしはパリに行く。中学と高校の同級生で、東京で働いていた頃にも会ったりしていた朝隈くんが、このほどいよいよパリで個展を開くことになったので。7月に入ったらすぐに日本に帰るので、あまり時間が無い。夜行で行って夜行で帰って来ることになると思う。みんなで応援していたもの。いよいよフランスに来てもらえることになって、本当にうれしい。同級生を代表して、パリでの朝隈氏の写真を撮って来るのだ〜〜。


 幕末のピーちゃんとペーちゃん
 

さあ、あしたはネクトゥーさんの88歳のお誕生日なので、ネクトゥーさんの家で食事をする。

2011/05/20

あともう少しでバカンス〜

 昨日、調理学校のすべての授業が終わった。調理師の免許がもらえるかどうかの結果は7月まで待たなければならない。
最後の職場研修は5週間もあって、とってもとっても長かった。4回の職場研修のうち最初の2週間は、ミーさんのラボで働かせてもらい、あと3回合計12週間の研修は、ミーさんのお友達の高級レストランで遣ってもらった。
 ほかのレストランで働いたクラスメートの話では、どうも多くの調理場で冷凍食品や缶詰がたくさん使われているらしいのだが、わたしのレストランは、有機栽培の野菜や、ラベルのついている魚や肉ばかりを使っていて、一日に3回ほど冷蔵庫の中味が入れ替わった。下ごしらえはとっても大変な見習いの作業で、わたしは30キロのジャガイモを20分以内できれいにむけるようになった。小さくてしかもガラス張りの調理場なので、清潔で仕事も綿密、働いている人はみんなニコニコしていた。とてもよい職場だった。研修が終わってから働かないかと訊かれたが、調理師の免許をもらいたかったのには別な目的があるので、レストランでは臨時で必要なときだけ呼んでもらうことにした。レストランのみんなにとても好意を持たれ、楽しく仕事できたと思っている。

 調理の方は終わったけれども、剣道の指導者資格試験が来週に迫っていて、いま猛勉強をしている。中学卒業試験を準備しているノエミは、模擬試験の直前に涼しい顔をしていて、焦りまくっているわたしとは大違い。「普段からコツコツやってるなら、試験直前に焦ることはない」と、中学生の娘に言われる。わたしはいつも試験前に焦る方。どんなに勉強してても、いつも自信だけはない方。
 去年の9月からJPと2人で自分たちの剣道クラブを始め、1年で部員も10人を超えた。一度入って辞めた人は、ものすごく遠くから通っていた大学生の一人だけ。クラブの結成と運営に関して剣道連盟に35ページのレポートも提出させられた。とっても忙しかった。
 来週の木曜日から日曜日まで、泊まりがけでブールジュというところの研修センターに行く。そこで、剣道技術のほかに、剣道連盟や地方の連盟の運営について、法律や試合試験の規則に関する理論がある。そのほかわたしにとって一番大変なのは、剣道に関わる解剖学の知識や生理学について、どのように剣道の授業に取り入れるか。。。などなど。。。去年やった指圧の勉強が役に立った。一見どうでもよいようなことなのだけれども、実はとっても重要なこと。全部フランス語なのでとっても大変。でもこの一年の様々な『学習』のおかげで、これまで考えもしなかったようなことが、理論も交えて、精神的にも肉体的にも、これからのわたしの活動を支えてくれる大きな柱になると確信できた。各地の研修会や講習会で、様々な地方の同じ目的を持った人たちと知り合うこともできた。

 剣道の試験が終わっても、気を抜くわけにはいかない。6月の終わりには、指圧の補習が待っている。この1月に指圧師の1年目の資格をもらうことができた。来年2年目のコースに進むので、そのための準備が待っている。

