剣道は中学と高校の時に、学校の部活でやっていた。中学に入ったら剣道クラブに入るんだと心に決めていた。仲良しの友達数人もいっしょに入った。その中でずっと前から心に決めていたのは、友達よりもわたしだったのに、友達の方が上達が早かった。その時の仲間で、高校に行ってからも続けたのはわたしだけで、多分それは、続けたら辞めたあの子たちよりも上手になれるかもしれないと思ったのだろうし、続けることに意義があるんだとか、一回始めたことは続けるべきなんだとか。。。辞めないということに誇りを覚えたものか。。。どうもよく覚えていないし、上手に表現できないけれども、とにかく高校でも続けた。高校では「なんでやってるんだろう」と思いながらやってた。そんな熱血というわけではなかった。
短大の時には学校に剣道部がなかったので、町の道場に通っていた。ニューカレドニアで働き始めてすぐに、ここでもまた剣道を再開した。だから、剣道は大人になってからもずっと続けていて、18年ぐらい高校でもらった三段のままだったけど、10年ぐらい前にフランスで四段をもらって、このごろははやく五段を受けなさいとみんなに言われている。
フランスの田舎では二段以上となると人口が急激に減るので、四段というともう上座に座らされることが多い。ストレス感じるのだ。日本人だし、経歴だけは長いので、あちこちで責任持たされる。
今では「あんまり剣道ばっかりやってると、ダンナに見捨てられるよ」と言われることもあるが、昔は、「剣道ばっかりやってると、彼に逃げられるよ」と言われ、ほんとうに逃げられたのだから、用心に越したことはない。でも、剣道のせいで誰かに見捨てられるぐらいだったら、それはそれまでの人間関係だったのだろうと思う。剣道のせいじゃなかったと思う。
わたし、剣道の友だちには、いつも、どこに行っても、どんなに遠く離れていても、ずっと会っていなくても、どんなに大変な時でも、見捨てられたことはない。剣道のおかげでJPにも会えたのだから、剣道のせいでJPに見捨てられることはないだろう。
とにかく外に出る時には、家の中のことをちゃんとやってから出かけている。
と、思う。
ことし通っているアルビのクラブには、来年はもう行かないことにした。指導の内容と、練習の仕方と、時間的なこと、経済なこと、いろんな理由から、辞めた方がいいことに気づいたから。不満を募らせながら、ストレスを溜めながら、だらだらとやるべきじゃないとわかったので。
今年はいろんな講習会に参加した。たくさんの人に会った。たくさんのよい先生方にお会いできた。それで、来年度もまた、いろんなところの様々な先生方の講習会に参加して、アルビでは習えないことをいっぱい習いたい。そして、たくさんの友達の応援と声援とアドバイスで、カーモーに剣道クラブを作ったらいいじゃんということになって、じつはもうその方向で動き始めている。
カーモーにはすばらしくモダンで巨大な市立の体育館があり、そこでは柔道や空手の稽古も行われているので、体育館を借りれないかと思って市役所に掛け合った。けっきょく、体育館の使用に関してはもういっぱいで、新しいクラブは受け入れられないと言われた。
市の職員さんはとても熱心に話を聞いてくれて、誠実に申し訳ないと思っていることがよくわかった。いずれにせよ期待していたバスケット場は板の床ではなくて、セメントにゴムを敷いた今はやりの体育館だったので、こっちからお断りだったのだ。
市役所の人が、町の私立のジムを紹介してくれたので、市役所を出てまっすぐ行ってみた。ジムのおじさんもとっても親切な人で、ダンスの教室を見せてくれた。そこは一面が鏡になっている板の床で、とてもよかったのだが、朝の10-12時と午後の14-16時しか開いてないと言う。そんな時間帯に剣道の稽古に来れるのは専業主婦ぐらいなので、カーモーじゃわたしだけってことになるだろう。
別れ際におじさんが、「ちょ、ちょっと待って。今いいこと思いついた」と叫んだ。
なんと、我が家から200メートルのところに、二年前に営業を中止したダンス教室があるという。そこの教室を貸してもらったら?というので、そのまままっすぐダンス教室のある建物まで行った。同じ建物の一階には、血液などの医療検査をするラボがある。ラボの人に建物の所有者はだれですかと尋ねたら、Dr.マッシェだと言う。
Dr.マッシェというのは、ラボのすぐそばで耳鼻科を開業しているお医者さんで、前にわたしの耳から大きな塊を掘り出した、あの怖い先生だ。勇気を出して行ってみた。
「あそこの建物を借りる件で。。。」と言ったら、ニコニコして、
「あの建物は母のものだから、訊いてあげる」といい、さっそく白衣のまま裏口から出て、ラボの前を通って、隣のお母さんの家の裏側に連れて行かれた。
白衣を着た、怖い顔でいい歳したDr.マッシェが、
「ママン!ママ〜ン!お客さんだよ〜」
と言って叫んでいる姿が、かわいらしかったのだが、肝心のお母様はいらっしゃらなかった。犬の散歩だろうというので外で待っていたけど、いくら待っても帰ってこない。しばらくすると、Dr.マッシェのお母さんにしては若すぎる、きれいな女の人がやってきて、裏口から入ろうとするので、声を掛けて、じつはマダムマッシェを待ってると事情を伝えた。彼女は誰もいない家の中に入って、ダンス教室の建物の鍵を探し出してくれ、建物の中を見学させてもらえることになった。
その建物は三階建てで、一階の半分だけがラボとして使われているものの、二階の全面と三階の半分は空っぽのすっからかんの、ほんとうになんにもない、不思議な建物だった。三階に着くと、奥にきらびやかな部屋が見えた。誇りまみれの倉庫のような空っぽの建物の中にいきなり現れた、光のあふれるダンス用の教室だった。大きな鏡が壁の一面にあって探し求めた木の床。木の床は100平方メートル以上はあるだろう。わたしのフランスの剣道の友だちだったら、みんなが声を揃えて
