2012/09/10

夏休みの旅行

 今年は日本に帰ることができなかった。来年がんばって帰ろう!JPの夏休みは八月の一ヶ月間だけだった。子どもたちは剣道合宿のあとナルボンヌの義父母のところに送り込み、わたしたちは8月13日まで新婚さんであった。。。。シーン。。。しずかだ。

 13日から16日頃まで、フランスの北の方に住んでいる剣道仲間の家族が来てくれ、同時にJPの弟の子どもを預かって、にぎやかに過ごした。フランスはものすごい猛暑で、遊び歩くのもけっこう大変だった。
剣道仲間のエリックさん
ポン・カナルといって、運河が流れる橋。下には川が流れている。

ミネルヴァの谷


わたし以外のみんな。珍しくボボもおります


さあ、みんなが帰った翌日から、予定していた家族旅行に出発〜〜!目的地は、2003年にわたしが左足を骨折していた年(猛暑で死者続出の年)に、車いすで訪れた、思い出のオーリヤック市。この街は、夏の五日間、町中で演劇・手品・人形劇・ダンス・パントマイム・サーカス・音楽。。。などなどなどが行われる。町中の小学校や幼稚園を会場に、あるいは体育館や劇場を使って、あるいは、町の広場や校庭を解放して、そして、商店街の路上で。。。プログラムはあってないようなもの。とりあえず、だいたいどの広場で何がある予定。。。というのは、毎朝町の観光案内所に行けば教えてもらえるが、一カ所から一カ所にたどり着く間に、予定外の手品師や、飛び入りのサーカスや、公園の木の上でいきなり綱渡りが始まったり、路上でファンファーの集団に取り囲まれたり、変な車をガタガタいわせて追い越していく人がいたり。。。とにかく油断ができない。目的地に行かなくても、おもしろいことがいっぱい起こる。気に入った、すごいと思った、感動した、またやって欲しいと思った、よく笑った、ものすごく泣いた。。。そのような場合は、地べたに置かれている帽子やギターケースなどに、小銭をちゃりんと入れてあげればいいことになっている。

 家族旅行なんて。。。とブーブー言っていたノエミも、すごく楽しんでいる。若い人たちがキャンプを張って仲良しとフェスティバルに参加している様子を見て、『わたしも来年は友達と来たい』と言っている。
「来年は、だ〜か〜ら〜、日本に帰ろうよって言ってるじゃないの。それにあなたまだ未成年だから。」「そうか、だったら再来年、友達とキャンプするわ」
ずいぶん気に入った様子だ。
 催し物を見学するのに、指定料金がないので、ただ見をする目的で来ている人はたくさんたくさんいる。映画館で映画を見たら7ユーロも8ユーロもするのだから、こんな素晴らしい演劇を家族四人で見せてもらったならば、小銭じゃなくてお札を入れて上げたいものだけど。。。五日間、ありとあらゆるものが路上の至る所で見られるので、その都度お札が出て行くとなると、ちょっと大変だ。

 午前中は、オーリヤック近辺の観光もできた。2003年に車いすだったために入れなかったお城の見学もできた。みっちり楽しんだ。

 最後の日。ものすごい雷を伴う暴風雨となり、気温も一気に下がった。中止になった催しもたくさんあり、予定を切り上げて帰宅となった。一気に夏が去って行った感じだったけど。。。たしかに夏休みも本当に終わりだったから、あきらめがついたかな。
夜のサーカス小屋、イベントを待つ娘たち


ボヘミアサーカス団。背中の上の釘の台に乗ってるお客さん。。。冷や汗。

日本から参加のロボット・ノゾミさん

薬屋さんの前で、いきなりライブ


大きな杉の木の下で。。。パントマイム劇


2012/07/26

熱い夏

3月と4月に、友達の誘いがあって、カーモーのレストランで働いた。それが終わって一息ついたら、こんどは5月の終わりから7月の半ばまでは、去年研修をしていたガストロノミーのレストランから電話があり、臨時で働くことになった。

レストランで働いていたこの春から夏に掛けては、パリ、ボルドー、ロデツ、アーカション、サンテティエンなど、自宅から遠い場所での剣道講習会や試合があり、剣道でも忙しくしていた。
試合にのぞみます




ファイティングスピリット賞のトロフィー!!