 10月に3冊目の翻訳の本『ジジのエジプト旅行』が出版され、先日『4刷目』の増刷となった。『先生のすすめる本』に選ばれたそうだ。紙とインク不足でどうなるかと心配していたが、がんばってくださっている大阪の出版社、編集者の方に感謝するばかり。『サトウキビ畑のカニア』の挿絵を描いてくださった内海博信さんが、福島県いわき市の方なので、増刷の記念にこれまで出版されたわたしの翻訳した本を、東北の各地の図書館や避難所に寄贈する計画が着々と進んでいる。次回4冊目の本の企画も、夏に日本に帰った時に話し合う予定。その他剣道関連の日本語の本をフランス語に訳してフランスで出版する企画もある。楽しみだ。

 この1年家族をだいぶ犠牲にして来た。でも、夢があり目標があって、何らかの『義務』が与えられたから、最後までやり通すことができた。何度もくじけそうになったけれども、子ども達は途中で投げ出すことを許してはくれなかった。
 ノエミにたびたび「いつもママンは、始めたことはとことんやれって言ってるじゃないの」と叱られた。

 
 来年度もとことんやる。その前に日本での夏休みが待っている。楽しみ〜。
 みなさん、応援してくださってありがとう。ご無沙汰してすみません。
 結果が出たら、すぐに報告します


  調理学校で最後の料理の授業



  『白悠会』の新しい道場で

2011/03/27

日の丸がひるがえる

 久しぶりに内海さんとメールを交換した。本当に久しぶりだった。内海さんというのは、わたしの一冊目の翻訳本の、挿絵を描いてくださった画家さん。東北で大きな地震が起こらなければ、内海さんが福島県のいわき市に住んでいることなど、すっかり忘れていた。それぐらい、ご無沙汰していた。

 内海さんが「お姉さんと仲直りをしましたか」という。画家の内海さんを紹介してくれたのは姉だった。わたしが姉の妹だったので、内海さんはよくわがままを聞いてくださり、すてきな本に仕上げてくださった。
 いや《お姉さん》とけんかしたわけではない。けんかしようにも、《お姉さん》はいつもわたしより大きく、知識と教養があり、モノをよく知っていて、太刀打ちできたためしがない。その《お姉さん》にも、たしかにご無沙汰している。内海さんに「お姉さんとみのりさんのメールアドレスはいつも仲良く並んでいる」と言われ、そういえば、《お姉さん》のメルアドは、ずいぶん前からわたしのアドレス帳からなくなっていたことに気付く。パソコンが壊れてから、従兄のアドレスやら、友人たちのアドレスやら、仕事でお世話になった人たちのアドレスも、画面上からは消えてなくなっており、なので、みなさんとご無沙汰したままだった。《忙しい》とかなんとか言っちゃって。。。

 地震が起こって、フランスではひどい映像しか見れないもので、わたしだって一応、日本のみんなのことを心配した。そして、連絡できる人から、ちょっとずつ、電話をかけてみたりした。東北地方には知っている人が内海さんと従兄の次男ぐらいしかいないので、個人的には本当によかった。現地の人はこれからまだまだ大変なのだろう。


 
 学校の方は、4回目の職場実習が終わり、先週と今週は試験地獄。それなのに日本から人が次々やって来るので、通訳のお仕事も忙しい。試験。。。大丈夫だろうか。。。
 調理師の免許は、もうたまに「ドーデモイイーー!」と本気で思う。この数ヶ月、凄まじく忙しい生活の中で、自分が本当に好きなことがよくわかって来た。早くこの学校を卒業して、6月になったら、わたしはせっせとモノを書くお仕事に戻るつもり。その他の付属の《夢》は、いま頭にあるものを書き終わってから、考えることにしようかと思う。書きたいことは山のようにある。