「夢のような道場」
とため息をつくに決まってる。全国の剣道仲間がこぞって遊びにきてくれるに違いない。
日本からも先生たちを招待しよう、このカーモーに。
来年は、剣道の指導者資格の国家試験を受ける。八年前に受講していたのを、妊娠しちゃったせいで中断したあの試験だ。これがあれば公に自分のクラブを開くことができる。ちゃんと教えることができる。
クラブを設立したり、宣伝して人を集めたり、場所を借りたり。。。途方もない大仕事が待っている。剣道連盟の経済的援助願いを出したり、やることがいっぱいあるのだが、家賃が高かったら、わたしにはどうしようもない。家賃については月曜日に返事をもらえることになっている。どうなるか。
今年この建物が借りれなかったら、とりあえず当初の予定通り、いろんな場所の講習会に参加して、指導者講習会を受けて。。。修行を続ける。クラブはなくても剣道はできる。
でも、いい場所があったら、もっといい稽古ができるんだがな〜と。。。夢見ている。
これからまた、いろんな友達に助けてもらう。家族にも協力してもらわなければならない。
2010/05/09
2010/04/30
むしゃくしゃしながら武者修行
母に電話したら、自宅の電話が携帯に転送され、
「グランドゴルフの最中で、友達が待っているから、あとで掛け直してよ」
と言われた。こういうときわたしはうれしくなる。
健康食品を買った、旅行に行った、グランドゴルフのあとの打ち上げにも参加してカラオケもやったとか、また友達と旅行を計画している、中学校の同窓会の役員ではまっている。。。そういうのを聞くと、とってもうれしい。
母が今のわたしの年齢のころ、子どもたちの学校のことにも熱心に参加しているのを見ていたし、家族であちこち出かけたり、人がちょくちょくやってくるような家だったので、毎日慌ただしい姿を見てはいたけれども、自分の楽しみだけのために、時間も気にせずに出かけたり、自分一人のために好きなものを買ったりする母は見たことはなかった。一人暮らしになってようやく一人の楽しい時間の見つけ方も覚えたらしいのを見ると、とってもうれしい。
そして、四・五十代には付き合いの薄かった小学校や中学校の友人たちと集まって、こんどはいっしょに歳をとって行こうねと誓い合って仲良くしている姿も、うらやましいというか、頼もしいというか、すごいことだなあと思う。
母にフラレタあと、「いっしょに歳をとって行こうね」と誓い合っている、フランスの貴重な友《とし》に電話した。彼女も誕生日だったので。毎年必ず電話で「おめでとう」を忘れない友達で、毎年必ず直接「おめでとう」と言ってくれる友達だ。《とし》は、うちの母とは違って「掛け直すから」と言ったらがちゃんと電話を切り、その言葉通りすぐに掛け直してくれる。そして、わたしたちは二時間近くもおしゃべりをした。
としの電話を置いたら、入れ替わりでアルビの友達からの電話も鳴って、彼女とは仕事の話やインターネットのことや、夢や健康の話を一時間ばかりした。彼女がちょっとした病欠で仕事を休んでいたおかげで、きのうは長話をすることができたけど、普段は働いている人なのでなかなか会うことも話をすることもない。一番近くに住んでいる友達なのに。病欠は困るので早く元気になってもらいたいけれども、もっとおしゃべりをする時間もほしいなと思った。
お昼過ぎに母に電話をして、1時間ぐらいおしゃべりをした。そのあとノエミから電話が来て、ノートを忘れたと言うのでキレた。ノエミのノートを届けるついでに、事務所に行って、特別にロッカーをもらえないかと相談した。
じつは春休み中に背中が痛いと言うので、もともと脚が曲がってるせいと姿勢が悪いせいだろうと思い、ジェネラリストでキネに行くための手紙を書いてもらおうと思って連れて行ったのだ。そうしたら、側わん症という背骨が曲がっている病気が見つかったのだ。もうこれからは重いかばんを一日中背負って過ごすのを黙って見ていることはできない。
中学生はアメリカ映画で見かけるようなロッカーを持たされて、一日に使う道具をそこに片付けることができるのだが、ノエミの学校ではロッカーが足りないので、三年目と四年目の子どもたちは今年からロッカーを与えられなかった。ロッカーのない子どもたちは朝持って出かけた道具一式約12-3キロを一日中背負って過ごすことになる。ノエミは行き帰りも徒歩通学なので、朝七時半に家を出る時から夕方五時に戻ってくる時まで、そのかばんとつきあっている。
骨が曲がってしまうのがかばんのせいではなくても、曲がっている骨のレントゲン写真を見てしまった親だったら、だれだって黙っていることはできないだろう。それで自動車を廃車にすると言っていたJPを説得し、送り迎えにも自動車を使うことをわたしが決めた。だって、わたしにはそのかばんを持ってあげて、歩いて学校までいっしょに行ってあげることは到底無理なので。じつはこれまでもJPには内緒で、かばんの重い日に限りノエミを送ってあげていた。
さて、今週はずっと友達の子どもまで預かっていた。朝ごはんと昼ごはんを食べさせて、送り迎えをしてあげなければならなかった。うちの子たちよりも小さいし、小さいのと自分の子供じゃないせいで、習慣の違いとか理解できない心のタイミングが見え隠れし、困らせられることもあった。よく考えたら小さいからしょうがないのに「ああ、なんでこんなこともわからないんだろう」とか「なんでこの子たちはわがままなんだろう」と思うことなどもあり、うちの子たちみたいに厳しく言ってしまうこともあった。うちで言ったことやあったことを自宅で親に話すのはもちろんいいのだけど、親にちゃんと伝わっていなかったり、間違って伝わっていたりして、あとで弁解したり言い訳する羽目になり、すごく不愉快になることもしばしば。この数週間子どもたちを預かったせいで、大の仲良しだったモーガンとの人間関係が、ぎくしゃくし始めている。