サンテティエンでの試合は日曜日の8時からだったので、土曜日に夜中まで働いて、そのあと車で走って、午前5時に現地入りし、8時からの試合に出ていた。どうしようもない剣道バカだ。個人女子で準々決勝まで行って、ファイティングスピリット賞をもらった。行って試合を一回やって終わりじゃもったいないけど、まあ行った甲斐があった。

また、この時期は今年中に出版される予定の、わたしの4冊目の翻訳本の仕上げにも入っていたので、本業の方も忙しかった。

つい最近親しくなった剣道仲間から「みのりさんって何してる人ですか?」と、問われ、「何してるって言われても。。。ハハハ。。。いろいろやってます」がわたしの答え。自分でも一体なに屋さんなのか不明の、今日この頃。

5月から7月に働いたレストランは、朝9時から15時までと、18時から23時まで。。。毎日のお仕事で体力が持つかな〜と心配したのだが、去年も働いていたので同僚のことも知っていたし、場所や道具になじみがあって、精神的にも楽だった。剣道のおかげか、体力と気力は結構あるみたい。今年研修生として入っていた同年代の女性と仲良くなり、力を合わせることができたので、最後まで楽しく働かせていただいた。5月の始めにシェフから電話が来て、『働いてみないか』と提案された時に、街いちばんの腕前で尊敬しているシェフからの電話だけに、声をかけられたことがただただうれしく光栄で、なんとしてもここで働きたいと思った。



シェフのことを尊敬している。でも、わたしの直の上司にあたる若い調理師は、シェフがわたしに直接電話して呼んだことが気に入らなかったらしく、入った時から感じ悪かった。自分のいやな仕事しか押し付けないし、失敗すればわたしのせいにする。本人偉そうにわたしに命令するのだけど、計画性がないのでいつもヘマをしている。とんでもないヘマをやる。わたしが独自に15年以上の家庭料理で学んだ隠れテクの方が役に立つことも多かったのだが、家庭料理とレストランではもちろんやり方が違うので、「こうやったらいいのに」と思っても、だまって見ていることも多かった。直の上司は一緒に働く相手にしては、とてもやりにくい相手だった。でも、わたしは表立っては愚痴を言わず、口答えをせず、ただ言われることだけは完璧にやることを考えて、黙々と働いた。とんまな上司のせいで、シェフに誤解されて怒鳴られたことも何度かあったけれども、日が発つに連れて、シェフや、スーシェフ、そして数人の仲間たちの間には、わたしの仕事をちゃんと見ていてくれる人や、わたしの苦労をわかっている人がいるのだということも、わかってきた。そういう人たちに助けられ、守られて、最後の日。『完璧』とも言える一日を終えることができた。お客さんがとても多かったのに、失敗をせず、怒鳴られず、最後はシェフに「きみが盛りつけまで全部やりなさい」と言われ、差し置いてしまった上司に睨まれた。片付けの時にシェフがわたしのところにやって来て、アメリカのバスケット選手たちがシュートを決めたときみたいに、振り上げた両手を双方から空中で叩き合うような仕草までさせられた。お店を閉めてからは、『お別れ会』ということで、シャンペンを振る舞われた。人手がなくて困った時には、また呼んでもいいかと言われた。こちらこそ頼んで呼んでもらいたいぐらいだったので、うれしかった。

7月14日にレストランでの仕事が終了し、18日から22日までの剣道合宿に、子どもたちといっしょに参加するため、ミニバスを借りて、往復2005キロ。。。ブルターニュのディナールというところに行った。この剣道合宿には、一昨年とその前の年にも参加している。今年は一昨年に続いて、國學院大学の植原教授を個人的にご招待していたので、合宿のあとは、いっしょに南下していただき、翌日の我が道場の稽古会に参加していただいた。昼間は、ずいぶん前から悩んでいる足の痛みを見てもらうために、医者と約束があったので、子どもたちにアルビ市内を案内してもらった。

剣道合宿




サン・マロの港
























モン・サン・ミッシェル

















 春からずっといろんな医者にかかっている。左足がずいぶん前から痛いので。夏休みは、剣道も休んでゆっくりするつもり。9月からは、カーモーの高校で、日本語クラブを受け持つことにもなっているし、地方の剣道連盟の書記にも選ばれたので、剣道連盟の仕事も忙しくなる。