 とりあえず、試験勉強もせずに、昨日は、フランス剣道連盟のブログで、「剣道を日本語で」というレッスンの12回目の記事を書いた。12回目の日本語レッスンのテーマは、《武道精神》について。ちょっと難しい。でも地震のあとの日本人の姿について、フランス人は《武道精神》とつながりがあると思っているので、書かずにはいられなかったし、被災した内海さんと、ある剣道の先生から、「いまこそ武道精神が必要である」と言われたので、伝えずにはいられなかったのだ。大きなイベントがあると、平穏な日常では気付かないことが、なんとたくさんあることだろう。。。。

http://forum.cnkendo-da.com/viewtopic.php?f=11&t=3299

 日本の地震と津波と原発事故は、NHKのテレビの生放送をインターネットで追いかけて眠れない夜が続いた。日本のみんなと一心になっている気がした数日間。でも、実際には、夜が明けて、(仕事で)レストランに通い、家に帰って来て寝る。お腹は空くし、小言も言う。大して変わらない日常。。。春の陽気の中、桜が咲き散り、カレンダーでは春が来た。あまりにも平穏な日々。。。。いずれにせよ、遠い地球の反対側での出来事でしかなかったのか?自分には関係ないのか? そんな折、仕事帰りの道で、あるカーブを曲がったら、まっすぐ目の前にラグビーのスタジアムが見えた。いつものように大きなフランスの国旗が、青空にはためいていた。その横に、半旗になった日の丸が揺れていて、わたしは、テレビで見たあの惨事が、夢ではなかったのだと理解した。涙で前が見えなくなり、車を止めて合掌した。

 一日も早く、遠い海の向こうの人びとに平穏が訪れますように。

                       合掌
 

2011/02/26

心も身体もボロボロよ〜

 2月の終わりになってしまった。一月には英語や数学や、物理、地理の試験があった。調理と面接の模擬試験もあった。
 そして今わたしは第3回目の職場研修をしている。
2回目とおなじアルビのレストランで、一週間に36時間ぐらいのペースで働いている。
クリスマスの頃に研修した時には、朝の部9時から15時までに続いて、夜の部18時から23時までというハードスケジュールでとことんやった週があり、さすがに月曜日から木曜日までがんがん働いたら、金曜日は倒れそうだった。シェフに
「家庭もあるし、あんた、歳なんだから、もっとペースを落としたら?」と言われたほど。
レストランというところはシェフ以外はみんな20代以下だ。見習いは16歳とか。。。。

 今回は4週間と長いし、どんなに働いても35時間分のしかも最低賃金しかもらえないことがよく理解できたので、1週間に36時間までと勝手に決めて、「この日とこの日は来ませんから」と宣言し、のんびり修行させていただいている。

 金曜日は夜のデザート用のコンポートと、お肉の大きなかたまりを小さく切って、脂肪などを切り落とす作業をやった。気持ち悪いけど、大変面白かった。クリスマスの時には、鶏ガラを掃除する作業をやった。あれは実に気持ち悪かった。

 先週は学校でアジア料理の授業をやった。わたしが先生となり、先生はわたしの生徒になって、巻き寿司やら春巻きを作った。水曜日のダビッド先生は、身長が2メートルぐらいの柔道の選手で、多分重量級だと思う。わたしが剣道を教えている有段者だと知っているので、わたしには頭が上がらず腰も低い。しかも、わたしは醤油やごま油や、わさびやいろんな隠し味を使って、とんでもないソースを作るので、いつもわたしの作業ポイントに静かにやって来て、大きな身体を壁の後ろに半分だけ隠し、目立たないようにわたしの手元を観察している。

 ダビッド先生はいつも授業の終わりに、作った料理をお皿にセッティングして、ソースは自分たちの好きなように作って、すべて味見をさせろという。クラスメートは、作ったものを全部お皿に載せるので、たまにお皿からこぼれたりしている。わたしは研修をしたレストランのヌーベルキュイズィーヌをまねして、懐石料理のように、真っ白なお皿の隅っこに、ちょこっとだけ載せ、トマトのバラだとか、葉ものを切ったり畳んだりして、味はどうでもデコレーションに凝り、しかも、クラスの誰もが使わない隠し味のアジア風ソースで勝負するので、ダビッド先生は、いつも興味津々だ。先生は、売れないレストランの経営者でもある。売れないレストランなので、平日の水曜日に、学校で料理を教えている。。。。と、わたしは見ている。
 