以前から、いくら説明してもモーガンには、わたしは家にいるから仕事をしていないと思われている節があって、たとえば電話をとるたびに「寝てた〜?」と言われることや、「いま邪魔じゃないかな?」って訊くこともなく、相手はテレビ見ながらなにか食べている様子で、だらだらと世間話をするようなこともある。たまには「今シゴトしてたんだ」とか言ってみるのだけど、わたしの仕事っていうのはあまりよく理解されていない。だから、子どもを預けるのはお金が掛かるとか、だれでも信用できないからとか、うちの子は小さいからとか(ゾエと同じ年なのに)言って、子どもをうちに連れて来られると、なんか、むしゃくしゃしてしまう。はじめはこんなに長く続くとは思ていなかったので、はっきり困るとは言えなかったし、どうせ家にいるんだからとお思って軽く請け負ってしまった自分も馬鹿だった。
わたしにはそういう便利な人がいなかった。子どもたちを10ヶ月のころから預けて、泣かれても、泣きたくても、お金掛かっても、ちゃんと自分だけでやっていた。大変だった。だから友達が困っているなら協力してあげようと思ったけど、そうなのだ、こんなに長く続くとは思わなかった。自分は自分だけでやってきたという思いが強いせいか、困っている友達にも自分のことは自分でどうにかしてよと思うあたり、わたしは厳しいんだろう。友達甲斐がない。ああ、情けない。
それで、いろいろ考えたら、友達に対して腹を立てているとか、友達のしつけが悪いと思っているとか。。。そういうことじゃなくて、わたし、小さな子供があまり好きじゃないのだと思う。優しいことも言えないし、甘やかせないし、わがままは許せないみたいだ。自分の子どもたちも、さっさと大きくなって、さっさと出て行ってくれと思ったりしている。その点わたしなんか二十歳まで親に飯を作らせ、二十歳過ぎても親にお金を借りていたので、ホントーにどうしようもない娘だなと思う。
21歳で日本を出たわたしも43歳になった。これからどんどんフランスでの人生の方が長くなってしまう。
「グランドゴルフの最中で、友達が待っているから、あとで掛け直してよ」
と言われた。こういうときわたしはうれしくなる。
健康食品を買った、旅行に行った、グランドゴルフのあとの打ち上げにも参加してカラオケもやったとか、また友達と旅行を計画している、中学校の同窓会の役員ではまっている。。。そういうのを聞くと、とってもうれしい。
母が今のわたしの年齢のころ、子どもたちの学校のことにも熱心に参加しているのを見ていたし、家族であちこち出かけたり、人がちょくちょくやってくるような家だったので、毎日慌ただしい姿を見てはいたけれども、自分の楽しみだけのために、時間も気にせずに出かけたり、自分一人のために好きなものを買ったりする母は見たことはなかった。一人暮らしになってようやく一人の楽しい時間の見つけ方も覚えたらしいのを見ると、とってもうれしい。
そして、四・五十代には付き合いの薄かった小学校や中学校の友人たちと集まって、こんどはいっしょに歳をとって行こうねと誓い合って仲良くしている姿も、うらやましいというか、頼もしいというか、すごいことだなあと思う。
母にフラレタあと、「いっしょに歳をとって行こうね」と誓い合っている、フランスの貴重な友《とし》に電話した。彼女も誕生日だったので。毎年必ず電話で「おめでとう」を忘れない友達で、毎年必ず直接「おめでとう」と言ってくれる友達だ。《とし》は、うちの母とは違って「掛け直すから」と言ったらがちゃんと電話を切り、その言葉通りすぐに掛け直してくれる。そして、わたしたちは二時間近くもおしゃべりをした。
としの電話を置いたら、入れ替わりでアルビの友達からの電話も鳴って、彼女とは仕事の話やインターネットのことや、夢や健康の話を一時間ばかりした。彼女がちょっとした病欠で仕事を休んでいたおかげで、きのうは長話をすることができたけど、普段は働いている人なのでなかなか会うことも話をすることもない。一番近くに住んでいる友達なのに。病欠は困るので早く元気になってもらいたいけれども、もっとおしゃべりをする時間もほしいなと思った。
お昼過ぎに母に電話をして、1時間ぐらいおしゃべりをした。そのあとノエミから電話が来て、ノートを忘れたと言うのでキレた。ノエミのノートを届けるついでに、事務所に行って、特別にロッカーをもらえないかと相談した。
じつは春休み中に背中が痛いと言うので、もともと脚が曲がってるせいと姿勢が悪いせいだろうと思い、ジェネラリストでキネに行くための手紙を書いてもらおうと思って連れて行ったのだ。そうしたら、側わん症という背骨が曲がっている病気が見つかったのだ。もうこれからは重いかばんを一日中背負って過ごすのを黙って見ていることはできない。
中学生はアメリカ映画で見かけるようなロッカーを持たされて、一日に使う道具をそこに片付けることができるのだが、ノエミの学校ではロッカーが足りないので、三年目と四年目の子どもたちは今年からロッカーを与えられなかった。ロッカーのない子どもたちは朝持って出かけた道具一式約12-3キロを一日中背負って過ごすことになる。ノエミは行き帰りも徒歩通学なので、朝七時半に家を出る時から夕方五時に戻ってくる時まで、そのかばんとつきあっている。
骨が曲がってしまうのがかばんのせいではなくても、曲がっている骨のレントゲン写真を見てしまった親だったら、だれだって黙っていることはできないだろう。それで自動車を廃車にすると言っていたJPを説得し、送り迎えにも自動車を使うことをわたしが決めた。だって、わたしにはそのかばんを持ってあげて、歩いて学校までいっしょに行ってあげることは到底無理なので。じつはこれまでもJPには内緒で、かばんの重い日に限りノエミを送ってあげていた。