 ジタバタしている間に、夏休みになった。JPの夏休みが来るまでのしばらくの間、自宅でゴロゴロする。今週末にナルボンヌの義父母の家に子どもたちを連れて行き、一週間ぐらいは静けさの中で過ごし、そのあとは、遠方からのお客さんたちを迎えたり、カーモーのお祭りに参加したり、そして、待ちに待った家族旅行。。。。ノエミが両親と出歩くのを嫌うようになったので、もしかしたら、最後の家族旅行かもしれない。

 とっても熱い夏が来た。

2012/03/20

わたしは調理師です

去年一年間、調理師の学校に通って、高級レストランでの研修も15週間ぐらいやって、夏に調理師の資格をもらった。そのときのクラスメートが一人、カーモーのレストランで働いている。もう一人の調理師が病欠で、長期来れなくなったというので誘われた。病欠で休んでいる調理師は、バツイチで4人の小さな子どものいる、若いお母さんなので、職を失いたくない。だから、知ってる人が代わりに来てくれたら、彼女のための席も、残しておいてあげられるというものだ。わたしはと言えば、翻訳の仕事がちょっと片付いて、アルバイトをしたいなあとも思っていたので、一ヶ月の臨時アルバイトで引き受けた。子どもが4人いる若い母親の労働時間は、わたしにも都合が良かった。

 月・火・木曜日はお昼のサービスだけ働いている。つまり9時半にレストランに行き、下ごしらえなどをやって、働いている人たち3人(シェフと奥さんとウィエイターさん)とゆっくりお昼を食べて、12時からだいたい14時半まで働くことになっている。金曜日に関しては、昼のサービスと、そして夜も。3月は一ヶ月の間に金曜日が5回あるのだが、第1週目はパリに行くことが決まっていたので休み、第2週目は水曜日の夜に働くことになったので金曜日は休みがもらえた。第3週目の先日は、そんなに忙しくなくてラッキーだった。あと2回残っている金曜日が、ミソだ。忙しくありませんよ〜に。

 昼は、そんなに忙しくない。「フー、大変だったね」という日もあるが、それでも15食分ぐらい?テーブルNo.が15までしかない小さなレストランだ。厨房もとっても小さい。研修した大きなレストランは、厨房が1階と地下にあり、1階の厨房には3つのポストがあって、前菜を用意する火のないコーナーと、肉魚を焼いたりするオーブンやガス台のあるコーナーと、デザートを用意するコーナーが分かれていた。それぞれのポストに責任者シェフと見習いがいた。ウエイターは常時5人か6人はいたし、厨房にも同じぐらいいた。洗い物だけをする女の人も働いていて、その人は洗い物のほかに、洗ったものを片付ける役割もあったので、いつも大体同じ場所に同じものが、不足なく整理されて置かれていた。

 こちらは小さなレストランで、厨房には2人しかいないので、あまり走り回ることもない。手に届くところになんでもあるけれども、いろんなものが散乱していて、勝手よくはない。最初は、大きなレストランとあれこれ比べて、シェフの風格やセンスや、知識や技術の差にもちょっと不満があったし、なにかにつけて比べてしまったりもしていた。衛生面とか、設備の違いとか。。。
 でも、ここではわたしはけっこういろんなことを、調理師としてちゃんとやらされている。例えば一日中リンゴやジャガイモの皮をむかされたり、鶏や魚のお腹の中をお掃除させられたり。。。まあ、そういうことはない。シェフは「手っ取り早く自分でやった方が速い」と思うことは、私に命令しないでどんどん自分でやってしまう。わたしが15分で30キロのジャガイモを向く修行をしたっていうことは、まだ披露していない。
 例えば洗い物も。。。。。彼には彼のやり方があって、どうも、人に任せられないたちなのかもしれないし、もしかしたら、わたしが水や洗剤をどんどん使うことも、気に入らないのかもしれない。暇なときなどに、洗い物をやろうかな。。。とウロウロしていると、「いい、いい、それはわたしがやる」と言って、ダッシュでやって来て、洗い物をやってくれる。とりあえず、《調理師》として雇われているし、最低賃金だし、時間には制限があってないようなものなので、洗い物までやらせて訴えられたらどうしようと思っているのかもしれない。