 この4週間の職場研修が終わったら、4月には試験の嵐があり、最後に5週間の職場研修で締めくくられる。クラスメートの大半は、最後の研修をするレストランで、夏からの雇用契約をもらうことを目標にしているので、5週目は何が何でも可能性のありそうなお気に入りのレストランを選ぶ。わたしは、最後の5週間の研修も、同じレストランでのんびりやるつもり。このレストランでは新しい調理人を捜してはいないし、わたしはレストランで働く気はぜんぜんない。わたしには別にやりたいことがあるのだけれども、この凄まじい一年が終わったら、家族のためにもうちょっと家にじっとしている、おとなしい主婦に戻ろうかと思う、今日この頃。
 
 家で静かに本を読んだり、ものを書いたり、休まず剣道をやって。。。とりあえず、そういうのもいいかもと、思ったり〜。でも、「そういうのもいいかも」と思うのは、収入につながりそうもないことばかりなので、自立を目指して、やはりレストランでアルバイトでもしなきゃだめかね〜と思ったりもする。とりあえず、全部終わって、無事に日本に里帰りできたら、それだけでいいわ〜。疲れていて、もう何も考えられな〜〜い〜〜。

 これから数学の宿題をやる。げろげろ。


1月の試験のテーマだったシュークリームの練習。うちで何度練習しても膨らまなかったので、開き直り、プレゼンテーションに賭けることにした。本番では、シュー生地がよく膨らんで、とてもきれいな白鳥ができた。でも見た目よりも味が肝心だったので、白鳥を作ったからといって評価が上がるわけもなく。。。試みだけは一応かってもらえた。。。かな〜。

2011/01/27

朝隈くんの新作



 干支指人形が出来上がったそうだ。去年は父の寅年だったので、朝隈くんのトラを買った。
今年はウサギ年で、知っているウサギが居ないもので、あんまり気にしないでいたところ、ちょうど年末にパソコンがおかしかったらしいので、毎年《パペットハウス》からいただいている《干支人形の予約案内》を逃してしまった。だから、朝隈くんが写真だけ送ってくれた。

 わたしはフランスで、せっせとアサクマ作品の宣伝に精を出している。
そして、剣道のお友達で、以前は《ビズファミーユ》という雑誌を発行していた由香さんが、イベントを企画したり、日本のグッズを紹介するアソシエーションを始めたと言って来たので、ちょうど良かったと思って、アサクマ作品の宣伝をした。

 由香さんは朝隈くんの作品に感動して、東京に里帰りした時に、朝隈くんの作品販売などを受け持っている会社を訪ねていき、彼の作品の輸出やフランスでの展示会のことなどについて、直接話をして来てくれた。

 年が明けてすぐに、由香さんから《アサクマ作品パリ展示会》の具体的な企画について、どう思いますかとわたしなんぞの意見も訊かれ、ちょうど折しも剣道の講習会でパリに行かなければならなかったので、パリで由香さんとご飯を食べながら、朝隈くんの作品について語り合った。由香さんもわたしも、朝隈くんの犬や猫やオオカミやゾウが大好きなのだ。そして、フランスの人にも絶対に好かれると、確信しているのだ。

 さあ、みなさんも、《アサクマ作品パリ展示会》を応援してください!!
朝隈くんの旅費やギャラリーレンタル料金が大変。この企画は、小さなアソシエーションが立ち上げたので、展示会のためのスポンサーはいない。朝隈くんがパリで《フランス芸術》などなどを学んだり、パリのきれいな風景を見てインスピレーションがもっともっと生まれるように。。。わたしはぜひともフランスに来てほしい。そして、フランスの人たちにも、朝隈くんの静かで平和なお人形たちに親しんでもらいたい〜〜。 

 同級生や故郷のみんなに、お餞別とカンパを募ろうかな〜〜と思っている。どうでしょうか?