さて、今週はずっと友達の子どもまで預かっていた。朝ごはんと昼ごはんを食べさせて、送り迎えをしてあげなければならなかった。うちの子たちよりも小さいし、小さいのと自分の子供じゃないせいで、習慣の違いとか理解できない心のタイミングが見え隠れし、困らせられることもあった。よく考えたら小さいからしょうがないのに「ああ、なんでこんなこともわからないんだろう」とか「なんでこの子たちはわがままなんだろう」と思うことなどもあり、うちの子たちみたいに厳しく言ってしまうこともあった。うちで言ったことやあったことを自宅で親に話すのはもちろんいいのだけど、親にちゃんと伝わっていなかったり、間違って伝わっていたりして、あとで弁解したり言い訳する羽目になり、すごく不愉快になることもしばしば。この数週間子どもたちを預かったせいで、大の仲良しだったモーガンとの人間関係が、ぎくしゃくし始めている。
以前から、いくら説明してもモーガンには、わたしは家にいるから仕事をしていないと思われている節があって、たとえば電話をとるたびに「寝てた〜?」と言われることや、「いま邪魔じゃないかな?」って訊くこともなく、相手はテレビ見ながらなにか食べている様子で、だらだらと世間話をするようなこともある。たまには「今シゴトしてたんだ」とか言ってみるのだけど、わたしの仕事っていうのはあまりよく理解されていない。だから、子どもを預けるのはお金が掛かるとか、だれでも信用できないからとか、うちの子は小さいからとか(ゾエと同じ年なのに)言って、子どもをうちに連れて来られると、なんか、むしゃくしゃしてしまう。はじめはこんなに長く続くとは思ていなかったので、はっきり困るとは言えなかったし、どうせ家にいるんだからとお思って軽く請け負ってしまった自分も馬鹿だった。
わたしにはそういう便利な人がいなかった。子どもたちを10ヶ月のころから預けて、泣かれても、泣きたくても、お金掛かっても、ちゃんと自分だけでやっていた。大変だった。だから友達が困っているなら協力してあげようと思ったけど、そうなのだ、こんなに長く続くとは思わなかった。自分は自分だけでやってきたという思いが強いせいか、困っている友達にも自分のことは自分でどうにかしてよと思うあたり、わたしは厳しいんだろう。友達甲斐がない。ああ、情けない。
それで、いろいろ考えたら、友達に対して腹を立てているとか、友達のしつけが悪いと思っているとか。。。そういうことじゃなくて、わたし、小さな子供があまり好きじゃないのだと思う。優しいことも言えないし、甘やかせないし、わがままは許せないみたいだ。自分の子どもたちも、さっさと大きくなって、さっさと出て行ってくれと思ったりしている。その点わたしなんか二十歳まで親に飯を作らせ、二十歳過ぎても親にお金を借りていたので、ホントーにどうしようもない娘だなと思う。
21歳で日本を出たわたしも43歳になった。これからどんどんフランスでの人生の方が長くなってしまう。
2010/04/28
成長したかな〜
4月29日の話題にしようと思って、ネタをいろいろ考えていたら、
「あれ?これって、数年前にも書いた?」っていうような思いが走った。
2006年のお誕生日にも、JPは、だれよりも先に28日の朝に『おめでとう』と言ってしまい、「プレゼントはなにがいい?」と訊かれれば、「なべ欲しい。高級鍋!」とわたしは言うのである。そのまんま2006年。
2006年の日記に書いてあることで、大きく変わった点は、台所の壁はがしが終わったことだ。
わたしの暮らしをよく知っている友達だったら、みんなが「台所の工事、やっと終わったの?おめでとう」と言ってくれるだろう。
引っ越してから4年も掛かって、台所の壁が美しく塗り替えられた。
はあ〜〜幸せ。
なので、今年のお誕生日には、ちゃんと、きれいになった台所で写真を撮ることができるのでお楽しみに。
『今日はみどりの日だ』と2006年には書いているけれども、今年の日本のカレンダーを見たら『昭和の日』になっていた。一体どうなっているのだ?成り行きは想像できるけれども。43年前からずっと《みのりの日》と思っている友人たちが、前日からたくさんのメールを送り続けてくれている。嬉しいことだ。みんな《天皇誕生日》に玄関に旗を揚げた覚えがあるのか、あるいはゴールデンウィークがはじまったので、わたしのために時間を作ってもらえたんだろうか。
29日には、同じお誕生日でフランスで一番仲良くしている鹿児島県民《とし》に、まず電話をしてお祝いを言い合う。何年かして子どもたちがいなくなったら、《とし》と二人でどこかパリ辺りにでも行くか、フランス高地の温泉にでも行くか、ピレネーかアルプスの山小屋で過ごすか、海を渡って日本で花見をするか。。。とにかく二人で、二人のお誕生会をやるのがわたしの夢だ。
家族とは、平日なので普通に過ごす。ゾエが、土曜日にチョコレートケーキを作ってくれるんだそうだ。ノエミには肩でも揉んでもらおうか。43歳ねえ〜〜。シブいねえ〜。
「あれ?これって、数年前にも書いた?」っていうような思いが走った。
2006年のお誕生日にも、JPは、だれよりも先に28日の朝に『おめでとう』と言ってしまい、「プレゼントはなにがいい?」と訊かれれば、「なべ欲しい。高級鍋!」とわたしは言うのである。そのまんま2006年。
2006年の日記に書いてあることで、大きく変わった点は、台所の壁はがしが終わったことだ。
わたしの暮らしをよく知っている友達だったら、みんなが「台所の工事、やっと終わったの?おめでとう」と言ってくれるだろう。
引っ越してから4年も掛かって、台所の壁が美しく塗り替えられた。