  この小さいレストランで教えられるのは、いかに安く早く工夫して、見た目も美しく、そしておいしい料理で、たくさんの人を喜ばせるか。新鮮な材料を上手にやりくりして無駄なく使い切る。残り物を出さない。残ったものはほかに利用する。。。ということ。作る量も少ないので、レストランでやったことをそのまますぐにうちでも活用している。

 一ヶ月の臨時バイトが終わったら、続けないかと、じつは言われた。でも、4冊目の翻訳の本は、出版社との契約で年内に出版させなければならない。しかも、剣道と料理の翻訳が、著者たちとの約束で待ってもらっている。本当に本当に楽しみなのだ。だから、たぶんあまりお金にはならないけれども、やっぱり家にいて、家で翻訳がやりたいのだ。東京の日本語学校に通っていた頃は、どうしても本屋さんで働きたくてやっと見つけた本屋を動くことができなかった。時給380円だった。仕方ないから、10時から19時まで本屋で働き、21時から翌日の4時までドーナツ屋で働いた。日本語教師になるための勉強もした。昔はあまり寝なくても大丈夫だったけれども、今は、レストランで午後3時まで働いて、夕方6時から8時まで剣道をやったら、夜はグロッキー。さすがのわたしも人間だった。。。。15歳から働いている厨房の世界では、44歳は年代もの。肉体的にとっても大変。よっぽどの情熱がなければできない仕事だ。

 とりあえず、フランスの資格をもらってからというもの、《調理師だったら仕事はいくらでもある。贅沢さえ言わなければ》ということがわかったので、機会を見て、たまには働きに出ようと思う。じつは、「わたしは調理師です」と言うのが、ちょっと楽しくもあるので。なんだかものすごく、自分じゃないみたい。いや、まったくもって、妙。変。すごくおかしい。20年前は、ハンバーグも作れなかったのに。一人暮らしの時に、栄養失調で左腕が動かなくなったこともあったのに。。。。

 家がもう少し大きかったら、テーブルを3つぐらいおいて、全予約制の小さなレストランができるかもしれないよな〜と、思う。がんばって働いて、もう少し大きな家と、テーブルをあと2つ買うか。。。


お休みだった週末に、レストランでJPの誕生会をした。ノエミが頼んだサーモンの包み焼きは、前日にわたしが用意したもの。今の季節は、こういうお皿で、サービスしている。わたしだったらお皿の脇に《サかナ》などと書く。日本語芸がなかなかうけている。

寒かった

二月は、一体なにをしていたんだろう?

寒かった。ものすごく寒かった。
「ヨーロッパ、シベリア化しています!」などとテレビで言っているのに、うちじゃあ、暖房は壊れるし、シャワーは水だし。。。困った。
毛皮を着ているボボでさえ、寒そうでお気の毒なので、毎日家の中で暮らした。毎朝お散歩する公園では、噴水が底まで完全に凍っていた。ちょこっと降って道路脇に積んでいた雪が、溶けることができず、そこに風が吹きつけるので、体感温度はどんどん下がった。毎日、となりの家の煙を吐く煙突にできた、ツララの写真を撮るのが楽しみのひとつとなった。ツララが一本ずつ増えて行くのがおもしろかった。

 2月の最後の週末に、カーモーで剣道の大きな講習会が催されることになっていたので、準備に追われていた。体育館はただで貸してもらえることになったのだが、この寒さではやはり暖房を入れなければ。。。ということになり、暖房費用だけは払うことになった。ただし、当日ことのほか温かい一日となり、暖房なんか要らなかった。でも、お金を払ったので、がんがん暖房を入れて剣道やって、汗を流した。。。田舎にぽつんと立つ体育館なので、昼休みにちょっと外に出てサンドイッチを買ったり、レストランに行く。。。。ということができない。なので、《白悠会》では、5ユーロにてお弁当を用意した。調理の学校の同窓生エリックが、クレープを作るプロの機械を持って来てくれ、一日中クレープを焼いた。飛ぶように売れた。ゾエはバーの係。コーヒーやビールを売って、クラブの収入に貢献した。

 40人ぐらいの参加者があり、その程度ならばお弁当を用意するのもそんなに難しくないこと。みんなの喜ぶ顔を見るのが、気持ちいいこと。。。運営者としての役割も果たせたこと。。。いろんなことがわかった。そしてまた、民宿創立の夢は広がったのだが。。。JPは相変わらずのって来ない。残念だ。