。。。というわけで、よろしくお願いいたします。
わたしの個人メールは復帰してると思いますので、《アサクマ作品パリ展示会応援団》というタイトルで、ぜひともメールをください。お待ちしております。

2011/01/02

あけましておめでとうございます

 あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。


 31日は去年と同じ、剣道場を借りているメゾン・ド・ヴィックで、知らない人たちと大晦日の夜を過ごした。15人ぐらいだった去年に比べると、50人ぐらいの盛大なパーティーになって、ちょっと疲れた。でも、去年に比べると即興の劇や音楽のできる人が多く、笑い話や、いろんな地方の物語も飛び出して、とても豊かな一夜だった。

 29日の15時までレストランで仕事して、JPが16時に迎えにきてくれたので、そのまま子ども達の待つナルボンヌに行った。クリスマスのときには、わたしがたちだけが往復して、子ども達は預けたままだったので。

 29日に、母からの小包が届いていた。中には、指宿の特産品やお餅が入っていたので、大晦日と元日はそれを食べた。31日の朝電話をしたら、指宿も大雪だったそうだ。雪のしんしんと降る静かな夜。一人でさぞかし寂しい大晦日だったと思う。

 母にフランスに来てもらおうと思って、がんばっている。フランスに来て、わたしの仕事を手伝ってもらおうと思う。
「まだ働かせる気か?」
と言われるかもしれないけれど、母は動いているのが母なので、動いてもらいたいのだ。

 とりあえず、わたしの計画はまだまだ実現に遠いので、今年の五月に調理師と剣道の免許に受からなければならないと思って、がんばっている。また明日からレストランの仕事に戻る。

 5月に試験に合格することを前提で、じつは、既に《合格祝い》を買ってしまった。
今年の夏休みに家族といっしょに日本に帰ることにした。予約のことを聞こうと思って旅行会社に電話をしたら、もう今から予約しないと夏休みの分はなくなりそう。。。と言われたので、あわてて予約して、クリスマスにチケットのお金を払った。せっかくもらった翻訳料は、すっからかんになった。足りなかったので、JPにも払ってもらった。ミーさんとの仕事はもうないので、日本で仕事をすることもないから、がんばってお小遣いをためてから出発しなければならない。
「夏休みには、指宿でマンゴー狩りのアルバイトがいっぱいあるよ」
と母が言うので、指宿でマンゴー狩りのアルバイトをしよう〜っと。
がんばるのだ〜。 
 チケット買ったので、合格しなくても、途中で挫折しても、お金が足りなくても、とりあえず日本に帰らなければならなくなった。それを励みにがんばるぞ〜〜という気持ちでいっぱい。それがあるからがんばれるだろう。
 春の、父の七回忌には帰れないけれども、お盆に指宿に居れる。お盆を指宿で過ごすのは20年以上ぶりだ。日本の夏に耐えられるのか。。。わたし。。。?夏に温泉祭りとビヤガーデンを楽しみにしていたのだけど、《温泉祭り》は夏にはやらないそうでがっかりしている。《山川港祭り》で我慢するか。。。開聞あたりでもなにかやっているに違いない。指宿の《てんちの杜》のコンサートにも参加できるかも。蛍は夏じゃないそうなので、がっかり。蛍は夏の風物詩かと思っていたのだがな〜。

 さて、18日の夜からスタートしていたクリスマス休暇も終了。子ども達は明日から学校へ。でも、絶対に明日の朝6時半には起きれないだろう。わたしも。。。。起きれないだろう。。。


 今年も前向きで、健康で、穏やかで、ニコニコできることがいっぱいあって、キラキラ輝く年になりますように。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。