はあ〜〜幸せ。
なので、今年のお誕生日には、ちゃんと、きれいになった台所で写真を撮ることができるのでお楽しみに。
『今日はみどりの日だ』と2006年には書いているけれども、今年の日本のカレンダーを見たら『昭和の日』になっていた。一体どうなっているのだ?成り行きは想像できるけれども。43年前からずっと《みのりの日》と思っている友人たちが、前日からたくさんのメールを送り続けてくれている。嬉しいことだ。みんな《天皇誕生日》に玄関に旗を揚げた覚えがあるのか、あるいはゴールデンウィークがはじまったので、わたしのために時間を作ってもらえたんだろうか。
29日には、同じお誕生日でフランスで一番仲良くしている鹿児島県民《とし》に、まず電話をしてお祝いを言い合う。何年かして子どもたちがいなくなったら、《とし》と二人でどこかパリ辺りにでも行くか、フランス高地の温泉にでも行くか、ピレネーかアルプスの山小屋で過ごすか、海を渡って日本で花見をするか。。。とにかく二人で、二人のお誕生会をやるのがわたしの夢だ。
家族とは、平日なので普通に過ごす。ゾエが、土曜日にチョコレートケーキを作ってくれるんだそうだ。ノエミには肩でも揉んでもらおうか。43歳ねえ〜〜。シブいねえ〜。
2010/04/26
ごぶさた
3月から、ずうっと、忙しかった。
冬休みにパリからリリーが来て帰ったと思ったら、もう春休みが来ていた。
フランスの小・中学校は、五週間勉強したら二週間の休みがある。
つまり、九月に新学期が始まったら、五週間後には秋休み(トゥッサン)が二週間あり、そのあと五週間勉強したら、二週間のクリスマス休暇があり、冬休みはそのまた五週間後で、春休みも二週間ちゃんとあって、五月には連休が続き、それでも足りずに夏休みは二ヶ月もある。
二月からずっと週末は。。。
義弟の結婚式の準備、
結婚式本番、
リリーが来て、
財布を盗まれ、(ここまではブログに書いた)
秋からやってる指圧の講習会に行き、
剣道の泊まりがけ講習が続いて、(四週間のうち週末三回分)
指圧と剣道で必要な応急処置講座に通わねばならず、
そのあと家の中の人間関係が、一時冷戦凍結状態になり、
さらに次の指圧講習会を迎え、
いきなり子どもたちの春休みが訪れ、
毎日子どもたちは家でゴロゴロするし、
人の子どもまで来るし、
《エコロジーな春休みにしよう》の決断で車なしの生活がスタート、
そのために、一日に三回も買い物かごを下げて出かけ、
だから2キロ減ったが時間も減ってしまい、
時間は減ったが体重が減ったのでうれしい。
そうやってる間に春休み最後の週末。
また指圧の研修で家を開けた。
ロデツの剣道クラブが祭りで客寄せをやるというので参加させられ、
翻訳の納期に襲撃され、
ミーさんの用事でおシゴトに呼び出しを食らい、(ミーさんの名古屋のお店は大繁盛)
ラボでマシュマロ食べ放題の拷問に遭い、
お店でイースターのチョコレートをいただいた。
減った体重もすぐに戻る。
来年度に自分の剣道クラブを作ろうと、せっせと活動中、
指圧のお勉強は大変ややっこしく、
JPが台所にペンキを塗り始めたので、家中はホコリまみれで、
屋根裏部屋の工事も再開したので、家中ホコリまみれで、
子どもたちが家でゴロゴロしているので、家中はホコリまみれで、
わたしは出かけてばっかりなので、家中はホコリまみれだ。
と、いってる間に、今日で春休みが終わったので、明日から平和なひとり暮らしがはじまる。(昼間だけ。せめて昼だけでも)
日記を書かないでいた間に、コメントを書いて下さった方が新しく加わり、「一体どうしちゃったんだろう」と思いながら、読んでくれる人もいるのかと思えば、やる気がまた出てくる。よし、がんばろう。
《メッセージ》メールをありがとうございました。ウサギのお人形がとってもかわいらしいので、剣道の友だちに宣伝しました。メールを書こうと思ってFaceBookを訪ねてみたのですが、メールが送れなかったんです。わたしは Daniel Minori で出ております。子どもたちの絵も載せてます。どうぞよろしく。
フランス剣道協会のサイトで、《剣道の日本語》っていう日本語レッスンのコーナーを始めたら、なかなかうけている。いま第八回まで来ていて、弟九回のネタはもう温まっている。
「自分で本を出して売ったら?」と言ってくれる剣道仲間がけっこういて、ここのところの前代未聞の大赤字で泣きを見た我が身には、おいしいお話。第二十回ぐらいまで続いたら、出版も考えられるかもしれない。ま、そのうちに。
わたしの三冊目の翻訳は、この前やああああっと最後の原稿を送った。なんかやけに時間を掛けてしまった。31日までに出してと言われれば、31日まで粘るので、編集さんはドキドキしていることだろう。挿絵の画家さんも決定したので(二冊目とは全然違うタイプのお話なので、挿絵も全然違うタイプ)今年の終わりには、日本の本屋さんに並ぶのではないかと期待している。フフフ、お楽しみ。
さて、あしたは朝七時から、またしても友達の子どもを預かる。といっても、ゾエと同時に幼稚園に連れて行ったら、わたしはボボと二人暮らしになる。み〜〜んなの春休みが終わった。あしたから、指圧のお勉強を徹底的にがんばる。五月にはパリの診療所での研修があり、試験は六月。フランス語で15ページの論文も書かねばならない。日本人の動作とヨーロッパ人の動作にについての比較。武道と両国の文化に関連づけた論文にするつもり。もうアイディアはあるのでどうにかなる、と思う。
あとはマックが爆発しないことを祈るのみ。
もうキレかけている。マックにも休みが必要か?
五月に今やってる日本語レッスンが全部終わったら、来年度からは日本語教師を辞めるつもり。
やりたいことが山のよう。春だもの〜。(この辺りは日本人だから?)