 2月11日から26日までが冬休みだったので、この間に、ナルボンヌの実家にも行った。マザメやサンポンスという山間の町を抜けると、ナルボンヌは春のようないいお天気で、アーモンドの花が咲き始めていた。小さくて、ほのかにピンク色をした花が、道路脇に並んではえている姿は、日本の春の桜並木みたいだ。


 そうそう、四冊目の翻訳本の第一稿を仕上げなければならず、そういう時に限って、数ヶ月ぶりの実務翻訳の仕事も入り、徹夜の日々も続いた。なんだ。。。なにもしなかったわけじゃなかったんだ。。。それにしても、あまりぱ〜っとしたことは、なかったなあ。。。



とにかくただただ寒かった、という思い出しか残っていない二月。





2012/01/15

いちかばちか

「いちかばちかはやんない」と言ったばかりだけど。。。じつは、《いちかばちか》で剣道の地方大会に参加する。去年始めた我が剣道クラブ、現在16人のメンバーがいる。面を着けているのが12月の段階で8人になり、面を着けてはいないが小手、胴、垂れをつけているのが4人。稽古もちょっとサマになってきた。11月にチュヴィ先生に稽古を見ていただいた時に、みんなをどんどん試合や稽古会に参加させなさいと言われたので、わたしたちは1月28-29日に、ピレネー山脈の麓の町《タルブ》で行われる地方大会の団体戦に出る決意をして、今日までがんばって稽古してきた。

 剣道の団体戦は5人。先鋒、次峰、中堅、副将、大将。
今年の新学期によそのクラブから引っ越してきたフランソワは、すでに初段を持っている。JPとともに、試合に出るのは当然と、本人も思っている。フランソワは、サンテチエンヌという街にある、フランスでも一番大きく優秀なクラブから移ってきた。そのクラブでは三ヶ月を過ぎたらみんな否応無しに面を着けさせられ、日本の高校か大学並みの稽古を受ける。世界大会に出たり、ヨーロッパチャンピオンを出すクラブなので、初段ごときは下っ端である。

 でも、わたしたちの地方ではそういう《選手》は本当に少ないし、しかも、うちのクラブにはこれまで初心者しかいなかったので、《白悠会》に来ていきなり《先生の助手》となって、先生の期待も背負っているので、フランソワくん、張り切っている。けど、スポーツ選手のような数打ちゃ当たるの剣道をするので、《白悠会》で厳しくし込み直されている。ふっふっふ。。。全国一の先生たちとお稽古してきた人にしてはエバっておらず、自分よりもうんとちっこい先生(はやりにくいはずなの)に、がまん強く素直について来てくれるので、わたし幸せ〜。

 わたしは日本国籍だから、フランスでの個人戦には出場できない。団体戦は《外国人一名以下》なら出場できるので、10年以上ぶりに試合に出ることになった。JPも、剣道を辞めていたので10年以上ぶりだ。わたしたち、もう40超えちゃったのでおそらく選手としては最高齢ぐらいだろう。

 さあ、あとの二人。。。ローラは彼氏と別れて12月から剣道に来なくなった。エリーズとリュックは年齢制限で、わたしたち大人の団体戦には出ることが許されないということが判明し、若い人のグループの個人戦に出る。残るシルヴァンは去年のライセンスがないということを指摘され、さあ困った。
 
 カッサンドラとエリック。二名の大人の存在が、いきなり浮上。。。二人はまだ面をつけたことがない。。。。あと二週間で鍛えるか〜〜〜。無謀だな〜。十年も剣道やっていなかったJPを出場させることさえ迷っているのに、面を着けてまだ二週間。。。というような二人を、果たして試合に出させてもいいものか。。。

 チュヴィ先生、あっさりおっしゃる。
「出せ、出せ、みんな出せ。そのあとの稽古への意欲が、絶対に変わって来るから」

 とりあえず、その2人に経験させたいので、わたしが補欠に格下げとなり、エリックとカッサンドラも、面を着けて2週間の稽古で、試合に出場させることにした。本人たちかなりびっくりしているが、その他の3人の期待と応援を一心に受けて、かなりやる気を見せている。