そして来週にはまた一つ歳をとるので〜。

ここで一句
体力が
あるうちやらんで
なんとする
ゴロゴロしてても
肥えるだけなり。。。。
43歳、決断の時!じゃじゃ〜〜ん。
冬休みにパリからリリーが来て帰ったと思ったら、もう春休みが来ていた。
フランスの小・中学校は、五週間勉強したら二週間の休みがある。
つまり、九月に新学期が始まったら、五週間後には秋休み(トゥッサン)が二週間あり、そのあと五週間勉強したら、二週間のクリスマス休暇があり、冬休みはそのまた五週間後で、春休みも二週間ちゃんとあって、五月には連休が続き、それでも足りずに夏休みは二ヶ月もある。
二月からずっと週末は。。。
義弟の結婚式の準備、
結婚式本番、
リリーが来て、
財布を盗まれ、(ここまではブログに書いた)
秋からやってる指圧の講習会に行き、
剣道の泊まりがけ講習が続いて、(四週間のうち週末三回分)
指圧と剣道で必要な応急処置講座に通わねばならず、
そのあと家の中の人間関係が、一時冷戦凍結状態になり、
さらに次の指圧講習会を迎え、
いきなり子どもたちの春休みが訪れ、
毎日子どもたちは家でゴロゴロするし、
人の子どもまで来るし、
《エコロジーな春休みにしよう》の決断で車なしの生活がスタート、
そのために、一日に三回も買い物かごを下げて出かけ、
だから2キロ減ったが時間も減ってしまい、
時間は減ったが体重が減ったのでうれしい。
そうやってる間に春休み最後の週末。
また指圧の研修で家を開けた。
ロデツの剣道クラブが祭りで客寄せをやるというので参加させられ、
翻訳の納期に襲撃され、
ミーさんの用事でおシゴトに呼び出しを食らい、(ミーさんの名古屋のお店は大繁盛)
ラボでマシュマロ食べ放題の拷問に遭い、
お店でイースターのチョコレートをいただいた。
減った体重もすぐに戻る。
来年度に自分の剣道クラブを作ろうと、せっせと活動中、
指圧のお勉強は大変ややっこしく、
JPが台所にペンキを塗り始めたので、家中はホコリまみれで、
屋根裏部屋の工事も再開したので、家中ホコリまみれで、
子どもたちが家でゴロゴロしているので、家中はホコリまみれで、
わたしは出かけてばっかりなので、家中はホコリまみれだ。
と、いってる間に、今日で春休みが終わったので、明日から平和なひとり暮らしがはじまる。(昼間だけ。せめて昼だけでも)
日記を書かないでいた間に、コメントを書いて下さった方が新しく加わり、「一体どうしちゃったんだろう」と思いながら、読んでくれる人もいるのかと思えば、やる気がまた出てくる。よし、がんばろう。
《メッセージ》メールをありがとうございました。ウサギのお人形がとってもかわいらしいので、剣道の友だちに宣伝しました。メールを書こうと思ってFaceBookを訪ねてみたのですが、メールが送れなかったんです。わたしは Daniel Minori で出ております。子どもたちの絵も載せてます。どうぞよろしく。
フランス剣道協会のサイトで、《剣道の日本語》っていう日本語レッスンのコーナーを始めたら、なかなかうけている。いま第八回まで来ていて、弟九回のネタはもう温まっている。
「自分で本を出して売ったら?」と言ってくれる剣道仲間がけっこういて、ここのところの前代未聞の大赤字で泣きを見た我が身には、おいしいお話。第二十回ぐらいまで続いたら、出版も考えられるかもしれない。ま、そのうちに。
わたしの三冊目の翻訳は、この前やああああっと最後の原稿を送った。なんかやけに時間を掛けてしまった。31日までに出してと言われれば、31日まで粘るので、編集さんはドキドキしていることだろう。挿絵の画家さんも決定したので(二冊目とは全然違うタイプのお話なので、挿絵も全然違うタイプ)今年の終わりには、日本の本屋さんに並ぶのではないかと期待している。フフフ、お楽しみ。
さて、あしたは朝七時から、またしても友達の子どもを預かる。といっても、ゾエと同時に幼稚園に連れて行ったら、わたしはボボと二人暮らしになる。み〜〜んなの春休みが終わった。あしたから、指圧のお勉強を徹底的にがんばる。五月にはパリの診療所での研修があり、試験は六月。フランス語で15ページの論文も書かねばならない。日本人の動作とヨーロッパ人の動作にについての比較。武道と両国の文化に関連づけた論文にするつもり。もうアイディアはあるのでどうにかなる、と思う。
あとはマックが爆発しないことを祈るのみ。
もうキレかけている。マックにも休みが必要か?
五月に今やってる日本語レッスンが全部終わったら、来年度からは日本語教師を辞めるつもり。
やりたいことが山のよう。春だもの〜。(この辺りは日本人だから?)
そして来週にはまた一つ歳をとるので〜。

ここで一句
体力が
あるうちやらんで
なんとする
ゴロゴロしてても
肥えるだけなり。。。。
43歳、決断の時!じゃじゃ〜〜ん。
2010/03/05
「ツイテナイ」 思った時が 運のつき
わたしにしては
なかなかのでき
財布をなくした。先週の金曜日、朝市で。
パン屋さんの行列に並んでいた時には、左手の親指と人差し指に1ユーロを握って、お財布は右手にあった。お財布から10ユーロを出して、ゾエにパスタを買うように頼んだ。ゾエがその10ユーロをひったくるようにつかんで、人ごみの中どんどん歩いて行くJPのあとを追いかけていったのを覚えている。
パンを買って、財布はパンといっしょに買い物カゴに投げ込んだ。それもちゃんと覚えている。
そのあとは、手芸屋さんとかばん屋さんの屋台をぐるっと回ったが、そこでは何も買わなかったので、お財布もカゴから出さなかった。お財布を出さなかったので、お財布をどこかに置いたはずもない。そんな覚えはまったくない。
手芸屋さんとかばん屋さんは、ガンベッタ広場のバス停の前にあって、立ち止まったのはそこだけ。
小銭しかないことがわかっていたので、ガンベッタ広場の向こう側の、ジャン・ジョレス広場にある銀行で、現金をちょっとおろそうと思ったら、カードの入っているお財布がカゴからなくなっていた。パンの横に大きなスペースができていて、どんなに探してもお財布は出てこない。
ガンベッタ広場とパン屋さんにも戻ったけれども、お財布は見つからなかった。
手芸屋さんには冷たく「そんなもの見てるわけがない。忙しいんだから。」と言われ、
かばん屋さんには、「降り出した雨でそれどころじゃない。」と言われた。
なので、警察に行った。
警察官に
「お財布をなくしたみたいなんですけど、誰か届けてくれていませんか」
と訊いたら、
「なくしたんじゃなくて、ピックポケットでしょ。」と言われた。わたしのすぐ前に二人、ガンベッタ広場でスリに遭ったと確信している人が、事情聴取を受けていた。わたしの後ろからも次々そういう人が来たし、警察の電話もじゃんじゃん鳴っていた。
お財布の中には、番号を間違ったせいで機械に吸い込まれ、いろんな経路で5週間近く掛かってや〜〜っと戻って来たばかりのクレジットカードや、日本の千円札、保険証、図書館のカード、切手、子どもたちの写真など。そのほかに、スーパーの点数カードや、それから、一番厄介なのは、《滞在許可証》。《外国人が持つ身分証明証》だ。現金は3ユーロぐらいしか入っていなかった。
惜しいのは、去年亡くなったJPのおばさんがくれたチュニジアのお守り、日本の神社でもらった大吉のおみくじ、東京の高級レストランで食べた鴨肉の中に入っていた鉄砲玉(ラッキーを運ぶと言われてる)などの《縁起もの》。
JPからは、効き目のないお守りだったんだから、手から離れてよかったんだと言われた。
縁起ものがたくさん入った、しかも、縁起の良いという日にわざわざ買った、お札を曲げずに入れることのできる細長いお財布で、これからますます溜まることが期待されていたので、わたしはちょっとへこんでしまって、つい、
《あ〜あ、ついてないなあ〜》
と嘆いてしまったのである。
ついでに、去年の秋頃から、何かにつけて「試されてるな〜」とか「困らせられてるな〜」と感じさせられた数々の出来事や、今年はミーさんといっしょに日本に帰れなかったことや、転んで怪我したことや。。。。いろんなことがよみがえってきて、つい
「ヤッパリ、このごろのわたしは、ついてないな〜」
と思いはじめていた。思いはじめたことに今日気づいた。
お財布をなくしたことに関しては《ツイテナイ》のとは全然違う。これはわたしの油断であり、隙があってのことで、もう少し自分の持ち物に対する意識がまともだったら、スリ対策は自然にできたのだと思う。
転んで怪我をしたことも、日本に帰れなかったことでさえ、自分がツイていたかどうかには、あまり関係がないだろう。
緩んだ気を引き締めなければならない。開いた口から、次々に運まで出て行ってしまわないように。
「ツイてるな〜」と感じる時のほとんどは、本当に運がよかったのだと思える不思議なことが多いような気がする。そして、わたしは楽天家だからか、本当に運がよい人間であるからかしれないが、これまでも、「ツイテルな〜」と思うことが多かったように思う。いつも誰かなにかに助けられて、ここまで歩いて来たように思う。これは確かにそうだ。
「ツイてないな〜」と思う時、ほとんどの場合、距離を置いてその事件を振り返ると、自分の油断や、隙や、準備・努力・根性の不足や、思いやりに欠けていた人間関係のせいであるように思う。
「ツイてないな、でも、まあ、仕方ないや」
と諦めることがらであるかどうか《事件》の質にもよるのかもしれないけれども、自然の現象や、お月様の不思議な力で起こったことでなく、いっしょに社会を動かす誰か他人のせいかと思うと、やっぱり気持ちは晴れやかにならない。なので、悪い誰かの意識のせいで、自分のものをもぎ取られたのだと思うよりは、自分の心にできた邪悪な油断のせいで、無くしたんだ、これは自然現象だ。。。などと思えたらどんなに気が楽だろうと思う。
現実は、クレジットカードの再発行に掛かるお金20ユーロ近くだの、身分証明症は70ユーロだの。。。身分証明書が無いのならXXはできない。。。などなど。。。いろいろ困ってしまっている。3ユーロだけ引き抜いて、ほかの中身はそっと返してくれないだろうかと思って、毎日毎日待っている。わたしが大事にしていたお守りたちに、誰かが痛い目に遭わされないうちに。。。と思って、誰かのために祈ってる。
その誰かは、わたしに取り憑かれてしまっているのだ。そして今ごろ「盗んだ財布に、すこしながらもお金が入っていた。これはツイてるぞ。」と思っているであろうその誰かが、大きな間違いをしていることに気づくまで、わたしの念は、その人に取り憑く。
どちらかというと「自分はいつもツイてる方」と鼻歌を歌いながら歩いているような、浅はかな人間なので、誰かに意識的に取り憑かれてるかもしれないと思うとちょっと怖い。気をつけよう。
なかなかのでき
財布をなくした。先週の金曜日、朝市で。
パン屋さんの行列に並んでいた時には、左手の親指と人差し指に1ユーロを握って、お財布は右手にあった。お財布から10ユーロを出して、ゾエにパスタを買うように頼んだ。ゾエがその10ユーロをひったくるようにつかんで、人ごみの中どんどん歩いて行くJPのあとを追いかけていったのを覚えている。
パンを買って、財布はパンといっしょに買い物カゴに投げ込んだ。それもちゃんと覚えている。
そのあとは、手芸屋さんとかばん屋さんの屋台をぐるっと回ったが、そこでは何も買わなかったので、お財布もカゴから出さなかった。お財布を出さなかったので、お財布をどこかに置いたはずもない。そんな覚えはまったくない。
手芸屋さんとかばん屋さんは、ガンベッタ広場のバス停の前にあって、立ち止まったのはそこだけ。
小銭しかないことがわかっていたので、ガンベッタ広場の向こう側の、ジャン・ジョレス広場にある銀行で、現金をちょっとおろそうと思ったら、カードの入っているお財布がカゴからなくなっていた。パンの横に大きなスペースができていて、どんなに探してもお財布は出てこない。
ガンベッタ広場とパン屋さんにも戻ったけれども、お財布は見つからなかった。
手芸屋さんには冷たく「そんなもの見てるわけがない。忙しいんだから。」と言われ、
かばん屋さんには、「降り出した雨でそれどころじゃない。」と言われた。
なので、警察に行った。
警察官に
「お財布をなくしたみたいなんですけど、誰か届けてくれていませんか」
と訊いたら、