さあ、人数は揃った。


 けれども、フランソワのライセンスが、去年のクラブのものであることがいきなり判明。ってことは、規定では《白悠会》の選手として試合に出ることはできないということ。

 ま、とりあえず、会場でなんと言われるか。。。
「いちかばちかで行ってみよう」
ということになった。

「どうせ一本も勝てないんだから、なんにも言われないって」

まあね、もしもリーグ戦を勝ち抜いて、パリで開かれる全国大会への出場権をもらったりしたら。。。それは問題になりますぞ。

いちかばちか。。。。勝ち抜きたいけど勝ち抜いちゃダメ。。。の勝負に挑みまっす!チョイサー

こういう試合、この辺じゃあ見られませんが。。。このビデオはすごい。

2012/01/12

一眼二足三胆四力(いちがんにそくさんたんしりき)



 わたしは割と高い確率で、「はい、わかりました」と即座に言える方だ。答えた直後に「あ〜あ、困ったなあ」とか「一体どうしたらいいんだ?」とか「仕方ないなあ」とつぶやくことは多いし、あとから「やっぱり無理です」と謝ることもある。とりあえず《素直そう》に見える「はい」は言えても、「イヤなんだかどうだか。。。」のはっきりした意思表示はど〜も苦手。

 そういうわたしが、この週末、審判法の講習会に参加した。福岡の角正武先生の数冊のご著書に触れ、ぜひお会いしてみたいとずっと思っていた。去年の講習会は、ちょうどパリでの指導者養成講座と重なって、やむなく断念しなければならなかったので、今年は絶対に参加して、ご著書にサインを頂き、先生の御本のフランス語訳をさせていただく旨、直談判しようと心に決めていた。その前に、肝心の講習会で褒められるようなことをやってみせ、わたしを気に入っていただき、わたしの剣道も「よし」と認めていただければ、その他諸々のお願いはスムーズに行くのじゃないだろうか。。。。という作戦だった。口ばっかりじゃ信用してもらえない。

 審判は難しい。自分自身試合にはもう十年以上参加していなかったので、試合場がこんなに狭かったことも、作法・礼法がこんなに細かく決められているも、身体がすっかり忘れてしまっていた。一月終わりの地方大会で、四段以上のものは審判員になることを仰せつかっている。一秒にも及ばない速い打ちをしっかり見極めて、公正な判断を下さなければならない。試合場は約十メートル四方。試合の時間は3分から5分。試合場から出たり、みっともない剣道をやったり、作法が悪かったり、防具の着装が乱れていると反則となる。立礼の位置も蹲踞の位置も厳しく決められている。審判はと言えば、かかとをつけてつま先を開いて立つその足の先やあげる旗の角度、指先の動かし方から、副審とのコンビーネーションまで決められている。

 剣道を始めたきっかけは、わたしよりも数年早く始めた姉の、剣道着姿の美しさにほれぼれしたことだった。今も剣道着でキリリと立つ人を見ると、女性でも男性でも胸がときめく。女性と男性の身につけているものはほとんど同じであるけれども、動きの中に男性らしさや女性らしさは、やっぱり現れるものだ。剣道は美しくなきゃあダメなんだ。

 角先生のアシスタントとして、世界大会の審判をしているフランス人の先生方が、パリなどから来てくださっていた。その中に、佐藤先生のお宅に泊まり込んで修行をしたこともあるラブルさんがいた。ひと昔前にフランス・ナショナルチームのキャプテンであったラブルさんとは、もう何度も会ったことがあり、個人的なこともお話しできる大好きな剣士だ。ラブルさんは2年前にブールジュでの、5日間の夏期剣道合宿さよならパーティーで、「佐藤先生に習った黒田節を歌います」とわたしの目をまっすぐに見て言い、佐藤先生と同じ歌い方で、《黒田節》を歌って踊った。あれはさすがに涙が出た。

 2メートル近くある大きなラブルさんが、まっすぐに射抜くような鋭い目でわたしを上から見て、「みのりさん、ここに座りなさい」とパイプ椅子を差し出した。グループに分かれて、みんなの前で審判をやったあとで。