「なくしたんじゃなくて、ピックポケットでしょ。」と言われた。わたしのすぐ前に二人、ガンベッタ広場でスリに遭ったと確信している人が、事情聴取を受けていた。わたしの後ろからも次々そういう人が来たし、警察の電話もじゃんじゃん鳴っていた。
お財布の中には、番号を間違ったせいで機械に吸い込まれ、いろんな経路で5週間近く掛かってや〜〜っと戻って来たばかりのクレジットカードや、日本の千円札、保険証、図書館のカード、切手、子どもたちの写真など。そのほかに、スーパーの点数カードや、それから、一番厄介なのは、《滞在許可証》。《外国人が持つ身分証明証》だ。現金は3ユーロぐらいしか入っていなかった。
惜しいのは、去年亡くなったJPのおばさんがくれたチュニジアのお守り、日本の神社でもらった大吉のおみくじ、東京の高級レストランで食べた鴨肉の中に入っていた鉄砲玉(ラッキーを運ぶと言われてる)などの《縁起もの》。
JPからは、効き目のないお守りだったんだから、手から離れてよかったんだと言われた。
縁起ものがたくさん入った、しかも、縁起の良いという日にわざわざ買った、お札を曲げずに入れることのできる細長いお財布で、これからますます溜まることが期待されていたので、わたしはちょっとへこんでしまって、つい、
《あ〜あ、ついてないなあ〜》
と嘆いてしまったのである。
ついでに、去年の秋頃から、何かにつけて「試されてるな〜」とか「困らせられてるな〜」と感じさせられた数々の出来事や、今年はミーさんといっしょに日本に帰れなかったことや、転んで怪我したことや。。。。いろんなことがよみがえってきて、つい
「ヤッパリ、このごろのわたしは、ついてないな〜」
と思いはじめていた。思いはじめたことに今日気づいた。
お財布をなくしたことに関しては《ツイテナイ》のとは全然違う。これはわたしの油断であり、隙があってのことで、もう少し自分の持ち物に対する意識がまともだったら、スリ対策は自然にできたのだと思う。
転んで怪我をしたことも、日本に帰れなかったことでさえ、自分がツイていたかどうかには、あまり関係がないだろう。
緩んだ気を引き締めなければならない。開いた口から、次々に運まで出て行ってしまわないように。
「ツイてるな〜」と感じる時のほとんどは、本当に運がよかったのだと思える不思議なことが多いような気がする。そして、わたしは楽天家だからか、本当に運がよい人間であるからかしれないが、これまでも、「ツイテルな〜」と思うことが多かったように思う。いつも誰かなにかに助けられて、ここまで歩いて来たように思う。これは確かにそうだ。
「ツイてないな〜」と思う時、ほとんどの場合、距離を置いてその事件を振り返ると、自分の油断や、隙や、準備・努力・根性の不足や、思いやりに欠けていた人間関係のせいであるように思う。
「ツイてないな、でも、まあ、仕方ないや」
と諦めることがらであるかどうか《事件》の質にもよるのかもしれないけれども、自然の現象や、お月様の不思議な力で起こったことでなく、いっしょに社会を動かす誰か他人のせいかと思うと、やっぱり気持ちは晴れやかにならない。なので、悪い誰かの意識のせいで、自分のものをもぎ取られたのだと思うよりは、自分の心にできた邪悪な油断のせいで、無くしたんだ、これは自然現象だ。。。などと思えたらどんなに気が楽だろうと思う。
現実は、クレジットカードの再発行に掛かるお金20ユーロ近くだの、身分証明症は70ユーロだの。。。身分証明書が無いのならXXはできない。。。などなど。。。いろいろ困ってしまっている。3ユーロだけ引き抜いて、ほかの中身はそっと返してくれないだろうかと思って、毎日毎日待っている。わたしが大事にしていたお守りたちに、誰かが痛い目に遭わされないうちに。。。と思って、誰かのために祈ってる。
その誰かは、わたしに取り憑かれてしまっているのだ。そして今ごろ「盗んだ財布に、すこしながらもお金が入っていた。これはツイてるぞ。」と思っているであろうその誰かが、大きな間違いをしていることに気づくまで、わたしの念は、その人に取り憑く。
どちらかというと「自分はいつもツイてる方」と鼻歌を歌いながら歩いているような、浅はかな人間なので、誰かに意識的に取り憑かれてるかもしれないと思うとちょっと怖い。気をつけよう。
2010/03/01
トゥールーズへ
ガロン河

サン・セルナン聖堂

オーギュスタン美術館

キャピトル広場の、トゥールーズ市役所

リリーの彼は、以前にトゥールーズに住んでいたことがあるので、リリーはどうしてもトゥールーズに行きたいと言った。
わたしたち田舎者は、トゥールーズなんていう大都会には、滅多に行かないので、案内しろと言われても、案内できないのだけど、市役所周辺だったら、おととし日本のテレビ撮影隊を連れて行ったので、わかるかもしれない。
トゥールーズ郊外の巨大スーパーに自動車を預けて、そこから無人の地下鉄で市街地へ向かうことにした。
10回分の回数券を買ったので、ずいぶんお得。
リリーは名物のカッスーレを食べてご満悦。
ゾエは、地下鉄とエスカレーター、ハトの群れと人の波に、大喜びだった。
写真はこのほかにもココで見られます。
http://www.facebook.com/album.php?aid=16417&id=100000112720171&l=883fea5a45
サン・セルナン聖堂
オーギュスタン美術館
キャピトル広場の、トゥールーズ市役所
リリーの彼は、以前にトゥールーズに住んでいたことがあるので、リリーはどうしてもトゥールーズに行きたいと言った。
わたしたち田舎者は、トゥールーズなんていう大都会には、滅多に行かないので、案内しろと言われても、案内できないのだけど、市役所周辺だったら、おととし日本のテレビ撮影隊を連れて行ったので、わかるかもしれない。
トゥールーズ郊外の巨大スーパーに自動車を預けて、そこから無人の地下鉄で市街地へ向かうことにした。
10回分の回数券を買ったので、ずいぶんお得。
リリーは名物のカッスーレを食べてご満悦。
ゾエは、地下鉄とエスカレーター、ハトの群れと人の波に、大喜びだった。
写真はこのほかにもココで見られます。
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