 「《真剣》というのは、どういう意味でしょうか。」
と日本語で訊く。ラブルさんには前にも訊かれたことがあるかもしれない。
《真剣》とは、《真っすぐな剣、真実の剣》と書き、《まじめにやる》って意味になる。わたしはいつもニヘラと笑い、ちょこちょこ動き、手をぶらぶら振り回していて、それでは、審判員としての厳しさやまじめさが、身体からにじみ出て来ないというのである。
「みのりさんがけっこうまじめにやってるというのはわかるんだけど、あなた、甘すぎ。優しすぎ。軽くてもあげるし、ちゃんと当たってるのに、気に入らない剣道だったらあげようとしない。審判員ははっきりした態度を示さなければならない。審判というのはきちっとしていて、胸を張っていて、試合場全体をくまなく睨みつけて、その中の世界を威圧し、そこにいるみんなを引っ張っていかなければならない。あなたの剣道も同じである」
 
 ニヘラと笑っていては、なにごともダメらしいのである。

 審判をやってみたあとは、こんどは違うグループの人が審判役に回るために、わたしは選手に変身する。みんなが見ている。怖い。期待を裏切りたくない。。。ちゃんとわかりやすい一本を打ってあげないと、審判する人が気の毒だ。。。とりあえず、試合に挑む直前に考えているのは、どうも《周りのこと》ばかり。名を呼ばれ面を着けると、いきなり《一人》になる。周りから音は消え、「なにをどうしようか」というようなことも、あまり考えられなくなる。足の裏の肉離れでずいぶん休んだあとながら、許される限りの稽古を続けてきたので、思い切った試合ができた。楽しく試合できた。もっと試合がやりたくなった。

 審判員をやるのは、本当に難しかった。知っている人であればなおさらのこと。その人がどんなに努力しているか、ふだんどんな技ができるのか、人間的にどうなのか。。。そういうことを知っている相手が、この数分の試合であっさり負けてしまったりすると、もう残念で残念でたまらない。ふだんからがんばっている人には、無条件で勝たせてあげたいぐらいだ。《公正である》というのは、そういうことではないのか?と言ってみたくなる。たまにやってきて、偶然勝ってしまう人や、《人間のクズ》と思っているような人が、(まぐれで、と言いたくなる)思いもよらぬ素晴らしい隙を突いたりすると、ちょっと腹が立つ。

 「でもこれは勝負なんだから」

《勝負》なんだから《勝つか負けるか》しかない。

 スポーツでも例えばギャンブルでも、勝負に挑む人というのは、きっとたくさんの努力をしてきた人だろうと思う。作戦があり、計画がある。そこには計算や統計や、集めた情報をもとにした推測もある。ふだんから《勝負》のその日を想定しながら、勝ったり負けたりの経験を意識して暮らし、額に汗を流し、《勝負》のその日を思い描いて胸が熱くなるようなことがなければ、《勝負》に挑む気持ちなんか起こらないんじゃないかと思う。そして《勝負》のその日には、運を天に任せる《度胸》と《捨て身》も必要じゃないだろうか。

 《隙を突く》《真剣勝負》っていうのはまさに剣道用語だ。「気合いを入れるて捨て身でいけ」とは、道場でしょっちゅう言われる。「一か八かでやってみろ」というのは、めったにない。修行を積んでいないものは勝負に挑むことを許されないことが多いので。盲滅法に打ちまくって当たることはほとんどないし、質より量の打ちを数打ちゃ当たると思ったら大間違いで、一本勝負の美学なんだけど、それはそれ、剣道の試合は《三本勝負》で、一度取られても次の機会が与えられるところに、《人情》ありの楽しい人生経験ができることになっているのが、剣道のよさだと思う。

 審判も選手も同じ。《一眼二足三胆四力》なのだそうだ。さて励もう。。。。

2012/01/03

明けましておめでとうございます。

明けましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。


今年はだれとも悲しいお別れがありませんように。
たくさんの楽しい出逢いがありますように。
素晴らしい友人たちと仲良くできますように。
健康で、健やかな一年となりますように。
夢と希望に溢れ、輝いていられますように。
夢と現実のはざまでも、ポジティブでいられますように。
夢ばかり見ないで、現実に成功できますように。

これまで続けてきた大好きなことが、今年も続けられますように。
これまでやりたいと思ってきたことを、今年は実現できますように。

待っている楽しいことを、上手にキャッチできますように。
待っているおもしろくないことも、上手に切り抜けられますように。

今年も感謝の心を忘れません。
大好きな人がみんな、幸せになります。
ありがとう、ありがとうと、毎日言います。

今年もきっといろんなきずなで繋がっていく年です。

母から送られてきたおもちを頂きました。どうもありがとうございます。
今年も母のことも、よろしくお願いいたします。